神名火だより

出雲地方・宍道湖周辺で撮影した四季折々の写真です。
時々、自作パソコンの話題もあります。

19年前のイタリア旅行記(6日目)

2011年11月14日 06時44分01秒 | 旅行
6日目(ローマ)



ローマの休日
 朝食後、バスで観光です。昨日の雨は上がり、快晴。まずはコロッセオを目指します。ローマの街は生まれて初めて訪れるのに、なんだか見たことある風景。そうです、あの映画「ローマの休日」でオードリー・ヘプバーン扮する皇女様とグレゴリー・ペックの新聞記者がバイクに乗って街をめぐるシーンの背景です。全く同じ風景。もう何十年も前の映画なのに変わっていない。違いといえば路面電車の有無、交通整理の警察官。コロッセオはローマ時代の格闘技場跡です。ローマといえばコロッセオというくらい有名な観光地です。バスから降りて中に入ると、大きいです。ガイドの説明ではローマ時代には建物の上に屋根として幕が張られていたとのこと。まるで、東京ドームだね。中心の一番深いところは細かい部屋に区切られており、ここにライオンや熊などの猛獣が飼われていたとか。そして、上の競技場に引き出されて、人間との戦いを周囲の客席から見物したらしい。残酷なシーンが演じられた場所だったのでしょう。



ベンハー
 近くの石壁には往時のローマ帝国の勢力範囲を示す解説の壁画がありました。地中海沿岸の西はスペインから、東はイラクあたりまでいかに広大な地域を支配していたかわかります。そういえば、世界史の教科書にもこんな地図が。コロッセオの向かい側はそのローマ時代の遺跡、フォロ・ロマーノです。映画「ベンハー」に出てくるような風景を車窓に眺めつつ、バチカン市国へ移動です。途中、ここが「真実の口」のある建物ですと紹介がありましたが、バスは徐行すること無く走行し、「どこどこ?」と探しているうちに通過して撮影できませんでした。バチカンの入り口には、テベレ川の脇にサンタンジェロの要塞がどっしりと構えています。ここは「ローマの休日」で、水上レストランで王室警護の警官との格闘があった場所。もちろん映画のセットなので橋の下には水上レストランはありませんが、映画のシーンとここも同じです。当然ですよね。2000年の歴史を持つ街ですから、40年前なんぞ、つい昨日のようなものかな。



バチカン市国へ入国
 バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の脇の道にバスを止め、まずはおみやげ屋さんへ。ここはまだイタリア共和国。トイレ休憩を兼ねています。添乗員さんに友人、家族たちにお土産にはどのようなものがお薦めですか?良いショップは?と聞きますと、「バラマキ用ですね。ならば、後でいいお店を紹介しますよ」。ということになりました。サン・ピエトロ広場を取り囲むように列柱があり、その間を抜けてバチカン市国へ入国です。入国審査もビザもありません。広場にはたくさんの信者であふれています。宗教的な服装を身にまとっていますので、巡礼の人たちでしょうか。ここは、キリスト教、カトリック教会の総本山。キリスト教の中心地と言ってもいいでしょう。サン・ピエトロ大聖堂は今まで見てきたいずれのドォーモよりも巨大です。まさにカトリック教会の権威を世界に知らしめるにふさわしい建築物です。



カトリックの総本山は別格
 大聖堂に向かって右側から入場です。ローマ法王が挨拶に出てくるベランダは遥か彼方の上の方にあります。内部はやはり巨大な空間です。奥に進むと4本ねじれた足のベルニーニの天蓋がひときわ目立つ存在です。その下には聖ペトロの聖墓所があり、聖ペテロが眠っている場所です。すなわち、サン・ピエトロ大聖堂とは聖ペテロの墓の上に立てられた寺院です。ミラノ、ベニス、フィレンツェ、いずれのドォーモも内部は暗かったのですが、ここは明るいです。クーポラには明かり取りの窓、その他、照明ライトも備えています。手持ち撮影でもブレません。床面、壁面には様々な色の大理石がモザイク状に組み合わされて幾何学模様を描き、天井はフレスコ画、金箔装飾が施され、豪華絢爛ですが決して華美ではありません。荘厳さを兼ね備えています。




 内部には様々な彫刻がありますが、中でもミケランジェロのピエタは有名です。大聖堂入って右側にあります。処刑され息絶えたイエス・キリストを聖母マリアが抱きかかえる像ですが、大理石から彫り出したとは思えないキリストの肉体の精緻さ、そしてマリアの悲しみを湛えた顔。あまりの美しさに精神を病み、破壊行為に及んだ者もいるとのこと。この彫刻だけは人だかりが凄く、遠くから防弾ガラス越しの観覧です。いったん足を止めて見つめてしまうと、もう動けません。それだけ惹きつけるものがあります。隣接するシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」とバチカン美術館を含めれば、見学にはまる1日かかる、言われるのも頷けます。午後からの自由行動でもう一回来ようというメンバーもおりました。

おみやげは「ベツベツ?」
 バチカンに後ろ髪を引かれる思いをしながら、最後の目的地、トレビの泉・スペイン広場へ向かいます。いずれも「ローマの休日」でロケに使われたところ。近くでバスを降り徒歩でトレビの泉に向かいます。第一印象はこんなに狭いところ!です。映画では皇女様がロングヘアーをカットしてもらう理容店があった所です。背景がバロック様式の宮殿であり、様々な彫刻の足元から水が湧き出、手前の泉に注ぎます。この泉にコインを後ろ向きに投げ入れると入れると再びローマを訪れることができるとか。大理石の彫刻は数年前にクリーニングがされており、快晴の空に眩しいほどの白さです。



 ここから歩いて10分程でスペイン広場、スペイン階段です。途中、露店の八百屋さんを見つけパチリ。色とりどりの野菜が色彩の乏しい石造りの街に映えます。新聞記者がスイカを売りつけられたのもこんな感じ。スペイン階段は皇女様がアイスクリームを食べ、新聞記者が偶然を装い再会するところ。階段には沢山の観光客が座っています。アイスクリームを食べている人はいませんでしたが、階段の下には相対するようにマクドナルドがあります。でも、看板は地味。注意していないと見逃してしまいそう。景観に配慮しているのですね。かつて、ここにマクドが進出するのに反対運動があったような記憶があります。本日の自由行動はここで解散です。添乗員さんから先ほどのお願い、「バラマキ」用のおみやげのお店を教えてもらいました。スペイン階段に向かって右側、少し行った所にあるお店です。革製の小さな財布を幾つか買い求めました。支払が終わり、包装してもらう時に「ベツベツ?」と聞かれました。「ベツベツ」と答えました。日本の風習をよくご存知です。

シエスタも頑張る
 ローマの商店は12時を過ぎると長いシエスタ(昼休み・昼寝)になります。再度開店するのは3時頃。それまではおみやげ購入もできません。昼食を求めてさまよい歩くことになりました。まさか、ローマでマックはないでしょ。スペイン階段に向かって左側方向に歩いて行くとピザ屋さんがありました。四角にカットしてあって、これを購入。グラスワインと共にお店の中で食べます。外のテーブルで食べると別料金らしいです。さらにそのまま真っすぐ行くとオベリスクのある大きな広場に出ました。地図で確かめるとポポロ広場とあります。日本人観光客、それも新婚さんらしい二人が声をかけてきました。「シャッターを押してください」。治安が悪いローマではカメラを渡してシャッターを押してもらうなど、「カメラを差し上げますよ」と同義語だそうです。でも、日本人で新婚さんは雰囲気ですぐに解りますよね。ちょっと安心です。

 ポポロ広場の脇に「Rosati」というオープンカフェがありました。朝からずーっと歩き通し。それも石畳はつかれます。オープンカフェは別料金と知っていましたが。一度は体験してみましょう。席に座るとウエイターがやってきます。メニューを見てコーヒーを注文、ケーキはお店の中に入ってショーケースの中から選びました。支払はレシートを見てチップを含めて適当に加算。初体験は緊張しますね。



今度こそ迷わない
 シエスタが終わる頃、再びスペイン広場方向に戻ります。スペイン広場近辺にはおしゃれなブティックがたくさんあります。イタリアはシルク製品でも有名です。ネクタイとお揃いのシルクのハンカチを購入しておみやげとしました。そのあと「グッチ」も。スペイン広場からローマ駅方向へは一直線にホテルに辿りつけるはずです。ローマの街はオベリスクの立つ広場を中心に放射状に街路が形成され、歩道の街灯に通りの名前が表示してあります。30分くらい歩きましたが、無事にホテルに到着です。タクシーを使う手もありますが、言葉が通じず変なところに連れていかれたら嫌ですよね。ホテルカードを示せば大丈夫ですよと言われましたが、ボッタクリ・タクシーだったらどうしよう。心配ばかりです。


ローマの夜は最後の晩餐
 本日の夕食はカンツォーネディナー。ホテルの外のレストランです。開始が8時ごろ。それまでに時間がありますので、近くのローマ三越で、これがほんとうに最後のおみやげ購入。ここは日本人店員がいますのでなんだか安心です。ホテルに戻ってスーツ・ネクタイで服装を整えバスに乗ってホテルを出発しテベレ川沿いに走ります。レストラン近くでバスを降りて少し歩きますが、夜は治安が特に悪く、バイクのひったくりがいるので、男性が道路内側、女性は道路外側、カバンは外側に持ってくださいと念を押されました。

 レストランに入るとテーブルに着席。小劇場のような内装です。正面に舞台がしつらえてあり、背景にはローマの遺跡が描かれています。お客さんは世界各国からの観光客。食事はフルコース。飲み物はワイン、水、いずれも飲み放題。ローマの夜はゆっくりと過ぎていきます。食事の提供されるスピードもゆっくりです。次がなかなか出てきません。ショーが始まりました。男女合わせて10人位がギター、アコーディオン、タンバリンなどを持って、カンツォーネを歌い踊ります。時には衣装を変えて男性歌手が女装したりして。お客さんも盛り上がってくると、歌手たちは客席に降りてきて記念写真のサービスです。我々が日本人であることが解ったのでしょうか、日本の歌「知床慕情」のサービスもありました。12時過ぎても、まだショーは続きます。さすがに、ツアーメンバーみんな疲れ気味。居眠りする人もいます。添乗員さんが「そろそろ帰りましょうか」。ホテルに帰ってイタリア最後の夜は静かに更けていくのでした。





19年前のイタリア旅行記(5日目)

2011年11月13日 08時25分05秒 | 旅行
5目目(フィレンツェ→ローマ)



道に迷う
 本日午前中は自由行動。昼過ぎにホテルへ集合し最後の目的地ローマへ出発の予定です。我々はミケランジェロのダビデ像の本物を見るためにアカデミア美術館を目指します。地図で見ると、ホテルからドォーモを目標に進み、ドォーモ左側後ろ斜めを進めばあるはずです。でも、間違いなく進んでいるけれども美術館は見つからない。細い道路と周囲には高い建物。方角の基準となるものが無いので、道に迷ったようです。小さな広場に出てきて、標識を見ると、近くまで来ていることは判るのですが、看板がない。日本ならば目立つでかい看板を出すでしょうが、美観を損ねます。きっと、小さくしか表示しないのでしょう。仕方ない、周囲の地元住民らしい人にガイドブックの地図を示して英語でアカデミア美術館を訪ねました。言葉は通じなかった様ですが、地図のイタリア語を見て、「こっちだよ」と教えてくれました。やっぱりすぐ近くでした。無事に到着です。

 アカデミア美術館はミケランジェロのダビデ像が売りですが、正直、これしか見るものが無いとも言えます。その他に宗教的な石像彫刻、絵画がありましたが、ガイドの説明が居ないので内容は「?」。でも、本物のダビデ像は昨日、屋外で見たものとは違い、きれいにクリーニングされており、色白の美男子です。ここを訪れたという証拠の記念写真を撮影して美術館を後にしました。帰り道は至って単純。道路の向こうにドゥオーモが見えます。


ドゥオーモは登山
 次の予定行動、ドゥオーモに登ります。前日に教えてもらった入り口で入場券を購入。ミラノの失敗のようなエレベーターは無いようです。暗い狭い石造りの螺旋階段をひたすら登ります。ところどころに明かり採りの小窓がありますがそれでも暗い。妖怪の出てくる古いヨーロッパ映画みたいで不気味です。周囲の壁には世界中の言語で落書きがいっぱい。むしろ落書きがあることで、我々がここに迷い込んだのでは無いことを教えてくれて安心。ドーム状のクーポラの真下まで来ました。クーポラの内面には宗教絵画が描かれています。何が描かれているのか解らない。予習しておけばよかった。クーポラ部分の上り階段はドームの形に沿うように斜めになっています。斜面に手をつきながらひたすら登ります。まるで岩山登りの登山のようです。通路も狭くなってきました。そして、先に外の明かりが。頂上に到達です。まさに頂上。ここまでの高さが90mもあります。ちょっとした登山ですね。

 そして眺めはまさに絶景。テラス部分はあまり広くありませんがフィレンツェの街を360度見渡すことができます。ジオットの鐘楼が眼下に見えます。昨日訪れたヴェッキオ宮殿、ウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿も確認できます。フィレンツェの街は上から見ると大小様々の建物が密集しているのですが、その全てが、壁の色、高さ、瓦屋根の色調が統一され、美しいの一言です。フィレンツェの語源がフローレンス、フローラ、すなわち「花の街」というのもうなずけます。色的にはドライフラワーですけど。




また道に迷った
 クーポラ登山で腹が空いた。昼食はドォーモ近くのセルフ形式のレストランに入りました。ガラスケースの中の食材を店員さんに器に盛ってもらい後に精算です。ひと通り見渡してもどのような味のものか解らない。名前もわからない。お昼時でお客さんがいっぱいです。急がないと。「ペンネ!」。見た目で名称が解るし、色はトマト味っぽいので取り分けてもらいました。それから、小鉢に小分けされていたサラダを取りました。店員のオバチャンがなにかお薦めを言っているようですが、ここは「ノ」。飲み物を指さして「ヴィーノ、ロッソ」。サラダには得体のしれない、豆腐のような白いものが入っています。食べても味が無い。モッツァレラチーズであることは後日判明しました。

ホテルに帰る時間になりました。小雨も降ってきました。昨日の天気予報が的中です。ホテルの方向はこっちのはず。歩けど歩けど見たことのない街並みになってきます。観光客も減ってきた。雨は激しくなる。心細い。「日本人フィレンツェで行方不明」などということはないけれど、不安でいっぱい。角を曲がると突然に視界が開け、駅が見えました。頭の中で回転していた方向感覚が一瞬に定まりました。ホテルはこっちだ。的中。そうです。ドォーモを後にする時に道を一本間違えていたのです。そういえば、(19年前の)今日は13日の金曜です。

 ホテルロビーに全員集合すると皆ずぶ濡れです。バスに乗り込み、ローマまでは約5時間、雨の中の移動になりました。着く頃には周囲は真っ暗。完全に夜です。宿は「スターホテル・メトロポール」。ローマ駅近くの近代的なアメリカンタイプのホテルです。明日はいよいよ「ローマの休日」。

19年前のイタリア旅行記(4日目)

2011年11月12日 06時58分12秒 | 旅行
4日目(ベニス→フィレンツェ)



ベニスの夜明け
 5つ星のホテルでしたが、結局は寝るだけの場所でした。ガラス窓とブラインドを開けると外には夜明け前の運河と行き交う船・・・・。ではなく隣の建物のコンクリート外壁。遥か彼方の壁と壁の隙間に線状の空が見えます。

 隙間の空が少し明るくなりましたので1階のレストラン脇のテラスに出てみました。昨夜はここにテーブルが出ており、オープンカフェになっていた所です。アドリア海の向こうから運河越しに太陽が昇って来ました。絶景です。この風景が見られただけで5つ星確定。イタリアに来て初めての太陽です。ベランダで写真撮影に興じている間に、他のツアーメンバーも姿を見せ、そのまま朝食となりました。



トスカーナの秋
 朝食が終わるとモーターボートのタクシーでホテルを出発。ローマ広場でバスに乗り込み、次の目的地フィレンツェへと出発です。天気は快晴。トスカーナ地方の緩やかな山並みを縫う高速道路を南下、紅葉で色づいた車窓に秋を感じます。

 約3時間でフィレンツェに到着。まずは、ミケランジェロ広場へ。フィレンツェの街が一望できる展望台です。観光客は必ず訪れる記念写真ポイントで、フィレンツェを紹介する写真は必ずといっていいほどここから撮影されます。現地ガイドさん曰く、「今日は遠くの山まで見えて最高の天気です。1年に数日もないでしょう。あなた達はとってもラッキーです。でも、こんな天気の日の次の日は必ず雨が降ります」とのこと。記念写真タイムの後、バスでフィレンツェ市街中心部へ移動。



 フィレンツェは中世そのままの街並みが残されており道は狭いです。若者が乗る原付バイクがけたたましいエンジン音を町中に響かせ、青白い排ガスが鼻を衝きます。建物の外観、屋根の色は統一されています。見た目の落ち着きとは裏腹に世界各地からの観光客と地元住民の生活感が垣間見え活気のある街です。

 昼食はドゥオーモ近くのレストランでミラノ風カツレツ。そして、本日の宿は「ホテル・バリオーニ」。フィレンツェ駅前のクラシックタイプのホテルです。街の中心部では大型の観光バスでの移動は難しく、ホテルに荷物を預けて現地ガイドと合流、徒歩で観光に出発。

花の都フィレンツェ
 まずは、フィレンツェの象徴、ドォーモ、花の聖母マリア大聖堂を訪れます。ミラノとは異なりドーム状のクーポラがひときわ高く威容を誇ります。建物本体は様々な色の大理石で組み上げられており、華やかな印象です。その上に茶色の瓦が乗ったクーポラがあります。ドォーモの前には八角形のサン・ジョヴァンニ洗礼堂、隣に接するように立つジオットの鐘楼があります。ミラノのドォーモのように手前に広場が無く、狭いスペースに巨大な教会建築が建造されているので、下から見るとより一層威容を誇ります。首が痛くなりそう。この3点セットがフィレンツェ観光の最初の目玉。



 
 八角形のサン・ジョヴァンニ洗礼堂に入ります。内部は広い空間だった記憶ですが、天井の中心に明かり取りの窓があり、そこから落ちる雨水を洗礼に用いた、というガイドの説明がありました。洗礼堂の入り口にはブロンズ製の扉があり、中でも「天国の扉」が有名で、その前には人だかりができていました。修復には日本人の経済的支援があったとの解説でした。ドォーモ内部にも入りましたが、これもあまり記憶がないのですが、この建物は内部よりも外観の美しさが印象的だということでしょう。ガイドさんからドォーモの頂上に登れるので、その入口について案内がありました。明日午前中、自由行動の時間があるので上がってみましょう。



 次に、アルノ川方向に少し歩いて、次の観光ポイント、ウフィッツィ美術館を訪れます。美術館の手前にはヴェッキオ宮殿があります。ここは、現在でもフィレンツェ市の市庁舎で、内部も公開されていますが外観のみを見学。建物前はシニョリーア広場で、ネプチューンの噴水が目を引きます。ミケランジェロのダビデ像もここにありますが風雨に晒されて黒く変色して可哀想。でもこれはレプリカで、本物はアカデミア美術館で公開されています。ヴェッキオ宮殿は石積みの重厚な建物です。最上部がちょっと外に張り出していて、いかにも堅牢な感じです。その上には鐘楼があり、デザイン的に建物本体と同じく最上部が少し張り出しています。




芸術の都フィレンツェ
 ヴェッキオ宮殿の隣がウフィッツィ美術館。細長いコの字型の建物で、中庭部分の回廊の柱には歴史に残る偉人たちの姿が彫刻になっています。ダビンチとミケランジェロもいます。この二人、彫刻ではお互いにそっぽを向いています。ライバルだったのでしょうか。実は、この美術館、予習不足で中に入るまで超有名な作品が収蔵されている所だとは知りませんでした。美術館といえばパリのルーブルくらいの知識。

 ガイドさんと共に中に入りましょう。美術館内部は広い廊下と、それに隣接していくつのも展示室があります。廊下には彫刻が展示されています。展示室に入ると、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」、「春」、レオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」など、いずれも美術の教科書で見たことある絵です。撮影禁止のはずですが、何くわぬ顔して、何枚かパチリ。ガイドさんがそれぞれ有名な絵の所で見所、歴史的背景を解説してくれますので聞き入ってしまいました。廊下からは先程のヴェッキオ宮殿の鐘楼が快晴の空に夕日に照らされて、そびえ立ちます。明日はローマへ、そして帰国。この風景を見ていると「帰りたくないよぉ」という気持ちと、何故だか一抹の寂しさも感じます。




ヴェッキオ橋は縁起が悪い?
 本日の集団行動はここで終了。自由解散です。ウフィッツィ美術館の窓から見えたヴェッキオ橋へ行ってみましょう。ウフィッツィ美術館はアルノ川のほとりに建っていますので、川沿いに歩けばすぐにヴェッキオ橋です。この橋はフィレンツェで最も古い橋で、その上には貴金属を扱う店が軒を並べています。橋上の建物は2階建てになっていて、2階部分はヴァザーリの回廊と呼ばれる通路です。ヴェッキオ宮殿からウフィッツィ美術館を経由してピッティ宮殿まで通じているとのこと。旅行当時は未公開の部分でしたが、現在では人数限定で公開されているとのことです。後にテレビで見ました。

 ヴェッキオ橋に通じている道を歩いていると、いつの間にか橋の上になります。地上のお店と橋上のお店がシームレスにつながっているので、どこから橋なのかよくわからないのです。橋の中心部では川が見えるようになっています。先ほど訪れたウフィッツィ美術館も見えます。記念写真。橋を渡り切り、少し坂を登るとピッティ宮殿です。内部の見学もできるようですが夕方が近くなりましたので、ぼちぼちホテル方向に帰りましょう。ところで、添乗員さんが、「ヴェッキオ橋は新婚さんは渡らないほうがいいですよ」と言っていました。なぜかといえば「別居橋」だそうです。嘘かホントか?。



バールのエスプレッソは美味しい
 途中、ヴェッキオ橋手前の「マドヴァ・グローブ」で革の手袋を購入。お店は小さいですがお客さんがいっぱい。フィレンツェは革製品が特産です。あの有名な靴屋さん、フェラガモもこちらが本店。特に多いのは日本人。若い女の子が「キャー、かわいい」と騒いでいます。同じ日本人として、「うるさいなー」。マドヴァ・グローブではカウンターに肘をついて手を差し出すと、店員さんがちょうどいいサイズの手袋を選んでくれます。指の股の部分を押さえて、フィットをチェックしてくれます。その手つきの鮮やかなこと。革の手袋を購入。日本へカタログを送ってくれるからと住所を顧客カードに記入しました。帰国後しばらくして、通信販売のカタログが送って来ました。

 ヴェッキオ橋を渡って、ヴェッキオ宮殿の前を通り、ドォーモの前まで戻るとツアーのメンバーに遭遇。ホテルはこっちだよねと確認して、ホテル方向に歩きます。夕闇迫って来ました。喉も乾いたしバールを見つけ入ってみました。人のよさそうなおじさんがお店の主人。エスプレッソコーヒーを注文。ぐい呑みほどの大きさの厚手のコーヒーカップに濃厚なコーヒーが泡立っています。素晴らしく良い香り。一口飲んでみると苦い!。砂糖をタップリ入れて飲み干しました。こんな美味いコーヒー、イタリアに来てなんで今まで飲まなかったのだろう。後悔しきりです。妻はジェラートを幾つか味見して注文。すこし舐めさせてもらったら、これもすごく美味しい。



今晩はキャンティ・クラシコ
 本日の夕食はホテルの最上階、フィレンツェ市内の夜景を眺めながらのディナーです。本日のワインはと言うと、トスカーナ地方はキャンティ・ワインの産地。特にキャンティ・クラシコはおいしいとのこと。早速ボトルで注文、皆で分けあいました。キャンティ・ワイン品質証明は瓶の首に巻いてあるピンクのラベルだそうです。これを確認して買えば間違い無いとのこと。ところで、フィレンツェの水道水は飲んではいけません。ミネラル分を大量に含む硬水であり、大量に飲むと下痢をすることがあるそうです。洗面台の蛇口には鍾乳石のようにミネラル分がこびり付いています。夕食のデザートで出された紅茶、ティーパックにお湯を注ぐと紅茶の色が黒っぽい茶色になります。味も少し変。

 ホテルの客室はクラッシクホテルらしく天井に木製の梁が見え、廊下と隔てるドアは木製で何故か2重ドアです。足音を遮るためでしょう。廊下は狭く、入り組んでおり、建物の古さを感じさせます。バスルームの浴槽は西洋映画に出てくる舟形の足のあるやつです。

 夕食時、添乗員さんの話によると、ここのホテルは出るそうです。夜中に。中世の甲冑を着た騎士が馬の乗って、壁の向こうから音も立てずに。そして、すーっと消えて行くそうです。日本のと違うのは足があること。脳天気な私はぐっすりと眠っており、何も見なかったですが、これも歴史のある街のクラシックホテルならではのお楽しみです。

19年前のイタリア旅行記(3日目)

2011年11月11日 06時43分41秒 | 旅行
3日目(ミラノ→ベニス)



あこがれの水の都ベニスへ
 モーニングコールにて起床。ホテル生活にも少し慣れてきました。入浴時には洗濯物も一緒に洗い、ロールケーキのようにバスタオルに重ねて巻き取ります。これを青竹踏みの要領で踏むとほとんどの水分はタオルに吸収されます。あとはバスルーム壁に備え付けの紐に吊るして、換気扇を回しておけば、翌朝には完全に乾燥しています。

 朝食のためにロビーに出てくると、ストライキは終わっているようです。照明は明るく、賑やかにホテルスタッフ達が行き交います。朝食内容も昨日とは全く違います。アメリカンブレックファースト。ベーコン、ソーセージ、スクランブルエッグ、色とりどりのサラダ、飲み物各種。昨日はストライキで“ある物とりあえず物”だったようです。トマトジュースだと思っていた赤いジュースはレッドオレンジのジュースだったと判明。照明が変わると味も変わるのですね。

 本日は朝にホテルをバスで出発、ベニスを目指します。部屋を片付け、スーツ、革靴などをスーツケースに梱包、部屋のドアの前に置きます。ベッドの枕上にチップを置きます。フロントでキーを返却して、ついでに持参のドルを現地通貨リラに両替します。チップを想定して少額のコインも混ぜてもらいます。

 ミラノからベニスまでは高速道路で約4時間。起伏のない平野部を東へ向かいます。今回のツアーでは我々のグループ専用に1台のバスを使います。大型の観光バスに十数人ですので座席はゆったりと使えます。空いている座席は荷物置き場、風景を見たい人は前の方、おしゃべりに興じたい人たちは後ろに陣取ります。ここで注意点。ヨーロッパ大陸では自動車は右側通行です。バスの運転席は左側、乗降口は右側にあります。でも、バスに乗る時、皆が最初のうちは「あれ?入り口がない」となります。

 郊外の工業地帯を抜けると農村風景が広がります。所々、小さな丘の頂上には教会の塔、周囲に街が形成されています。天気は曇り。高速道路のパーキングに立ち寄りトイレ休憩。雰囲気は日本のそれと同じ。違うのはトイレの入口に入れ物がありチップを投入。掃除のオバチャンが愛想よく話しかけてくれます。何を言っているのか不明。とりあえず「ボンジョルノ」。横には売店があり、お菓子、食料品を販売しています。


 ベニスはアドリア海の干潟に浮かぶ島です。そこへは鉄道橋と自動車専用のリベルタ橋を渡って入島します。車が入れるのは島の入り口のローマ広場の駐車場まで。ここでバスを降ります。鉄道の駅もここにあります。世界有数の観光地、露天の土産物屋が軒を連ねています。街には水路が縦横に張り巡らされ、大小のアーチ状の橋が無数の島々を繋いでいます。したがって、車輪のある車、自動車、バイクはここより奥には入島できません。

 

タクシーだって、バスだって船です
 モーターボートのような水上タクシーに分乗してまずはホテルに向かいます。手荷物はポーターさんが船まで運んでくれます。ボートの前半分は操舵席で屋根が付いているのですが、後ろ半分はオープンデッキ。定員は6名くらいでしょうか。風は冷たいものの、写真撮影にはやはり外ですね。

 ローマ広場から狭い水路を船はゆっくりと進みます。テンションはすでに最高潮。カメラのシャッターを切りまくり。風景は異次元の世界です。異なる形の橋をいくつもくぐり、大きな軍艦の脇を抜け、広い水路に出ました。ここはちょっと波がある。モーターボートは速度を上げて目的地へ。前方にサンマルコ広場の高い鐘楼が見えてきました。サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を左に見ながら左旋回。ホテルはすぐ近くです。




ホテルの玄関は水路
 大運河入り口に面する「ホテル・バウアーグリュンバルト」。このツアーの目玉の一つ、5つ星の高級ホテルです。ボートはホテル脇の細い水路を入り、ボート専用のホテル玄関に横付け。さすがはベニス。水路も道路の一種なのですね。



 荷物はホテルのクロークに預け、早速ベニス観光に出発です。日本語の上手なイタリア人の現地ガイドの他に、もう一人イタリア人ガイドも付きます。後で解ったことですが、観光ツアーのガイドには現地人を同行させる決まりがあるそうです。観光産業を生業とするイタリアの規則なのか失業対策なのか。イタリア人ガイドはボディーガードの様に我々のグループを近くから見守ります。時々やってくるスリを追い払ったり、地元住民と挨拶を交わしたり。ホテルからサン・マルコ広場までは徒歩で5分程、広場に入ると正面にはサン・マルコ寺院、右側に鐘楼、周囲は旧行政館の回廊が取り囲んでいます。広場には鳩がいっぱい。出雲大社のように鳩に餌を差し出すと手に乗ってきます。餌を持っている人には恐れない。しばし記念撮影。

サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿は東洋の匂い
 サン・マルコ寺院に入ります。ミラノのドォーモとは異なり、こちらはビザンチン様式。東方のイスラム教の雰囲気も漂います。内部は壁と言わず天井と言わず金箔が貼られており、黄金の装飾が目に眩しいです。カトリック教会とは違った雰囲気です。



 ここで、外に出て昼食。サン・マルコ広場を出て、溜息橋を横に見つつ運河沿いにしばし歩きます。細い路地を入るとレストランです。昼食はベニス名物イカスミパスタ。イカスミ初体験でしたが、味はイカの味。色は真っ黒でしたが、味はなかなか美味しかったです。イカスミを初めて食べた人はきっと勇気があったでしょうね。飲み物はもちろん白ワイン。

 レストランを後にして、再びサン・マルコ広場に戻り、今度はドゥカーレ宮殿の見学。ここはかつてのベニス総督の館です。外部は大理石で豪華絢爛な彫刻が施されています。内部は木の床で木材が多用されています。何故ならば石造りでは建物の重量が重くなり地盤沈下の危険があるそうで、内部は軽く作ってあるそうです。ですから、床を足でドンドンとすると床が若干揺れます。宮殿内部は撮影禁止でしたが、小さなカメラですこしばかり盗撮。宮殿部分はベネツィア共和国の政治の中心であり、民主政治での議会場が往時そのままに残されています。壁には大きな時計と世界地図。ここがヨーロッパ世界と東方との交易の中心であったことを教えてくれます。




ベネチアンガラスにも溜息
 宮殿の隣は運河を挟んで牢獄です。宮殿と牢獄を繋ぐのが溜息橋と呼ばれる石造りの渡り廊下。すなわち、この橋をわたると「娑婆にはもう帰れない」と、溜息の出る場所が名前の由来です。映画では「溜息橋の下でキスをすると永遠の愛が・・・」。橋の上と下、現実とロマンスは雲泥の差ですね。橋の真ん中には小さな窓があり、外の世界を見ることができます。有罪となった罪人ここから外を眺めて溜息を付いたのでしょう。牢獄部分にはベネツィア共和国の繁栄を偲ばせる武器、甲冑などが展示され、軍事博物館のようです。




 次に案内されたのはベネツィアンガラスの工房と売店。工房では職人さんが鮮やかな手つきで溶けたガラスを吹いて膨らまし、引き伸ばし、くっつけたり、切ったり。あっという間に水入れを作り上げました。工房専属のイタリア人ガイドが流暢な日本語で解説をしてくれました。ベネツィアンガラスは作製後、炉に入れて再度加熱するそうです。そうすることでガラスが固くなり、事実、専属ガイドがカンカンと机にぶつけても割れません。まねをするのはちょっと怖い。赤い色は金をガラスに混ぜるのだそうです。

 併設のショップではグラス、花瓶、置物などを売っていましたが、大きなものはとんでもないほど高額です。高さ10cmほどの小さな赤い花瓶を購入しました。もしもグラスを買ったら、これを飾っておける立派な食器棚、そうすると食器棚に負けない立派な家が必要。目の保養に留めましょう。ここでいったん解散。各自自由行動、おみやげ購入に散らばります。



迷宮都市でも迷わない
 ベニスの街は建物の間の路地、小さな島のまわりの運河沿いの狭い通路が迷路のように縦横に走っています。目標になるような高い鐘楼も見えません。一旦道に迷えば、永久に出てこられない迷宮都市の感もあります。でも、心配はいりません。ある程度人通りのある道には名称が付いていますし、交差点となる建物の角には、「サン・マルコ広場→」、「リアルト橋→」のように標識が出ています。もちろんイタリア語ですが声に出さず読むことは可能。道に迷ったら、まずは観光名所を目指しましょう。添乗員さんのアドバイスでした。

黄昏のゴンドラセレナーデ
 日が傾き始めた頃ホテルに戻りました。スーツケースはすでに部屋の中に置いてありました。スーツなどを取り出して皺伸ばしのために吊るしておき、いよいよゴンドラセレナーデに出発です。日が暮れるとやはり寒いです。ちょっと羽織れる服を持ってホテルのロビーに集合。ホテル玄関近くの船着場から3隻のゴンドラに分乗して出発です。狭い通路を船頭さん「ゴンドリエーレ」が巧みに船を操り数メートル幅の水路を進みます。橋の上の人たちと「チャオ」。1隻にはアコーディオン奏者と歌手のおじさんが乗っており、カンツォーネを歌ってくれます。夕闇迫るころ、我々のゴンドラは大運河に出ます。目の前にはリアルト橋。建物前の運河沿いにはカフェの灯りが水面に反射し雰囲気は最高。

 がっかりするお話で申し訳ありませんが、ベニスの運河は生活道路であり、下水道でもあります。したがって、水面にはいろいろなものが浮いています。ベニスが舞台の映画「慕情」。キャサリン・ヘプバーンが主演でした。この映画の中でゴミ箱の中身を運河に捨てるシーンがありました。今はそんなこと無いと思いますが、正直匂いは・・・・。夏は避けたほうが良いと思います。




 ゴンドラがホテルに戻ると夕食までには少し時間があります。今度は街を歩いてリアルト橋あたりまで散策してみます。標識の見方を教えてもらっていますので、道に迷う心配はありません。夜になると道の両側には様々なお土産物屋、アンティークショップ、カーニバルの仮面の販売店などがショーウインドウを明るくライトアップし、まるでお祭りの夜店のようです。昼間よりも観光客は多く、街が華やいで見えます。リアルト橋近くのベニスレースの専門店でおみやげ用にレースのハンカチなどを求めました。ベニスレースはブラーノ島が本場だそうですが、ショップのおばさんがレース模様のモチーフがサンマルコ広場の政庁の窓の装飾に由来していることなどを写真示しながら教えてくれました。ホテルに戻る道すがら、小さな食料品屋さんでミネラルウォーターも購入しました。もちろんノンガスです。

時差ボケにも時差
 夕食はホテル内のレストラン。大勢のお客さんで大変賑やか。近くにはドイツ人らしき団体さん。外国人は食事マナーがしっかりとしているのでお行儀がいいと思いきや、歌を歌うは歓声を上げるやらで騒々しいことこの上なし。我々はまたもやワインで食事。この頃になるとツアーメンバーの中で飲める人同士が同じ席に付くようになります。年齢も同じくらいで話が弾みました。デザート、コーヒーが終わった頃、強烈な眠気が。これが時差ボケか。昨夜は外のレストランでの食事だったので、ホテルに帰る必要がありましたが、今日はここで寝るだけ。緊張が一気にほどけて客室に戻るとシャワーも浴びず熟睡しました。


19年前のイタリア旅行記(2日目)

2011年11月10日 06時57分45秒 | 旅行

2日目(ミラノ)


ミラノの朝、イタリアは
 ミラノ観光初日です。起床して窓を開けると天候は曇り。テレビの電源を入れ、幾つかのチャンネルを切り替えてみます。ニュース・天気予報らしい番組では何を言っているのか解らないが、地図の上には雨マークは見えません。雲と太陽のマーク。まあ、天気は良さそうです。ニュース番組は同じ内容を何度もリピートして放送しています。

 子供向けの番組では、なんと日本製の戦隊ヒーロー物をイタリア語吹き替えでやっています。日本人の子供とオッサンが早口でイタリア語をしゃべる図はとっても違和感があります。コマーシャルでは変形するバンダイの超合金(古っ)のロボットが足から火を吹いて飛んでいます。ちなみに、夜の番組では「関口宏のクイズ100人に聞きました」をやっていました。出演者はもちろんイタリア人。司会者の身振り手振りは関口宏と全く同じ。解答者の机をバンと叩くところまでコピーしています。収録スタジオの観客が「ある、ある、ある」という声も日本のそれと同じです。番組のフォーマットを輸出したものなのですね。

 ホテル従業員は依然ストライキ中。朝食はホテル内のレストランでビュッフェ形式ですが、出されたものはコーヒー、紅茶、パン、バター、ジャム、ハム、変わった味のトマトジュースくらい。とっても質素です。ヨーロッパの朝食はこんなもんだろうと納得して頂きます。でも、今日の活力はこの朝食。幾つかの甘くてパサパサしたパンとコーヒーでお腹を満たしました。

 ツアーメンバーも何となく同じテーブルを囲み、なぜか皆がテレビの話題。「懐かしいアニメをやっていた」。「イタリア語のキャンディ・キャンディは似合っているよね」。「イタリア語の戦隊物は笑っちゃうよね」。同年代の我々は、しばしこの話題で話が弾みました。いったん部屋に戻り、前夜に指定された時刻にロビーに集合。本日の予定をレクチャーされ、バスに乗り込みます。運転手さんには練習どおり「ボンジョルノ」。まずはスカラ座に向かいます。

ミラノ・スカラ座
 ホテルからスカラ座までは一本道のようです。路面電車の走る道にそってバスは走ります。ホテルから同乗した日本人の現地ガイドがミラノの街について、イタリアを代表する商業都市であること、大阪市と姉妹都市であること、ファッション関係のショップはこのあたり、などと説明をします。そうこうするうちにスカラ座に到着です。


 スカラ座周囲の街の風景を写真に撮り、ツアーメンバー相互にカメラを貸し借りして記念撮影。この日の天気は曇りで空気に霞が混じっています。石造りの建物は寒々とした印象です。都会の中心なのでスモッグのようにも感じます。朝一番ということもあり、周囲には観光客はおらず、通勤途中のサラリーマンらしき人々が行き交っています。なんだか場違いなところに来たようで、遠慮がちに写真撮影タイムです。

 イタリアオペラの殿堂であるスカラ座は外から見ると意外に小さな建物です。向かって左側には博物館が併設されています。上演で使われたであろう様々な衣装と共に、歴史に名を残した有名音楽家の肖像、遺品が展示されています。マリア・カラスの肖像画、ショパン、トスカニーニの手の石膏模型、指揮棒、舞台で用いられた小道具のランプ等々。撮影はOKでした。最後に、劇場の中をボックス席から見せてくれました。この時だけは撮影禁止。スカラ座内部は天井に大きなシャンデリア、舞台と1階普通座席の間にオーケストラボックス。周囲は4階まであるボックス席で囲まれています。壁は漆喰のような白で、金色の装飾、座席シート、ボックス席は真紅のベルベットのような光沢を持つ生地で彩られ、まさに豪華絢爛。舞台の上では次の上演に向けて大道具さんが何やら階段のようなセットを組み上げています。




 スカラ座に隣接する建物では工事中のところもあります。工事現場を囲む板には建物をあしらったイラストが描かれています窓には人間まで描かれています。日本のように決して無粋なグレーの鉄板ではありません。街の美観を壊さぬよう意識した粋な計らいが見て取れます。


ドォーモへ、スフォルツァ城へ
 スカラ座の隣はヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世ガレリア。世界でも屈指の美しいゴシック様式のショッピングアーケードです。天井はドーム状の鉄骨にガラスの屋根。床には色とりどりの大理石でモザイク画が描かれています。有名ブランドショップが軒を連ねていますが、午前中の早い時間であり、お店は開店前。通勤の人々が行き交います。床のモザイク画についてガイドさんの説明がありました。

 ガレリアを抜けると白亜のドゥオーモ。ミラノ大聖堂です。ゴシック様式の教会建築を代表する建物で、屋上には135本(もっと多いような気がする)の尖塔が立ち上がり、教会前の広場から見上げると、その大きさ高さは圧倒的迫力です。広場のドォーモの反対側のビルには様々なブランドの看板がひしめき合っています。日本のブランドもあります。



 ドゥオーモの中に入ってみましょう。外観の白さから打って変わって、黒く、暗いです。ローソクの燃える匂いが立ち込め、宗教儀式の場であることを教えてくれます。最も奥、祭壇の周囲には大きなステンドグラスがあり、その色彩の素晴らしさには目を見張ります。ガイドさんの話によると、この色彩は現在の技術では再現できず、補修された部分は色が濁って見えます。戦時中には連合軍の空襲を避けるために分解して安全な所に疎開させたとのこと。歴史と伝統、信仰を守るためには大変な努力が払われたことが解ります。ドォーモ内部の撮影は可能ですが、信仰の場であるのでお祈りしている人にはカメラを向けないで下さいとの指示がありました。



 再度、ここでバスに乗り次の目的地スフォルツァ城へ。白亜のドゥオーモとは対照的に茶色のレンガ造り、重厚、堅牢な要塞です。城門は跳ね上げ式の橋で堀を渡り、場内に入ります。現在では空堀であり、草が生い茂っていますが、その中の所々に戦いに用いられたであろう大きな石が積み上げられ、野良猫が作ったという獣道が一筋みられました。お城は現在では博物館として内部が公開されているそうですが、入場せず建物周囲での記念撮影で終わりました。


 昼食はバスで移動。ミラノの街はドゥオーモを中心とする歴史的町並みと、近代的な高層ビルの立ち並ぶビジネス街、運河が張り巡らされた下町とに分けられるようです。昼食は運河の近くの、ファッショナブルなレストランで頂きました。ここでは水も有料です。日本では水は無料サービスですが、これは世界的には例外。添乗員さんのアドバイスでは安価なハウスワインならば価格は水と変わらない。イタリアは地域ごとに特色のあるワインがあるので、アルコールのいける人ならばワインがおすすめだそうです。ならばと、ツアーの中で飲める人たちはテーブル単位でハウスワインを注文しました。ピッチャーに入ってきたよく冷えた白ワイン。微炭酸で甘口、フレッシュなぶどうの酸味が乾いた喉を潤します。昼間からお酒を飲んでちょっとした罪悪感もありますが、そこは海外旅行の開放感が勝ります。食事代金はツアー代金に含まれますので、飲み物分だけテーブルごとに割り勘で支払いました。このあたりの会計は添乗員さんがうまく取り計らってくれました。

 ところで、イタリアはワインの生産量世界一だそうで、フランスではないのですね。ワインとくればフランスなのは、ボルドーワインを代表として輸出振興つとめた成果だそうです。イタリア人は輸出するよりも自分たちで飲んじゃうので輸出は少ないそうです。

 次に、カメオの専門店へご案内。商店街らしくない住宅地域にあるショップでしたので、旅行客専門に商売をしているお店の様です。購入の義務はないので、ひやかしでも良いとのこと。トイレ休憩のつもりで入店してくださいとのことでした。カメオのブローチなどを手にとって見ましたが、彫りの緻密なものほどかなりのいい値段がします。当然ですね。

最後の晩餐は質素
 再びバスに乗って次はサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。あのレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」を見学です。目的とする教会とは少し離れたところから徒歩で行きます。意外と地味な古ぼけた教会。ここに世界的名画があるとは思えない佇まい。

 教会の中に入るととても暗く、はるか遠くに「最後の晩餐」がありました。ただ、絵の前には修復のための足場が組まれており、全容を見ることは叶いませんでした。撮影は絶対禁止。それでもたまにフラッシュがピカリと光ります。係員の鋭い目付きで睨みつけます。こんなときはストロボの自動発光をキャンセルしておかないと。誰かが冗談に「この光でこの絵の寿命が1秒くらい短くなるかもね」。


 ミラノ観光は一応終了。バスは再びドゥオーモの前まで戻り自由行動になります。夕食の時間までにホテルに戻れば良いです。おみやげ購入はこのあとの旅程もあるので控えめに。ドゥオーモの隣のデパートを見物がてらちょっと覗いてみました。1階の化粧品売り場の香水のきつい匂いに圧倒され、そそくさと店を出ました。日本人の嗜好には合わないようです。

 ミラノのドゥオーモは屋上に登られます。午前中にガイドさんにそう聞いていましたので入口を探して、料金を支払い上にあがりました。階段利用とエレベーター利用では入場料金が違います。もちろん安いのは階段です。狭い螺旋階段をグルグルとひたすら上を目指して登ります。屋上は大理石の屋根の上を歩けるようになっています。屋根部分は傾斜がきついのでヒールのある靴は危ないです。運動靴をお勧めします。ヨーロッパの古い街は石畳が多く、踵の細い靴は足首を捻挫することがあるそうです。あえてゴム底の履きなれた靴を昼間は使いました。大正解です。

 地上からは細く見えた尖塔が間近で見えます。1本1本に細かな聖人の彫刻が施されており、建物の建築学的なすばらしさの他に、装飾の芸術性にも目をみはる物がありました。ひと通り見学して記念撮影。そろそろ下に降りようかということで、何となくエレベーターに乗ってしまいました。階段チケットなのにね。下に着いて係員がチケットを確認すると、実は階段用。屋上へ強制送還。エレベーターは我々を載せたまま再び上にあがります。杓子定規というか。仕方なく階段をトボトボ降りたのであります。



最初の晩餐
 時刻は夕方近く。と言っても11月のヨーロッパは日が暮れるのが早いです。ホテルに戻るに、朝、バスで見た路面電車の姿と建物の特徴を頼りに「こっちの方向でしょ」。歩き始めました。方向音痴ではない自信があります。見知らぬ土地でも、一度歩いた道はたいてい覚えています。この過信が数日後ちょっとしたトラブルになるのですが・・・・。

 途中、ツアーのメンバーの姿を見つけ、「やっぱりこっちでいいよね」。知らない街で、昨日知り合ったまだ名も知らぬ日本人と出会い。不思議な安心感に浸ります。バールに立ち寄り「ビールでも飲もうか」。自由行動の緊張感が一気に解けます。イタリアの街にはそこかしこにバールがあります。日本で言えばコンビニエンスストア。軽食と飲み物も提供されています。レジで先払い。レシートをカウンターの店員さんに渡してビールをもらいました。

 さらに数分歩いて無事ホテルに到着しました。その夜はホテル近くのレストランでディナーです。添乗員さんの指示で夕食は基本的にフォーマルでお願いしますとのこと。昼間のカジュアルな服装から、スーツ、ネクタイ、革靴で服装を整え、徒歩で共和国広場の反対側のレストランへ移動しました。ツアー客一同がテーブルを囲み、これからのツアーの無事を祈って乾杯、食事をしながら自己紹介。飲み物は当然ワイン。

 料理は何を食べたのか、あまり記憶に無いです。出てきたリゾットはお米に芯があり「生煮えじゃないの?」という人と、「日本のリゾットは煮え過ぎでおじや!」という意見も。日本のイタリアンは独自の進化を遂げているようです。最後のデザートにミルフィーユが出てきて、それがあまりにも大きく満腹で受け付けない人が続出。アルミホイルに包んでもらって、ホテルに持ち帰る人がおりました。