神名火だより

出雲地方・宍道湖周辺で撮影した四季折々の写真です。
時々、自作パソコンの話題もあります。

19年前のイタリア旅行記(1日目)

2011年11月09日 06時53分30秒 | 旅行

はじめに

 19年前の平成4年(1992年)11月9日。そう、19年前の今日です。イタリアへ行って来ました。

 海外旅行でそれも新婚旅行。いまさら、そんな昔こと、珍しくもない旅行をブログにしてどうなるの?ですが、撮影したネガがスキャンしたままハードディスクに眠っていました。パソコンで画像処理(フォトショップですが)すると変色が修正でき、これが結構きれい。デジカメ画像にはない粒子感。使ったカメラは以前紹介したNikon FEでレンズはAi AF Nikkor 28mm F2.8S(New)でした。このレンズは旅行のために兄が、ヨーロッパの古い街は狭いから広角が便利と、当時の新品を貸してくれました。

 この旅行はJTB主催イタリア周遊8日間の旅です。往復の飛行機が3日分ありますので実質は5日間ですが。ミラノ→ベニス→フィレンツェ→ローマの順に訪れます。イタリア定番コースでベストセラー商品。ツアーの特徴は基本的に食事付き、全て4つ星以上のホテル。ベニスは5つ星。専用バスで各都市を巡るというものです。まあ、生まれて初めての海外旅行者には安心の、ちょっと贅沢(のつもりの)海外旅行でした。

 とっても長い旅行記ですので、幾つかに分割してアップします。お付き合いください。

1日目(成田→ミラノ)
機上の人へ
 前日夕方、京成スカイライナーで成田空港駅に到着。過激派対策のチェックゲートを通って、成田ホテルフジタ行きのバスに乗る。ここで宿泊。

 朝、ホテルの送迎バスで成田空港へ。途中、再び、過激派対策のパスポートチェックを受ける。11時頃の出発の約2時間前に指定場所に集合。ツアーメンバーは新婚旅行らしい若いカップルが多く我々もその同類です。その他に老年夫婦一組、オバちゃん友達同士、お一人様の老婦人。

 赤いコートを羽織った女性添乗員さんの自己紹介の後、搭乗機の座席をくじ引きで決める。この添乗員さんがこのツアーの帰国までお世話をしてくれました。気さくな方で旅行中、以前の海外ツアーの経験談を話してくれました。

 我々は、進行方向右側の窓際を指定されました。もちろんエコノミークラス。添乗員さんからの情報として、ミラノ経由ローマ行きアリタリア航空は乗務員ストライキのために成田到着が遅れているのこと。したがって、成田出発も2時間程度の遅れになるとのこと。正確な出発時刻は不明であるが、出国手続き後、出発ロビーで待機していてください。機内食の提供も遅くなるので、すこしばかりお腹に入れておいて、免税店でショッピングされてはいかがでしょうかとアドバイス。出発早々のお買い物で財布を寂しくしたくないので、免税店店内をブラブラとウインドゥショッピングで時間を潰します。

 私にとっては初めての海外旅行。旅行ガイドブックを買い集め、予習に予習を重ねて準備に抜かりはありません。結果的には必要以上の大荷物になっていまいましたけれど。夕食時にはフォーマルな衣装をしてくださいとの指定がありましたので、スーツ、ワイシャツ、革靴をスーツケースに詰め込んでいました。このときはお土産分のスペースは空いていました。

 搭乗機はアリタリア航空ボーイング747。しばらくして搭乗案内のアナウンスがありまして機上の人となりました。窓際の座席でユーラシア大陸を眼下に眺められることを期待していましたが、残念ながら主翼の真上。これから13時間、代わり映えのないアルミニウムの大平原に付き合わされることになりました。

 エコノミークラスの座席は国内線旅客機の座席と同じです。すこしばかりのリクライニングシート、折りたたみのテーブル。前の座席のポケットにはディスポーザブルのスリッパ、毛布生地の膝掛け、アイマスク、イヤホン、食事のメニューカードなどが入っています。かつて、日本からヨーロッパ各地への航空機はアラスカのアンカレッジ経由でした。いまではロシア上空をノンストップでヨーロッパへ行けるのですが、13時間を同じ座席で座り続けるのは苦痛です。

 成田を離陸しますと、しばらくは上昇を続けます。やはり国内線とは違います。巡航高度が高いのか、機体が重いのか、上昇にかかる時間も長いようです。

 海外旅行初めての私にとっては機内食も初めてです。かなりウキウキ。水平飛行に移ると飲物のサービスが始まりました。アルコール飲料も無料。アルマーニの茶色のスーツでお洒落なCAさんがワゴンを押しながらやってきます。覚えたてのイタリア語で「ヴィーノ・ロッソ」。通じたようです。赤ワインをいただきました。スクリューキャプの200mlくらいの小さい瓶で、目の前でキャップを開けて瓶を渡されようとした瞬間、私の指先とCAさん指先との間で静電気がバチッ。本当に飛行機の中は空気が乾いているのですね。赤のキャンティーワインは緊張で乾いた喉に心地よくしみわたります。

 昼食となる機内食が提供されます。物珍しさ全開のお上りさんは全部平らげました。ラザニアが硬くなっているのが気になりましたが、おかわりに白ワインもいただき上機嫌。しばしお昼寝です。今だから白状しますけど、機内食のナイフとフォーク、スプーン、無断拝借しました。ステンレス製で裏にはAlitaliaと刻印されています。食器はステンレスのプレス品でいかにも安価。でも、この小ささが使い良いです。旅の記念に持ち帰り自宅で愛用する魂胆です。もう時効ですよね。現在はテロ犯罪に悪用される事があるのでプラスチック製だそうです。今でも我が家の食卓で重宝しています。

 目を覚ますと、窓のブラインドは閉じられて、客室内は暗く、前の壁には映画が上映されています。ハリソン・フォード主演の新作「パトリオット・ゲーム」。日本語吹き替えはありません。イヤホンから英語でセリフを聞きながら、解ったような、解らないような。画面の様子から何となく内容を理解して時間を潰します。ブラインドを開けると、機外は少し暗くなっていますがまだ昼間です。そうこうするうち2度目の食事です。冷やし過ぎてちょと凍ったビールとともに今度も完食。

 食事が終わると、ゆっくりと日が暮れてきました。窓から見える地平線は紅に染まり、天空は深く紺色。ロシアの大平原、あるいは悠久の大河を期待していましたが、主翼の向こうには一面の雲海。旅行ガイドブックを眺めたり、観光紹介映画を見たり、時間を潰してもまだ夕方。なかなか日が暮れません。西行きの飛行機は太陽を追いかけるように飛ぶので、一日がとても長くなります。


 モスクワを通過したとのアナウンス。747が少しずつ減速して高度が下がっていくのが感じられたころ、添乗員さんが我々のツアーメンバーの席を廻って何か伝えていえいます。「ミラノ空港が濃霧のために閉鎖になっているので、状況によっては別の空港に着陸してバスで数時間ホテルまで移動になるかもしれない」。ストライキで離陸が遅れているのにダイバード。先が思いやられます。

 その間も機は徐々に高度を下げ、街の灯が主翼の前縁に見えてきました。機内アナウンスでミラの空港への着陸が告げられました。幸いに空港は閉鎖されず。無事にミラノ国際空港に着陸しました。搭乗機はこれからローマに向かいますので、急いで席を立ちタラップから機外へ。ターミナルへと我々を運んでくれるバスに乗り込みました。

ミラノの夜
 初めての異国は暗闇に包まれています。ミラノの空港は静かで空気は冷たいです。遠く日本から飛んできた747の垂直尾翼は空港の照明に照らされ、ひときわ高く大きく巨大に見えました。成田ではボーディングブリッジからの搭乗でしたので、機体を地面から眺めることは出来ませんでしたが、あらためて下から見上げるとジェットエンジンの力強さ、主翼の大きさに圧倒されました。


 我々を載せたバスはターミナルビルに到着。夜7時頃でしょうか、ミラノといえばイタリアを代表する商業都市。質素な空港ターミナルは意外な驚きでした。先ほどまで空港が閉鎖されていたからでしょうか、お客さんは誰もいません。緊張の入国手続きはパスポートに判子を押すだけ。何も質問はありませんでした。添乗員さんの話によれば、「JTBのバッチを付けていて、お行儀よく私と一緒に居ればフリーパスですよ」とのこと。

 次に手荷物受取り所で預けていた荷物がベルトコンベアーから出てきました。旅行用スーツケースは似たような形・色が多いです。自分の所有物が容易に判るよう、赤いガムテープを貼っておきました。荷物を受け取ると待ち構えていたポーターに渡します。チップは添乗員さんから一括して渡してあるのでバスまで荷物は運んでくれます。実は、この先、イタリア国内ではスーツケースを運んだ記憶がありません。ホテルに着くとスーツケースは部屋のドア前か中に置かれていたのです。本当に至れり尽くせり。


 時差ボケはあまり感じません。でも、私の体の中には日本時間が流れています。日本時間では深夜の3時頃。現地の時計は夜7時。頭が少しボーっとする感じはありますが、これが時差ボケかしらと、あまり気に止めませんでした。まあ、初めての海外で緊張で時差ボケなど感じる余裕がなかったのが事実ですが。

 ホテルに向かうまでバスで約1時間、添乗員さんから旅行中の諸注意についてレクチャーがありました。簡単なイタリア語講座の開始です。挨拶の仕方、数え方、通貨事情。この時は1円が10リラでした。ですから、リラからゼロをひとつ取れば概ね日本円に換算できるとのこと。その他、観光地にはスリが多く、注意を要すること。水道水は基本的に飲まないこと。ミネラル・ウォーターがホテル客室に置いてあるので利用してください。ただし、市販のミネラル・ウォーターには炭酸ガス入りとそうでないもの(ノンガス)があるので、日本人にはガス無しが慣れているので、後者が良いでしょうとのこと。等々、まるで修学旅行の生徒さんに説明するようでした。

ホテルもストライキ
 バスは夜の高速道路をミラノ中心部に向かい進みます。車窓からは工場でしょうか、オレンジ色のナトリウムランプに照らされて、大きな建物と背の高いフェンスが見られます。古いヨーロッパの街並みを想像していましたが、近代的な工業都市のようです。日本と違うのは街が暗いです。

 第1日目の宿は共和国広場近くの「ジョリーホテルツーリング」。アメリカンタイプの近代的な宿です。第一印象はロビーが暗い。このホテルもストライキ中だそうです。その暗いロビーで部屋割りの抽選会。部屋のキーを順番に引いて行きます。部屋番号はポーターに伝えられ、スーツケースは部屋の前に置かれるとのこと。また、本日はミラノ到着が遅れて、当初の予定表に掲載されていたレストランでの夕食はキャンセルして、各自に紙袋入りの軽食が配給されました。その中身はパンにハムを挟んだもの。ペットボトルの水、なにやらお菓子のようなものと果物。お部屋で食べてください。翌朝の食事の時間、出発時間等の連絡事項を伝えられ、各自の部屋に別れて行きました。

 ホテルの客室は日本のシティーホテルと変わりません。窓の外には道路と石造りの建物。バールの小さなネオンサインが路面を照らしていますが人通りはありません。繁華街ではなさそうです。明日からのミラノ観光に備えて入浴後、早々に床につきました。配給のお弁当は、パンが硬くて食べられませんでした。

奥出雲 金言寺の大銀杏

2011年11月04日 23時27分24秒 | 日記

 島根県仁多郡奥出雲町大馬木地区に金言寺というお寺があります。

 前々からここの大銀杏が秋になると素晴らしく美しく黄葉すると聞いていました。昨年は予備知識無しに行ったので、黄葉は終わった後でしたが、ロケハンという事で道順を確認してあり迷いません。

 今年はテレビニュース、新聞で黄葉が始まったと情報を得、11月3日が最盛期ということで出かけました。国道314号線を仁多で折れ、県道25号線を大馬木方向に登って行きます。大馬木の集落に到着すると、はるか遠くからも大銀杏が見えます。
 
Nikon Ai AF Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D

 お寺に近づくに連れ車がだんだん多くなります。すごい賑わいです。車を停めるところもありません。交通整理の警察官、地元の係員に指示された道路脇に路肩ギリギリに路上駐車です。参道を登ると目の前に巨大な銀杏の木。圧倒されます。上り坂で見上げると後ろにひっくり返りそう。


 本堂は茅葺きの小さなお寺です。その前にまさに「ドーン」と立っています。住職さんの計らいで、散った葉っぱは片付けることなくそのままにしてあります。まさに落葉の絨毯。


 お寺の隣に小さな池があります。水がはってあり、水面にお寺と大銀杏が鏡のように写っています。ここの画を撮りたくて沢山のアマチュアカメラマンがカメラの砲列を並べています。私もその内の一人。

 この日は薄曇りでしたが、このカット撮影した数分間だけ日が差してきました。黄葉の葉が黄金色に輝いて見えました。
 水面の反射は肉眼でははっきりとしませんでしたが、撮影画像を見ると、綺麗に反射して写り込んでいます。このカメラの特性でしょうか。


ここまでNikon Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)


 夕方近くになり帰宅の途中、ついでに斐伊川の灘橋に立ち寄り、夕日も撮影。美しい雲は残念ながらありません、ピーカンでした。水面に夕日が一筋の光の道を作っています。斐伊川の砂州がちょうどいい形でシルエットになっています。

Nikon Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
 金言寺前の小川は背景の山々、吾妻山、烏帽子山からその流れを発します。多くの支流の水を集めてこの大きな流れになります。斐伊川の源流は奥出雲町の船通山です。




ヒコーキ

2011年11月03日 12時10分54秒 | 日記

 男性という者、ヒコーキ好きは多いですね。もちろん女性でも好きな方はおられると思います。子供の頃から出雲空港にヒコーキ見物に連れていってもらいました。その頃はYS-11全盛期です。あの甲高いターボプロップの音は聞かれなくなりました。

 出雲空港北側には芝生の公園がありまして、休日ともなると家族連れで賑わいます。滑走路が目前で、ジェット機の離着陸が間近に見られます。大阪・隠岐便の可愛らしいプロペラ機も見られます。


 デジタル一眼レフを購入してすぐにやってみたかったのがこれ。フィルムの現像代を気にすることなく、「バシャ、バシャ、バシャ」快感ですね。いまは見られなくなったエアバスA300です。

 東側からの着陸の瞬間、後輪から白煙が上がるタイミングを狙いましたが、フェンスが・・・・。後日、もっと良いポイントを見つけました。

 滑走路西端でUターンしてエプロンに入る誘導路直前で真正面から。


 芝生の少し小高い部分でフェンスを避けてみました。MD-90


 着陸した後、ジェットエンジンがフルリバースをかける轟音がなんとも言えません。お腹に響きます。天候風向きによっては我が家まで聞こえることもあります。

 ここまではNikon Ai AF Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D

 滑走路西端は細い農道がありまして、東風のときはこちらから着陸します。手を伸ばせば届きそうな距離を737-800が飛び越えていきます。誰かが、石を投げれば当たるんじゃない。と言っていましたが、そんなことは絶対にしないでください。

 Nikon Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
 737は後部車輪のカバーが無いのですね。初めて知りました。空でもむき出しということ。

 滑走路東端、宍道湖側から着陸するシーンも撮りたいのですが、道路があることはわかっているのですが、鎖が張ってある。果たしてこれが車の進入禁止なのか、それとも人の立入禁止なのか解りません。もしかして無断で入って、タイホされても困るし。空港事務所におたづねするのも気が引けるし。まさか「どうぞ、どうぞ」と簡単に許可されるとは思えないし。私にとっては東端は禁断の領域です。