ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝大根〟

2020年12月03日 | 俳句

 12月に入ってもう3日です。大して何もせずに日があっと言う間に過ぎていきます。この調子だと直ぐに大晦日がやって来そう!ただ、コロナ、コロナと言うばかりで…

 山口県の新型コロナ感染者がちょっと目を放していた間に、今日現在で402名なんですって。この一週間は多くて9人少なくても2,3人と、毎日増え続けていますので、これから年末までに一体何人になるのでしょうか。山口県でこうなんですから、全国を考えると何だかオソロシイ!

 我が宇部市では昨日感染者が1人出ましたが、9月末からはまだ3人だけです。ところが、岩国市がクラスターの後あっという間に110人にもなって、県内で最多になってしまいました。今は周南市や山口市、防府市などに増えているようですが、もうどこであろうと安全という所はないでしょう。だから、一人一人が真剣に考えて気をつけ、この年末を乗り切るしかなさそうです。かといって、年が明けたらよくなるという保証もないのですから、ただひたすらマスク・手洗い・うがいなどして、自粛生活を守るしかないようですね。

 ところで、12月に入っての最初の俳句教室での兼題は〝大根〟でした。これは誰でもがご存じの冬の定番野菜です。最近は大根も年中スーパーなどに出回っていますが、それらは「夏大根」や「春大根」といい、「大根」だけでは冬。ちなみに「秋大根」は季語にはないんですよ。

 そもそも大根は中央アジア原産とみられるアブラナ科の二年草。主に地下の多汁・多肉質の長大な根を食べますが、葉も食べられます。特に寒くなると根菜類は甘みが増して、豊かな味わいを見せるようになるので、大根も冬の季語となっているのです。大根のことを「おほね」「すずしろ」というのは古名で、「すずしろ」は春の七種の一つとして新年の季語になります。

  大根で団十郎する子供かな       小林一茶

 〝大根〟で詠まれた代表的な句をといえば、高浜虚子の〈流れ行く大根の葉の早さかな〉なんでしょうが、これはもういろいろと解釈されていますし、私も以前書いたことがありますので、ここではパスして…、景が直ぐに見えてくる一茶の句について考えてみましょうか。面白い句だと思いますが、何となくこういう発想は類句がありそうな…。

 さて、〈団十郎〉とは、歌舞伎においては今日まで常に特別な地位を占め、最も大きな名跡である「市川団十郎」のことです。元禄時代の初代から、十三代目を数える現在の団十郎に至るまで、それぞれの時代を代表する名優がこの名を受け継いでいます。

 一茶の『七番日記』によれば、この句は文化14年(1817年)に詠まれたもの。とすると、この団十郎は、七代目ということになります。この頃は、江戸時代後期の文化文政時代(1804年~1830年)を最盛期に、江戸を中心として発展した町人文化の栄えた時代で、化政文化ともいわれた時代です。それで、歌舞伎役者といえば〝団十郎〟が一番の花形で、子供でも知っていたということでしょうか。

 ところで、演技力のない、芸のまずい役者のことを〝大根役者〟といいますよね。なぜだかご存じですか? 語源については、大根の根の白いことを素人 (しろうと) に寄せていったもの、へたな役者を意味する「馬の脚」の脚から連想していったもの、大根はどのように食べても腹を壊さないので、へたなことと掛けて「当たらない」の意でいったもの、などの諸説があるようです。

 もしかしたら〝ひねくれ一茶〟のことですから、当時の〝団十郎〟が本当は〝大根役者〟だったのだと、まさか揶揄して詠んだということは考えられないでしょうか…イヤ、あり得ないですって!アハハ…スミマセン。

 同じ一茶の句に〈大根引大根で道を教へけり〉というのもあります。この句の場合は〝だいこひきだいこでみちをおしえけり〟と読みます。これは「大根引」が季語で、大根を収穫しているときに、道を聞かれて…聞いたのは一茶かも知れませんが…葉を持って抜いたばかりの泥の付いた大根で、あそこを曲がって真っ直ぐ…などと教えている場面です。よく分りますし、景が直ぐに浮かんできて、私も見た途端に覚えてしまいました。

 しかし、こういう単純明快なリズム、さらには人間の真の生き様がリアルに描かれた句というのは、読んで直ぐ頭の中にすうっと入ってしまいますので、気をつけないといけないのですよ。どこか頭の隅っこにこのようなフレーズは残っていて、つい似たような句を詠んでしまうことが多々あるからなのです。

 何かの俳句大会などで選句するときも、この発想はどこかにあったようだなあとか、このフレーズは確かに見たことがあるぞなどと、選ぶのにブレーキが掛かってしまいます。だって、この世の中には次々と生み出された俳句がゴマンとあるのですから、類句、類想は避けようにも避けられないというのが実情でしょう。そういう中から出来るだけ類想のない句を選ばなくてはなりませんので、頭が痛いのです。

 だとすれば、詠む方も常に言い古されたような表現は避けて、発想にも出来るだけ独自性のあるものを見つけて詠むように努めることが肝要。しかし、俳句を長くやれがやるほど、これが至難の業なんですよね。まさに〝言うは易く行うは難し〟なんです。

 写真は、先日広島へ行った娘夫婦からのお土産。岩国の〝雁木〟(がんぎ)という酒ですが、新酒初搾りなんですよ。俳句では〝新走り(あらばしり)〟といい、秋の季語になっています。

 〝最後にもう一杯飲みたくなる酒、おいしさのターミナルを目指して〟というキャッチフレーズで、次のように…

雁木から発し雁木に回帰する。そこから人や物が上陸しそこから人や物が船出する…雁木は水際のターミナルでした。明治初期の創業より雁木のある水際で酒という命を生みつづけてきた八百新酒造には、順風満帆の時代もあれば荒波に翻弄された時代もありました。視界不良で回帰すべき港を見失ったとき、自らを見つめなおし創業精神に立ち返り、原点回帰する決意を固めて世に問うた酒が「雁木」です。
本当においしい酒を造らなくては。おいしさのターミナルを目指さなくては。最後にもう一杯飲みたくなる酒を造りたい。その情熱が私たちを動かしています〟と。(八百新酒造ホームページより)

 SAKE  TIMEの日本酒評価では、〝日本三名橋として名高い錦帯橋のほど近くに立つ酒蔵。雁木とは船着き場の階段のある桟橋のことで、かつては原料米を雁木から水揚げして、酒造りが行われたという。少量仕込み、無濾過で仕上げる伝統の製法で、濃醇な旨みとキレがあり、派手さはないがバランスがいい〟と。

 確かにコクのある深い味わいが…ホント???でも、すっきりとした辛口の酒だということはよ~く分りましたよ。ハイ!

 

コメント (2)
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