ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

雪が降る中の〝吟行〟だったんですよ!

2020年12月16日 | 俳句

 昨日娘と電話で話していたら、〝さっき雪が舞ってたわよ。これ初雪よね〟と言ったので、すぐに外を見ましたけど、きっと一瞬だったのでしょう。でも、とにかく寒い!雪が降ってもおかしくない日で、天気予報通りでした。明日からはもっと寒くなるんだと…。

 まあやっぱり、今朝起きて外を見るとちらちらと雪が舞っていました。〝ほら、雪よ!〟と主人に言うと、〝ホントか?そりゃあ大変だ…〟と。そうなんです。今日は月例の吟行会なんです。ナント早いこと!東行庵に行ったのはついこの前だったような?…ああ、そうか、それは私が吟行記を書いたのが遅かったからなんだわ。アハハ… でも、雪はこの程度なら大丈夫…かしら?

 今日は地元宇部市の西岐波(きわ)区床波(とこなみ)周辺を歩くんだから、まあいいかあなんて…。集合9時30分。雪は止むのかと思っていたら、あれよあれよと吹雪になって…。この辺りでこんなに雪が降るのは珍しい!まるで雪国に来たみたいという感じです。参加者はいつもの8人。集合場所の市民センターで、「西岐波ふるさと発見マップ」などを貰って、いよいよスタート。AからDまであるコースの中の、次のBコースを歩くことに。

 ①西岐波市民センター(錦波(きんぱ)尋常小学校跡)~(お駕篭道)~②大番様(おおばんさま)~(海岸通り・再びお駕篭道へ)~③高札場跡付近~④西光寺(さいこうじ)~⑤荒人(あらひと)神社(住吉神社)~⑥権代南向(ごんだいみなみむき)地蔵~⑦西岐波市民センター

 ここ床波というところは、嘗ては吉敷郡岐波村といい、江戸時代は宇部の領主福原(ふくばら)候の領地で、明治になって後に西岐波、東岐波に分かれました。昭和18年、大正10年宇部村から昇格した宇部市に合併して、西岐波区なりました。

 その福原候がこの床波浦の堂崎の高台からの眺望や四季賛歌に恵まれた瀬戸内海の風景がひとしお気に入られて、よくお駕篭に乗って通われたので、そう呼ばれています。以前にも宇部の歴史ウォークとかで参加したとき、〝この石垣の角が丸くなっているのは、お駕篭が回りにくいので削られたんですよ〟などと説明を聞きましたので、今日は私が案内役よろしく皆に話しながら歩きました。

 途中に蔵が2棟も建っている立派なお屋敷があって、ちょうど庭の手入れなどをされていたので、見せて頂いたのですが、それはそれは立派な門構えで、きっと由緒あるお宅でしょう。そう思ってパンフレットを見ると、③の高札場跡・お駕篭道の掲載写真になっていました。

 ここは昔庄屋さんだったとかいう加藤家のお屋敷で、その向かいが酒造業を営んでいた三井家。どちらもお殿様がしばしば立ち寄られたという見事な家の作りで、そこには私の知らない宇部の栄えていた頃の歴史が刻まれているような感じがしました。また見上げるほどの大木はその時代の証人のようで…。しかし、酒蔵の方は声を掛けて覗きましたが、誰もいない様子…。今ではもう見る影もなく廃れて、まるでそれを覆い隠すかのようにしきりに雪が舞っていました。ああ、〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉の世界を実感することができたのはよかったです。

 狭いお駕篭道から広い海岸通りへ出て床波の船溜りへ。するとまた雪が…。写真を撮りましたが、雪が舞っているのが見えるかしら。(白い点々がそうなんですが…) それから西光寺へ。ご神木の大銀杏が何だか哀れ。樹齢数百年と思えるほどの木(幹周囲4メートル)なんですが、上の方が折れたのかスタイルが余り良くありません。見ると幹に大きなパイプが1本立ててあって、…今まで見たことがないのでご住職に聞くと、根に空気を送るためなんですって。そうすると根が元気になるからと。ヘエッ、知りませんでした。また、賢くなりました。でも、写真撮るのを忘れているんですからアイコですかね。

 ある時は雪が霏々と降るかと思えば、突然日が差してきて〝風花(かざはな)〟となったりと、滅多にない季語に出会ってとても有意義で楽しい吟行でしたよ。でも本当に寒かった…。最低気温1度、最高でも4度ですものね。まだ後半があるのですが、長くなりましたので、今日はこれで…。

コメント (2)
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