今朝は曇ながら雨が止んでいましたので、久し振りにラジオ体操へ…。みんなが本当に久し振りねと…何だか心が軽くなりました。
体操しているとまた雨がパラパラと…でも何とか無事に終了。帰るとき見れば向こうには青空も…でも反対には真っ黒な雲…。この先の雲行きは?
実は昨日の朝も6時前に目が覚めて外を見ると、どうにか雨は止んでいたんです。しかし、今にもまた降りそうな気配で…。主人が今日は延期になっていたゴルフへ行くからラジオ体操は休むと言うので、私も…止めたんでした。
何でも継続することが大切。こんなに休んでしまうと、もう行くのが億劫になって…。朝にいいスタートが切れると1日がスムーズに流れて、体調まで良くなるのですが、初っぱなから躓くと最後まで尾を引いて…大抵ああ…、です。
だから昨日は落ち込むことがあって、やっぱり付いていませんでした。自分のうっかりミスでしたから、誰を恨むではないのですが…でも〝どうして!〟と叫ばずにはいられませんでした。他人に打ち明けられれば少しはすっきりするのでしょうが、ウウ~ン、ここに書くわけにはいきません。自分の腹の中に収めて、ただガマンするしかない!
昔から〝成らぬ堪忍するが堪忍〟といいますが…、これは〝堪忍できないことを堪忍することこそ真の堪忍である〟という意味ですよね。自分がしでかしたことに対して、堪忍するもしないもないでしょう。当然の報いなんですから。でもね~、クヤシイ!しかし、〝明日は明日の風が吹く〟なんだから、まあいいか!笑ってごまかそう…〝笑う門には福来る〟だもんね。
ナント諺って便利なものですね。皆さんもそうやって自分の気持に合う諺を見つけて下さい。先人達もみんな同じ思いをしていたんだ…だからこんな言葉がということに気がつきますよ。
『古事記』に「今に諺に、『雉(きぎし)の頓使(ひたつかい)』と曰ふ本(もと)是ぞ」と出ていますから、諺という語は奈良時代からあったんですね。
〝ことわざの語源は、本居宣長が『古事記伝』のなかで、「こと」は「言」、「わざ」は「童謡・禍・俳優」などと同じ「わざ」であり、神や死霊が祟ることを「もののわざ」というし、人の口を借りて神の云わせたことばが「ことわざ」で、神の心であり、人の口を借りることで吉凶を人々に諭したものを云うのが、やがて、世間に広くいいならわされたことばそのものを云うようになったと云う〟と。また、〝この宣長の説に近似たのが折口信夫の説で、「わざ」は神意の宿る物をいい、神意の宿ることばが「諺」であり、ことばは神の精霊に下されたことばと考える〟だとも書かれていました。
新明解国語辞典には「語(こと)事(わざ)の意」で、〝その国の民衆の生活から生まれた、教訓的な言葉〟だと。新漢語林の解字では〝人生を美しく飾る教訓を含んだことわざの意味〟を表すんですって。
諺が神意の宿る言葉なら、ほら、〝朝の来ない夜はない〟〝春の来ない冬はない〟〝止まない雨はない〟ですよ。また、「日はまた昇る」とも…ネッ。
ところが、雨だけでなく新型コロナウイルスの「第5波」が全国の都道府県で過去最多の感染確認が相次いでいますが、中国地方5県でも昨日18日、広島、山口、岡山の3県で最多を更新したんです。広島は303人、岡山は307人で、ともに初めて300人を超過。山口は105人で初の100人超えとなりました。各県はさらに感染状況が悪化する恐れがあるとして、県外との行き来の自粛や感染防止策の徹底を強く訴えています。
これではちょっと夜が長すぎでしょう!これが神様の御心だというのなら…だんだん諺が信じられなくなるかも。そうならないうちに神さま、何とかお願いしま~す。
なんて言っていたら、あら、こちらは午後から晴れて…先ほどから日が差してきましたよ。でもまた明日は雨だと…じゃあ、今から洗濯でもしようかなあ…ゴメンナサイね!
今回の雨で被害を蒙られた方、また今も豪雨に襲われている方…心からお見舞い申し上げます。どうぞご無事でありますように…
写真は、ちょっと前までの空とただ今(13時頃)の空…、やっぱり〝止まない雨はない〟…かな?
昨日は芝刈りと…休日も体力勝負ですね。体も鍛えておかないといけませんよ。年齢とともに老化していくのは当然ですから。
そのうち病院へ行って不調を訴えても、〝加齢です〟と…。
友人が、何処へ行ってもカレーなのよ…なんて愚痴るから、毎日カレーばかり食べてるのかと…なんて笑い話にもなるくらい。
今のうちですよ、足腰は痛くなる前に鍛えておかないと…
〈膝丈の白きコスモス百葉箱〉…
これも上五…?腰丈…胸丈…〇丈…コスモスなら要らないでしょう。それとも小さいとか低いとか言いたかったのかな。できれば白も消した方がいい。
!(^^)!信州人…句材の宝庫だよ!
今日は残暑、気楽に野良着からTシャツとゴルフズボンの芝刈でした。
とおもいきや、サボっていて芝はよく育ち、、さらに長雨で芝が重くなり、芝刈り機がよく止まりました。
さらに大量の刈った芝を一箇所に積んでおいて、路地から畑へ一輪車で畑へ捨てる、暑くて辛かったです。
そうです、野良着の句は上五で迷いました。
藍と天の川のは相性がいいかもと。安易な考え。
実は単なるデニム地です。
またお見通しで・・・だから師匠なのです。
夕方は犬を連れて、近くの小学校へ、徒歩五分です。
膝丈の白きコスモス百葉箱 信州人
秋は季語的にも信州は有利ですね。
そうそう、やっと覚えた秋の七草もみつけなければ。
ただ今見逃しのETV特集「戦火のホトトギス」を観始めました。
今日の俳句の勉強はこんなところです。
いつもお元気なコメントをいただき、こちらまで元気を貰ってありがとうございます。
〈歳重ね先ずは楽しく健康で
ほどほど食べてのんびり暮らす〉
これが本当に理想的な暮しですよね。
それが今やコロナのせいでメチャクチャ…
〈アさて、アさて、アさて、さて、さて、さて、さては〉…
これは「南京玉すだれ」の囃子文句でしょうか。次は何が出るか…と楽しみなんですが、今の日本は???
でも、〈今日も夜が明けた〉ですね。
毎日毎日…〈ぼくらはコロナ禍の中でもまれて、イヤになっちゃうよ〉…
でしょうか。
だったら…ある日脱することが出来るでしょうかね。
負けずに、希望的観測でがんばりましょうか。
縄文人さんと同じく私も楽天的人間ですから…ねッ!よろしく…
こちら昨日は曇、今日はポツポツ…
すっきりとした秋空ではありませんが、そちらはいかがでしょう。
〝信濃の秋〟…訪ねてみたいですね。蓼科高原、霧ヶ峰、清里等々…ああ木曽駒にも登りました。乗鞍にも…
もう山は無理ですから眺めるだけですけどね。
〈俳句の写生、その欠片がわかりそうな気分です〉…
ウレシイですね。飲み込みの早い優秀な弟子を持った気分…
だっていつの間にか…〝師匠〟に格上げされていますもの。(^0^)
穫れ立ての枝豆は甘くて美味しかったでしょう。実家へ行くと母がよく食べさせてくれました。ああ、玉蜀黍や西瓜や真桑瓜も…。
もう二度と味わえない貴重な体験です。
〈ほつとして野良着を洗ひ虫時雨〉…
あなたの言うとおり。〈ほつとして〉が余分…というより自己満足かな。
オノマトペを使う時は用心して!
初心の時はすぐに使いますから。吟味して使いましょう。
〈藍染の野良着干したり天の川〉…
基本バッチリ!もう入門編は卒業です。さあ中級から上級へ…ガンバロウ!
この句は藍染がムダ…というより必然性がないということ。夜に干したんなら〈藍染〉であろうと無かろうと…。
要するに天の川が中心なんですから色は余りみえないかもね。
それより〈雫する野良着干したり…〉とでもすれば、天の川から雫が垂れているようでしょう。また、野良仕事が終ってそのままザブザブ洗って干したんだろうなとか…
〝写生〟とは〝あるがままに〟なんですが、事実をそのまま写すということではないんですよ。
必然性と偶然性を考えて取捨選択することが大事。そこで生きてくるのが想像力と感性…そして創作へつづくといいでしょう。
信州人さんならきっと言っていることが分かりますよね。楽しみです。
とかく凡人は、いつかは良い方向に向かうであろう・・・そんな希望的観測をもって。
何時までも線状降水帯➡どこかえ移動
真夜中暗き➡澄み渡った紺碧の空
縄文人楽観的人間、
▼ 歳重ね先ずは楽しく健康で
ほどほど食べてのんびり暮らす(縄)
アさて、アさて、アさて、さて、さて、さて、さては
今日も夜が明けた。
、
今日は晴れて、農事も進みました。
枝豆、末成りばかりと悲観しておりましたが、薄緑のものを含めて1kg以上収穫できました。
モロッコ豆、胡瓜、ししとう、とともに終了です。
捨てた豆の末成りは窒素が多く、よい肥料になりますれば、また鋤きこんで来年に備えます。
まさに、師匠のおっしゃる「ムダというものがない!」
あまり跳ねすぎると・・・自分はジャズを聴きますが、あまりはビートが跳びすぎますとうるさいのです。
まだそこの塩梅がうまくないですねえ。
固有名詞のワナ、そうですね吟行で共有できる雰囲気ならよいですが、とってつけたような不要不急の使用はいけませんね。
俳句の写生、その欠片がわかりそうな気分です。
今日は残暑厳しく、夕方に野良着を洗いました。
呟き、ほつとして野良着を洗ひ虫時雨
ほつとしてが、いらない。さらに夜濯ぎが夏の季語では・・・
藍染の野良着干したり天の川 信州人
現状のデッサン力はこんなところです。
今日は…あもう次の日になってますね。これはどうしてもしなければいけないことがあって、一寝入りしてから書いているからなんです。
「みなとや旅館」が自宅から2時間弱…それなら是非行って話を聞いてくるといいですよ。何でも自分の目で…〝百聞は一見に如かず〟でしょうから。
どんなことでも俳句の肥やしになります…そう思えるようになると、人生にはムダというものがない!ということに。
でも、俳句はそのムダを削るところからうまれる…なんとも面白い(^0^)
〈枝豆の末成ばかり花鋏
うーん、花鋏が主役のような。。。〉
その通り、なんで花鋏なの?…と。実際に花鋏を使ったとしても、それはそれだけのこと。用途を考えれば花を切ってこその鋏ですものね。
ここは作者がその末成りをどうしたかが分かった方が…捨てれば薄情…ならば収穫…さてどうしましょう。鋏を出したのなら摘んだということかしら。
ならば〈末成りばかりなれど枝豆摘みにけり〉とでも…
自宅に芝生もあれば畑もあると…羨ましい!
見回せば私たちの暮しは季語に包まれて成り立っているようなものです。
ただ知らないだけ、気がつかないだけの人がなんと多いことか。
〈秋海棠洗ひざらしの小海線〉…
この句は感性が跳んでますね。しかし、あまり跳ねすぎると、意味不明に…その一歩手前かな。中七が…小海線を知らない人にも連想できるような表現があるといいんですが。
実は私も、小海線は聞いたことがあっても…よく知らないから海の傍を走ってるのかななどと…調べて分かりました。
ローカル線ということはわかりますけどね。
俳句で固有名詞を使う時は余程の注意が必要です。
その地の人だけが分かればいいという句は多くの人の共感が得られませんから。
ということは特殊事情や私的事情というものは句材には不向きということ。
また、頑張ってください。
〈エッ 浅間温泉と下諏訪温泉は違う場所だな 松本と諏訪では場所が違う。〉…
スミマセン!浅間温泉の枇杷の湯は松本でした。「みなとや旅館」がある下諏訪温泉とごっちゃになっていたようです。
確かに松本へも諏訪へも行ったことがあるのに、そのあたりの地理感がなく…さっぱり分かりませんです。
単独で行くから点にはなっても線にはならないんですね。
〈字が間違えているものもあった。コメントの修正は出来ないようだな〉…
私の字が間違っていましたか?変換ミスかな…結構慌てて書いて見直さずにUpすると…よくあります。
でもコメントだし、きっと見逃してくれるだろうと、目を瞑っています。
それでも大きなミスの時などすぐに気がつけば、コメントをコピーしておいて削除し、新規にやり替えますが…。
結構漢字などには気をつけているつもりなんですが、気がつかないことって結構ありますね。
便利になって機械に頼りすぎの弊害かも。辞書を引いて手で書いていたときには確かめながらですもの。
平山郁夫の記念館が山梨にあるんですか。知りませんでした。
広島県尾道の出身地・瀬戸田に美術館があり、そこへは何度か行ってみました…
学芸員は大体それが好きでとか、専攻して学んだからということで志望されるのですから、当然作品や作者に愛着や尊敬の念を持っている方が殆どでしょう。
質問したりすると目を輝かせて説明してくれますもの。
凡人には気がつかないところなどを教えて、鑑賞の仕方まで教わったことがあります。やっぱり〝餅は餅屋〟です。
シルクロード館なら、石仏は日本のではなく中国とかのものですか?
ならば買った?貴重な遺物ならそんな取り扱い方は…
でも日本の浮世絵などの名品もどさくさに紛れて外国へ流出してしまってますから…〝後悔先に立たず〟ですね。
昨夜の句は枝豆やモロッコを読もうとしていましたが、末成りと閃閃の大失態でありました。
身の丈に合わぬ言葉に溺れた次第です。
推敲しまして
枝豆の末成ばかり花鋏
うーん、花鋏が主役のような。。。
「みなとや旅館」
平日は一組限定です。ホームページもあります。
家から、2時間弱、ちょっと一人でもいいかな。
女将さんに会ってみたいですねえ。
考えてみると、去年までお隣の茅野市に月一回の出張があったのでした。
花衣、碧き潮まで読みおえて。清張は知っておりますが、吉屋信子は知らなかったです。
自分も10円、送料300円の愛好者であります。
花衣は・・・は店舗の110円コーナーでした。
しかも蔵書印ありでした。
明日は久々に晴れの休日。
芝刈に畑の整理に、実景に一句読みたいです。
慌てものゆえ、いつも師匠の寛大さに助けられています。
これらは、論理の世界だろうな
天動説ならいざ知らず、地動説なら地球が存在する限り、朝、夜は回る。四季なら春夏秋冬は巡る。気候変動が来ようが、温帯地域なら四季は来るな。音楽でも四季、フォウシーズンは巡る、雨もやがては止む
しかし、過去の教訓からのことわざは倫理も含むな
論理の世界ではなく、一種の謂れだな
ことわざでも論理は当然なことだと思うな
さて返信を入れて置いたが、字が間違えているものもあった。コメントの修正は出来ないようだな
>浅間温泉の「枇杷の湯」だと…今でもあるのか、ネットで調べたら下諏訪温泉にあるようですね。
エッ 浅間温泉と下諏訪温泉は違う場所だな
松本と諏訪では場所が違う。まあ距離はそんなに離れていないが、まあ五十歩百歩か・・・・
枇杷の湯は、立ち寄り湯になったかな
建物と湯は良いがの
>〝言わずに描写〟…これが俳句です
まあ俳句は文字数が17文字で少ない
短歌が80%なら俳句は50%も言えば良いかな
しかし、文字数だけではないようだな
しかも座を囲むと言うがの。一人静かな呟きでもなく、それなりに自己主張いやそっと自己を出すか
〈「日暮れて道遠し 大器は晩成す」 が座右の銘でしょうか〉…
いい諺ですね。私も大好きです。
この諺で次の句を思い出しました。
〈花浴びて七百段はまだ半ば〉
これは香川の金比羅宮の奥の院まで行ったときに詠んだ句なんです。まさに俳句もこれからが勝負だと思っていたときだったんですよ。
信州人さんも焦らず根気よく…絶対大器晩成ですからね。
そう信じましょう…〝信ずる者は救われる〟ですもの。(^_^)
〈末成りの閃閃たるや赤蜻蛉〉…
これは…さっぱりワカラン!
末生りは何の?閃閃の意味は分かるけど…まさか赤蜻蛉が…じゃあないですよね。これデッサン出来てますか?私には赤蜻蛉しか見えてきませんが…。
ところで、田辺聖子さんが泊まったのは「みなとや旅館」…文人宿で有名です。一度泊まってみたいところなんですが…無理かな!
また、久女があの句を詠んだのは浅間温泉の「枇杷の湯」だと…今でもあるのか、ネットで調べたら下諏訪温泉にあるようですね。「鷹の湯」にも行って詠んでいるようです。
いろいろと素敵なところがあって羨ましいです。もし行ってみられた時は、その様子を教えて下さいね。
墓展は間違いです、展墓でした。
日暮れて、道遠し、いまだ恥の多い生涯を送っています。
秋海棠洗ひざらしの小海線 信州人
恥じ入って寝てみます。
ことわざ、大変また勉強になりました。
神を信ずるかと言われれば、信じています。
やんわりと「八百万神」、厠の神様がいるとおもっています。
ことわざではないかもしれませんが、
「日暮れて道遠し 大器は晩成す」 が座右の銘でしょうか。
ただただ馬齢を重ねております。
自分は漫画が大好きなので、古事記をざっと知っているのは漫画からです。
〈岳は八つ勢揃ひして今朝の秋〉
清清しい句をいただきました。まさに職場の屋上から(最近立ち入り禁止)の風景です。
山肌が洗われ、きっと鮮やかな八ヶ岳が見れるのに、残念です。
デッサン、まずは絵もそうですね。
ピカソのデッサンは素晴らしかったとか。
眉は自分でも盛りすぎたと、今朝気付きました(汗
報告にならぬように気をつけます。
プレバトをみて、閃閃を使って中七で切った句です。
末成りの閃閃たるや赤蜻蛉 信州人
序章での久女の墓展のあと、田辺聖子が泊まった宿がわかりました。
いいお宿ですねえ。
だんだん俳句を通じて行きたいところが増えてまいりました。
お天気は降ったり照ったり…がいいですよね。特に畑で野菜などを作っていたら…でしょう?
夏は草との戦いですが、草だって生きて子孫を残さなくっちゃと頑張っているんでしょうから、ここだけは自由に生えて、ここからは進入しないでねと、共存できるといいのに…なんちゃって。(^_^)
詩とかは字数制限がないからで、俳句は17音ですもの。
〝言わぬが花〟なんですよ。読者の想像に任せるということ。
ミルクさんのように想像力の豊かな人には…〇〇だけでも分かるんですよ。
ガンバってね!
こちらは、昨日雨でしたが、今日は☀
土曜日から1週間ほど雨続きと言う事です。
先のコメントで<〝言わずに描写〟…これが俳句です>
難しいですね~。ときたま自由詩を書くときは
全部言いますから、言わずに表現とは
なんと難しい文学でしょうね~