昨日は6月の第3日曜日…そう〝父の日〟でした。それで前日土曜日の句会に〈父の日を知らぬ父なり薔薇生くる〉という句が出ていましたね。
〝父の日〟は、家族を支えてくれるお父さんに日ごろの感謝を伝える大切な日です。〝母の日〟に比べると何となく影の薄い日ですが、その発祥は、1910年アメリカJ・Bドット夫人の提唱によって設けられたんです。しかし、この父の日の式典が一般に浸透するまでには、実に6年もの年月がかかったといわれています。そしてついに1972年、父の日が6月第3日曜日にある国の記念日として、アメリカで正式に制定されたのでした。
日本に父の日が導入され始めたのは1950年代頃。当時はまだまだ認知度が低く、現在のような一般的行事として広まったのは1980年代に入ってからだといわれています。デパートなどの商業施設が販売戦略の一環として父の日を取り上げたことや、有名人の中から「素敵なお父さん」を選ぶベスト・ファーザー賞が始まったことから一般にも広く浸透していったのだと。
また、母の日にはカーネーションというのが定番ですが、父の日にも定番の花があるんですよ。それは薔薇(ばら)。母の日と同じように健在であれば赤い薔薇、亡くなっていれば白い薔薇です。ならば上掲句の薔薇はきっと白でしょうね。
我家ではいつも父の日は外食をして主人への慰労をするのですが、今回はお婆ちゃんの体調がイマイチで、食欲もないと。それで、食事会は延期しましたが、娘と息子からのビールとケーキのプレゼントで何とか…。
ところで、考えてみれば私は母の句はよく詠んでいますが、父を詠んだ句はほんとに少ないんですね。試しに第2句集『甘雨』の中から探してみましたら…以下の4句が見つかりました。
硯洗ふ父の胆気を指先に 平成21年
気短の父へ走り茶供へけり 平成24年
落葉焚く淋しがり屋も父に似て 平成24年
七癖の六つまで父似豆の飯 平成25年
みるとお分かりのように、「胆気」「気短」「淋しがり屋」の父…そして、七癖のうち六つまで私が似ていると。確かに体形から顔、性格まで一番よく似ているのが私だとよく言われていました。でも、子供の頃は父がコワかったですね。要するに昔の〝地震雷火事親父〟時代のそのままの人でしたもの。
今思えば、叱られたことはあっても誉められたこと無かったかな…いや、そういえば最後の頃、私が俳句を始めて句や名前が出ている本を見せると、口では何も言わないけれどとっても嬉しそうに見ていたから、あの世でもきっと悦んでくれていることでしょう、ねえ、お父さん!みんなお父さんのお陰です。感謝していますよ。
写真は、先日の旧殿居郵便局舎に飾ってあった福沢諭吉翁の心訓です。
心訓 福沢諭吉翁
一、世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つと云う事です
一、世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です
一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です
一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です
一、世の中で一番尊い事は人の為に奉仕し決して恩にきせない事です
一、世の中で一番美しい事はすべての物に愛情をもつ事です
一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事です
子供の教育は、母、父には、お願い事は気を使いつつ、そんな生活だったような気がします。直接的なかかわりは、母に、軍配が挙がっている、うわべだけではない、秘められた思いが、母の日、父の日の感謝の気持ちに表されているように思えます。 K.M
末っ子が、6月生まれで、先日二人目が産まれて二児のパパになりました。
夫とは正反対、育休1ヶ月取ってミルク飲ませたりあやしたり。
ワンオペで、仕事してた私は、ムカついてます(笑)
で、おめでとうメールした時「ついでに、パパハピバ」と書いたら
「ついでかーい!」ですって🤪
昔の親子関係は?というと…父というものはやはり大黒柱として家族を守っていましたから威厳があったんですよね。
子どもにとってはただ優しいだけでは人生の荒波を乗り越えていけないと、でも優しさは絶対必要ですからそれを母から…というようにバランスが取れていたのではと思います。
どっちかに偏りすぎると…大体良い結果は生まれていませんものね。
その後脱臼が治って歯の痛みは解消しましたか?
ご主人が〝瞬間湯沸かし器〟だったんですか…それはそれは大変だったでしょうね。(^0^)
でもきっと子煩悩だったのでは?私の父はそうでした。病気や怪我などしたときはもう何はさておいても…医者以上でしたもの。そのお陰で助かったこともたくさん…だから母はお金と病気のことでは父に頭が上がりませんでしたね。
息子さんはそういうお父さんを反面教師にされて…今があるのでは?
時代が変われば夫婦のありようも親子の関係も変っていく、それも仕方のないことかも……