古日向を舞台にした「古日向神話」(天孫降臨神話)は古事記によれば、最初、高天原から葦原の中つ国に降臨するはずだったアメノオシホミミノミコトが、降臨の準備をしているうちに子のニニギノミコトが生まれたので、ニニギノミコトが中つ国に降臨することになった。
ここで不可解なのがアメノオシホミミがなぜ辞退したのかということである。
たしかに、ニニギノミコトが高天原からの降臨に際して「真床覆衾(まどこおふすま)」(書紀)、つまり赤児として降った方が地上に慣れるのに都合がよいのかもしれないが、古事記には「赤子で降った」という表現はない。
この部分を古事記では「ここに、アマツヒコホノニニギノミコトは天の磐座を離れ、天の八重多那雲を押し分けて、イツの地分きに地分きて、天の浮橋にウキジマリ、ソリ立タシテ」とあるように、自らの足でぐいぐいと地上に向かって行く姿を描いている。
本来ならば父のアメノオシホミミ(天照大神の五男子の一人)がこのように降臨していたはずであるが、アメノオシホミミ自身が降れなかった理由は書かれていない。
ここで考えてみたいのが、アメノオシホミミが避けられた理由である。
私見では邪馬台国に匹敵するほどの「戸数5万戸」の大国・投馬国こそが古日向域を領土としていた(この見解については古日向論の第2章「邪馬台国論争と古日向」で詳細に論じるので、ここでは結論として扱う)。
魏志倭人伝によると、この古日向「投馬国」の王(官)を「ミミ(彌彌)」、副官(女王)を「ミミナリ」と言ったとあり、ここから推論すると、アメノオシホミミは古日向の王であったことになる。
そしてこの古日向は②で論じたように、白村江の戦役で唐・新羅連合に敗れて半島での倭人利権を失ったがゆえに、中央集権化によって列島の統一を目指す大和王権による「日本列島内王朝自生史」を描かざるを得なかった記紀においては、「王化に属さない蛮族の住む地域」に貶められた。
そうなると、そのような蛮族の支配する古日向域の旧投馬国から、中つ国全域(列島全域)を支配するような王者を生むようなストーリーは描けないというのが記紀編纂者たちの最低限の自制であったろう。
そこでその子のニニギノミコトを降ろすという、ワンクッション(一世代)置いた表現にしたのだろうと思われる。
もっとも、ワンクッション置いたからと言って、ニニギノミコトはやはりアメノオシホミミノミコトの子であることは謳われているのだから、いずれにしても古日向に「天孫降臨」が行われ、ニニギ・ホオリ・ウガヤフキアエズ・そして神武(トヨミケヌ)と四代にわたって古日向域でその歴史を紡いだということは否定されていない。
そこで、天孫降臨の嚆矢であるニニギノミコトの説話が何を象徴しているのかを考えてみたい。
古事記によるとニニギノミコトは「竺紫の日向の高千穂のクシフルタケ」に降り立ち、そこから笠沙岬に赴き、そこで大山津見神の娘・カムアタツヒメ(コナハナサクヤヒメ)と出会い、子としてホデリ・ホスセリ・ホオリの三男子を得るのだが、この生まれ方がすさまじい。
カムアタツヒメは、孕んでいるのは国津神の子だろうというニニギの疑いを晴らそうと、産屋に火を点けて、その中で子を産んだ。その結果は無事に三男子が生まれたわけだが、この火の中で生まれるという点を私は「火山活動の中で生まれる」ということの象徴と捉えるのである。
古日向は九州では阿蘇地方と並び、列島中でも、活火山の活動が極めて大きい地域で、古日向域だけでも、北から、霧島火山帯を有する「加久藤カルデラ」、桜島を有する「姶良カルデラ」、開聞岳の属する「阿多カルデラ」そして薩摩半島の南40キロほどの海中にある「鬼界カルデラ」と、直径20キロ前後の巨大カルデラが4つもその中心部を貫いている。
これは地球上でもまれな光景で、特に最後の鬼界カルデラの噴出は7500年前で、人類有史史上最大と言われる噴火を現出し、それまで存在した古日向域の縄文早期のつぼ型土器及び角型・円筒型の平底土器を有する先進文明は壊滅に瀕した。
古日向のほぼ全域にわたって地中に見いだされる「アカホヤ火山灰層」はその時のもので、アカホヤ火山灰が降り積もる前に襲来したであろう火砕流は植物も家も人ももなぎ倒したのであった。
しかし、この1万年に一度の大噴火でも、北寄りの遠方に住んでいた古日人や海にのがれ得た古日向人の子孫はいたはずで、数百年して火山灰に覆われた土地の植生が回復するのを見計らって、再び父祖の地に戻ってくるようなことがあったのだろう。
(※鬼界カルデラの大噴火で移動した古日向人は、列島内では西九州の海岸地帯、四国の海岸地帯、さらに海外では太平洋の向こうの南米ペルーやチリなどにも到達した可能性がある。南米のインディオに見られるATL=成人T細胞白血病の遺伝子は、鹿児島など南九州に多いATLと共通しているとの研究結果がある。)
この火山活動の極めて盛んな父祖の地に再び戻って来たというのが、ニニギノミコトの降臨の中身ではないだろうか。カムアタツヒメが産屋に火を放ちながら、無事に出産を果たしたというのはこのことの象徴としてよいのではなかろうか。
その年代を特定すれば、やはり鬼界カルデラの噴出年代からそう遠くない時期であろうから、噴出を火山地質学によって7500年前とされていることから、7000年前として大過ないだろう。
実はこの年代については、日本書紀の「神武天皇紀」に次のように書かれているのが示唆になるかもしれない。
「この時(ニニギノミコトの降臨の時)、世は荒きに属し、時に暗きにあたれり。ゆえに正しきを養い、この西辺を治めり。皇祖・皇考、すなわち神、すなわち聖にましまして、よろこびを積み、ひかりを重ね、多くの年を経たまえり。【本文注記=天祖の天降りましてよりこの方、179万2470余歳。】」(若干の修正あり)
ここに見える【本文注記=天祖の天降りましてよりこの方、179万2470余歳】が最初は荒唐無稽にしか思えなかったのだが、「歳」を「日」とみなすとにわかに現実味を帯びてくるのだ。
「天祖の天降りまして」とある「天祖」は高天原より降ったニニギノミコトを指すが、その時から現在(編集年代=西暦700年頃)までの期間が、いくら神話とはいえ冗談にもほどがある179万年という過去。
誰しも信じられないし、第一、179万年前にいた人類は猿人の類であり、現生人類ではない。仮に知能の高い人類が存在したとしてもどうやって数を数えたのであろうか。
原始時代の人類は数の数え方でまずはおのれの指を使うが、大きな数になると木の枝や石を使うことは可能だったろう。
文字通り、枝一本または石一個は一(ひとつ)に該当する。これを10本または10個で十。100本または100個で百。
古語での数え方に「百千万(もも・ち・よろず)」というのがあるから、おそらく百というのが区切りの単位だったと知れる。
一万を数えるのに石が一万個必要かというと、百ごとにそれまでより大きな石を「百の石」使えば、再び小石を並べて百まで行けば、その時にまた二個目の「百の石」を使うと、200が数えられる。
こうして数えていくと、小石100個と、そりより大きな中石100個があれば、一万までは数えられることになる。
さらにまた、一万個について大石一個を「一万の石」とすれば、小石100個、中石100個そして大石100個で百万まで数えられる。
したがって179万を数えるのに必要な石は、小石100個、中石100個、大石100個、特大石79個でよいことになる。
これらの石を保管する場所は、それぞれの石の大きさによるが、当然必要最小限の大きさの石を選ぶことになるだろうから、まず、10畳間ほどの空間があればよいだろう。
問題はこの数える単位が「年」だった場合で、一年に一個の小石を置いていくわけだが、50年もしたら人の一世代が終わるので、少なくとも(179万年÷50年=)35800世代もの世代を数える間、ずっと保管していなくてはならず、これはまず考えようがない。
そういう点もだが、一年が終わった(過ぎた)のをどう数えるのかという技術的な問題もあって、天文学を知らない以上、年を数えるのは非常に困難である。
これが「日」であれば、179万日÷365日=4904年となり、ぐっと現実味を帯びる。そのうえ、「日」というのは誰もが認識できる現象で、朝日が昇って明るくなって、夕方日が落ちて暗くなったら一つの「日」である。
夕方暗くなったら、小石を一つ前の日の次に置けばよいだけの話で、集落の西はずれに「日置き小屋」(仮称)でも設置して、小屋の管理人が日没後に所定の小石(一日の石)を一個、小屋の中の「一日の石」置き場に並べればよい。
そうしてそれが100個溜まったら、今度は離れた場所に「百の石」を置き、小石はずべて回収して翌日は再び一個から置き始める。
こうして中石が100個並べられたら、一万日が経過したことになり、これを繰り返して「一万の石」が100個溜まったら100万日が数えられる。
179万日の状態とは特大石が1個、大石が79個となった状態のことと同値である。(※中石と小石はそれぞれ100個ずつ手持ちにしておく)
179万日は数えることが可能であり、それによれば、179万日とは約4900年を表している。この4900年は記紀編纂時点までの年数であるから、編纂時点を西暦700年とすれば、紀元前4200年ということになる。
すなわち「天祖が天降りてこのかた、179万余歳」を「179万余日」とすると、天祖ニニギノミコトが古日向のクシフルタケに登場したのは、今から6200年ほど前の縄文時代前期の頃ということになり、7500年前の鬼界カルデラ大噴火のほとぼりが完全に冷め、植生がすっかり回復して古日向での生存が可能になった時代になったであろうから、整合性は得られよう。
このニニギノミコトから次の世代のホオリ(書紀ではホホデミ)へのバトンタッチがいつだったか、これも神話の象徴するところを尋ねてみれば分かりそうである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます