ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

雪が降る中の〝吟行〟のつづきで~す!

2020年12月18日 | 俳句

 昨日は朝からお日様が顔をのぞかせてくれて、アリガタ~イ!こんなに違うんですね。最高気温は7度ですが、最低が一昨日と同じ1度なんですよ。

 午後から車の修理の件でディーラーへ…というより、事故のことがまだ何も解決していないので、そのままだったのです。代車に保険の利く1ヶ月が来たので、返却手続き。その引き続きの代車を受け取りに行ったんです。今回は修理をして乗るということで…。出来上がるのは当然年を越しますので、のんびり待つことにしました。ああ、イヤだ、イヤだ…もう来年は事故に遭わないようにしなくっちゃ!

 その後、やっと念願の加湿器を買いに電気ショップへ行きました。ネット通販の方が安いからと主人は言ったんですが、やっぱりこれは現物を見ないことには何だか不安で…。

 空気が乾燥すると鼻や喉にウイルスが付きやすいともいわれていますし、加湿はウイルス予防には効果絶大で、更に免疫力UPにも期待できるんですってよ!これで少しはコロナ予防対策にもなるんでしょうか。

 しかし、昨日のニュスを見て、またもやビックリ!新型コロナの感染者が、17日午後6時現在で3155人となり、過去最多を更新したんだと。東京822人、神奈川が319人、宮城でも54人と過去最多を更新中。今までにないような数字が次々と出てきて、どこまで伸びるのかと…恐ろしくなります。

 さて、一昨日の吟行の続き…

 西光寺から荒人(あらひと)神社へ。ここは住吉神社ともいわれ、床波漁港の漁業繁盛・商売繁盛を願うところなんですが、疫病退散・子どもの守神の祇園社も祀られていますので、私は〝幸先詣(さいさきもうで)〟でもしよう…と。〝来年は始終幸にご縁がありますように〟と、縁起を担いで45円(しじゅうごえん)をあげて祈りました。(笑)

 現在の新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、令和3年の初詣は、〝幸先詣〟として令和2年12月より分散してお詣りすることが勧められていますもの。この〝幸先詣〟とは「幸先よく新年を迎えられますように」という願いが込められていて、「年内に神様へ今年一年間の神恩を感謝し、新たな年のご加護を願うというもので初詣の混雑を避け、ゆったりとご参拝いただき、新年の『幸(さち)』を『先(さき)』に戴きましょう」という意味です、などと神社では説明。

 この神社には、子どもを抱いた狛犬がいるんですよ。以前来たときに教えて貰いました。この後は〝権代(ごんだい)南向地蔵〟へ寄って、スタート地点の市民センターへ戻ります。

 この権代南向地蔵は、鎌倉末期の頃この付近の川が氾濫したり、疫病が流行したりしたのをみて、出羽の国の僧、瑞石禅師が地蔵さまを建立したところ、事故もなくなり、病気も退散したと伝えられています。だからここでもしっかりとお参りしてきましたよ。

 それから車で移動し、昔の海底炭鉱で起った水没事故の名残の〝ピーヤ〟を最後に見に行きましたが、何とも風が冷たくて体が凍えてしまいそうでしたので、早々に引き上げました。その〝ピーヤ〟を詠んだ句がいくつか出ていましたが、どの句も今一つ…。そもそもピーヤというのは辞書にもありませんし、この宇部の辺りだけで通用する言葉かも知れませんので、やっぱり俳句に詠むのは無理なんでしょうね。話を聞けば詠みたくなる句材だとは思いますが。

 もう4、5年前になるかしら、亡くなられて俳句仲間のYさんが、30年ほど前「長生(ちょうせい)炭鉱の水非常を歴史に刻む会」を立ち上げられ、その会長を亡くなるまでされていましたので、この話はよく聞かされていました。それで私も一度は詠んでみようと挑戦したんですよ。でも、難しくて成功しませんでした。

 〝ピーヤ〟というのは、岸近くの海の中に立つ2本の古びたコンクリート製の筒で、海底に掘られた長生炭鉱の排気口の跡です。 長生炭鉱は、瀬戸内海に面した宇部市の東部、この西岐波の床波海岸にありました。当時山口県には多くの炭鉱があり、その中でも長生炭鉱は海底坑道の危険な炭鉱で、全国的にも比較的朝鮮人労働者の多かった炭鉱なので、「朝鮮炭鉱」とも呼ばれていたといいます。

 2枚の内、下の方の写真は、近づいて撮れませんので、お借りしました。スミマセン!

 その長生炭鉱に、1942年2月3日午前6時頃、海岸の坑口から1000メートル以上沖の坑道で異常出水が始まり、午前8時頃水没するという大惨事が起こりました。そして、この事故の犠牲者が183名。そのうちの136名が朝鮮人労働者だったということです。

 1990年代には、坑口や巻櫓(まきやぐら)の台座など炭鉱の遺構があったそうですが、いつしか撤去されて、坑口もどこか分からなくなってしまったとか。以前私が、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の勉強会に参加したときは、ここが坑口だよと教えられたのですが…。今では長生炭鉱がここに存在したことを示す唯一の遺構としては、この海の中に立つ2本のピーヤだけなんです。しかも、この下には水没事故で亡くなられた方々が今も眠っておられますので、遺族にとっては墓標ともいえるものなのです。

 また話が逸れてしまいました。そのピーヤを見た後、途中で食事をして岬ふれあいセンターへ行き、13時から句会、16時過ぎに終了しました。皆さま寒い中ご苦労様でした。外に出ると、雪はもうすっかり止んでいました。

 今日の句会に出た季語は、「雪」を始めとして「風花」「小雪」「細雪」「雪女」「初雪」などと、雪関係が圧倒的に多かったですね。他には、「花八ッ手」「実万両」「枯菊」「枯木」「冬ざれ」「冬日」「冬帽子」「冬凪」「凍つ」「北風」「極月」「冬将軍」「着膨れ」など。ちょっと気の早い「日脚伸ぶ」という季語も。以上、これで終りです。

 下の写真は、吟行中に見た冬紅葉、侘助(わびすけ)、寒あやめです。侘助は冬の季語、寒あやめはまだ歳時記にはありません。

コメント (4)
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