ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

いざ〝東行庵〟へ吟行!(その2―東行って?)

2020年12月07日 | 俳句

 昨日は午後からエコキュートの見積もりを作って貰うために、お店の人が点検に来られる…というので、午前中は掃除。それにいいお天気なのでついでの洗濯。主人は朝から何かイベントがあると言って出掛けました。点検の時間には帰ってくるからと言って…。

 ところが、お昼前に戻ってきたので、〝早かったわね〟と言うと、〝日にちを間違えていた〟ですって!〝手帳を見て確認してたんじゃないの?〟〝手帳にそう書いてあったから行ったが、変更になったのを書いてなかった…〟と。

 私はカレンダーに予定は必ず書き込むのですが、時々それを見るのを忘れます。主人はいつも几帳面に手帳に書いてそれをいつも見ているのに、日にちをよく間違えます。どっちにしてもドジな二人なんです。こういうのを似たもの夫婦というのかしら。いや、〝割れ鍋にとじ蓋〟の方かも?

 ところで、この言葉は以前からよく使っていましたが、ワタクシ本当の意味を知らずに使っていました。ワアッ、恥ずかしい! 今までは〝どんなにひびの入った鍋でもちょうど合う蓋というものはあるのだ〟ぐらいに思っていましたが、違うんですね。つまるところ〝閉じ蓋〟じゃあなくて〝綴じ蓋〟だということ。〝綴じる〟というのは壊れたものを修理することで、先ほどのことわざは、お互いに欠点のある者同士という意味だったんですよ。

 さて、今日は昨日の続き…11月18日の〝東行庵〟へ吟行の(その2)です。

 「東行」は高杉晋作の号ですが、なぜ晋作が東行と名乗ったのかというと、「西へ行く人(西行)を慕いて東へ行く我が心をば神や知るらん」と歌ったことにちなんでいます。また、晋作は梅の花が大好きで、生前愛人のおうのに「梅」の一文字が入った「梅処」という名をつけるほどでした。その高杉晋作の墓は国指定史跡となっていて、境内一帯は、早春は梅、初夏は菖蒲、秋は紅葉と美しく彩られて、今ではたくさんの人々が訪れる山口県の観光名所の一つになっています。

 晋作には、〈面白きこともなき世におもしろく すみなすものは心なりけり〉という有名な歌が残っています。写真は、見えにくいでしょうがその石碑です。

 今までこの歌は、晋作が辞世の句として〝面白きこともなき世におもしろく〟と詠み、その下の句に、看病をしていた野村望東尼(のむらもとに)が〝すみなすものは心なりけり〟と詠んだと言われていました。ところが、晋作が亡くなる数年前にこの歌を詠んでいたという資料が見つかったとかで話が変わりましたが、しかし自筆のものではないということで正確なことは今のところ不明。しかし、近年の研究によれば、辞世ではないという説の方が有力のようです。

 この歌の意味は、〝面白いこともない世の中を面白くするのは、結局自分の心の持ち方次第なのだ〟ということ。では、晋作は死ぬ前に何を考えてこのような自問自答のような歌を詠んだのでしょうね。自分の行く先はもうしっかり見えていたでしょう。だから、こんな短い人生だったが自分は精一杯面白く生きたぞということが言いたかったのかしら?まだ29歳にもなっていないという時ですよ。

 伊藤博文は晋作のことを、「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし」と評しましたが、実際のところ、晋作は小柄で、本人もそれを気にしていたため、直立して撮った写真は現存していないそうです。しかし、小柄ではあったが長い刀を好んで愛用し、その姿は刀が長いため引きずって歩いているように見えたともいう。何だか想像するとちょっと滑稽な気もしますが…。まるで子供みたい!

 この晋作像は、平成26年の安倍元首相来所記念に建てられたもので、以前来たときにはありませんでした。墓のある上の方には陶像もありますが、今回は足が痛いので上るのをパスしました。

 また、晋作について三浦梧楼が書いたものをみると、「臨機応変、機智縦横、如何なる困難に遭遇しても、常に綽々として余裕ある態度を以て切り抜けられた事は、何人といえども、企て及ぶべからざるものがある。それを普通世間では、単に慷慨悲歌の人、憂国熱誠の士ぐらいに考えて、磊落粗豪のみを以て事に当たったように、その表面ばかりを見ている者が多いようであるが、なかなかどうしてこの裏には、強いて思慮分別を煩わさずして、天才滾々として、随時に湧出した事は実に驚くべきもので、その事業の跡を見ると、よくその基礎を固め根底を作るという結果を、自然に現わしている。丈のすらりとした、男前も立派だった。平生は優しい目をしておられたが、それがどうかすると、ギロリと光ったものだ。その時は怖ろしさが、ぞっと身に染みるようだったよ」と。

 ワアッ、このような人物が最近いますかしら?私の知る限りではどこにもいませんよ。もちろん時代も時代だったのでしょうが、めったに現れるような人材ではなさそう…。もし、晋作が長生きしていたら、きっと明治の世は違っていたでしょうね。西郷隆盛だってああいう死に方はしなかったかも。晋作にしろ坂本龍馬にしろ、幕末から維新への激動時代を切り開いて、その礎を築きあげた人物です。更にはその志半ばで死んでいったたくさんの人々を考えるとき、もしそういう人たちが生き残っていたとしたら…と思ってしまいます。結局は生き残った人達の天下…ということになるんですものね。いつの世も…

 幕末のドラマや小説は散々見てきましたので、それぞれの人物像が何となく思い浮かぶのですが、皆さんは高杉晋作と坂本龍馬のどっちが好きですか、と聞かれたら、どっちに軍配をあげますか?私はやっぱり龍馬の方ですかね。アハハハ…

 

コメント (3)
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