珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

侮ることなかれ

2019-07-14 | 思うこと
私は無宗教ではあるが、祈りの力を知っているので、念というか思いを強く込めることを軽く見ていない。
その中で、人が突き抜けて強いといわれる「憎」を侮ることなかれ。

S時代に呪いの唱題会があったと騒ぐ人もいるけど、私はあんなものはたいしたことではないと思っている。
末端会員は「ふり」はしても、会ったこともないお坊さんに呪うほどの憎しみなど持てるわけがなかった。
おばちゃんたちはそれどころか、大きな家族愛をもって、旦那の健康とか子どもの受験を真剣に祈っていたのである。

そんなポーズではなくて、本当に怖いのは日常で相手を貶めたいと思うこと。
祈りの反対のこれこそが呪い。
眠気をこらえて惰性で上げた題目より、はるかに絶大な効果がある。
こういう記述がある。(以下引用)

「呪い」というのは、あなたの「許せない」「憎い」という強い思いを使って、相手を不幸に陥れる方法のことです。
その思いが強ければ強いほど、強力な「呪い」となって相手に襲い掛かります。
「呪い」の効果=あなたの思いの強さ、と言っても過言ではありません。
何故かというと、思いの強さが引き金になって、「呪い」という拳銃に「あなたの命」という実弾を込めて相手を攻撃するからなんです。
思いが強ければ強いほど、相手の息の根を確実に止めるためにより多くの弾を込めます。
あなたの未来に約束された幸福や成功のみならず、命すらも犠牲にして行うのが「呪い」というものの正体なんです。


※私はチンケな呪いなど残念ながら跳ね返すことができるので、忠告はどうかくれぐれも聞いてくださいね。
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