尊敬される人々とは?
利害関係抜きで尊敬される人とは一体どのよ
うな人々であろうか。
諸外国から尊敬される人になるには?
これが本日のテーマです。
結論から申し上げます。
私の数少ない経験ですが、諸外国の人々は、
その人が大地に根を張り、雄大に生きている
人を尊敬するようです。
一方で、根無しく草のような態度や行動こそ
、軽んじられるようです。
海外旅行がこれほどまでに頻繁でなかった時
代には、旅行するには、それなりの準備が必
要でした。
その重要な予習が現地の国の歴史や文化・伝
統を学ぶことでした。
祖国に心理的に根を張り、伝統文化を愛する
ことが、尊敬を勝ち取る一番の早道でした。
日本でいえば、歌舞伎やお茶に始まる伝統文
化を語ること、実演できることが重要でした
。
剣道も柔道も同じです。
しかし、残念ながら、現在は、全て形骸化し
ております。
そこで、今一度、自らの立ち位置を考え、見
つめ直してみましょう。
武道を志す身としては、次の5条を心情として
おります。
ご紹介いたします。
1、至誠を尽くす
至誠というと、現代っ子は、「新選組の旗」
ぐらいにしか思いません。
実は、意味は申し越し深いのですね。
至誠=我が道、一をもってこれを貫く。
初心貫徹の意味合いが強いのです。
2、素直な心=善
善と申し上げたいのですが、「善悪」の善と
勘違いされるので避けます。
素直な心と噛み砕きましょう。
現在、もっともかけている要素ではないだろ
うか。
剣の世界には、「打って反省、打たれて感謝
」とう言葉があります。
まさに、先人の教えに感謝しながら、さらに
咀嚼して自分のものとせよ。
こんな教えと解釈しております。
3、美しくあれ
私の好きな言葉です。
外見的な美しさを超越した「美」です。
仕草の美しさやオーラもこれに入ります。
さらには、香りたつ匂いまでも。
体や所作から立ち上る「美」です。
美しくない剣さばきは、鍛錬不足です。
五感を超えた美しさを追求したいものです。
それには、弛まない鍛錬と心構えが必要で
す。
4、工夫せよ
柳生新陰流に「三磨の位」という言葉があり
ます。磨きたい三要素を紹介してます。
習う
鍛える
工夫する
この三段階にこそ、真髄があります。
剣の道では、初心者に教える一の太刀。
初発刀と呼ぶものです。
これは、一番簡単だから初心者に教えるとい
う誤解がありますが、まったくもって誤解も
甚だしい。
礼と初発刀を見れば、剣士の力量がわかりま
す。
それほど、重要な基礎中の基礎とも言えます
。
初伝を取得した後は、鍛えることとなります
。先人の教えを習得し、それを何万回も繰り
返し鍛錬することで、体で覚えます。
その中から、新し次の道が開けます。
奥伝は、前述の初伝・中伝を終了したものが
、至る「工夫の道」です。
何か奥伝を学ぶと「奥義や秘技」を授けてく
れると勘違いされます。
実は、奥伝とは自己工夫の道です。
これにより、障害工夫の長い道に入ります。
剣の道だけではありますまい。
人生のいろいろな職業のなかに、応用できる
ことでしょうか。
5、健康管理
健全な精神は健全な身体(肉体)に宿る
この言葉は、若いうちは理解できないかも知
れません。高齢域(60歳)に差し掛かると、
重みを増します。
健全・強靭な身体があれば、精神の健全性を
確保できるということを。
以上
5つの項目を見てきました。
これを障害の目標として、学び続けることが、
成長と呼ぶにふさわしいものと考えます。
教えるということも、実は、学ぶことです。
昨今の相撲や柔道にみる「指導者」の衰退に
は目を覆いたい思いです。
教えることが、学ぶことに至らず。
単なる弱者への優越感に至っていしまってい
るのではないか。
先輩後輩の大学生活にも言えます。
本来の道から大きく外れています。
スポーツマンよ、今一度、本来の道に戻りた
いものです。
あなたが始めた頃の「至誠」に。
平成25年7月 誕生日を迎えて 川越芋太郎
追伸
歪められたスポーツ
歪められた武道の道
これは、勝負にこだわるあまり、本来の鍛錬
と自己研磨がなおざりになっていることを指
摘したい。
試合は、アルコールに似ている。
取りすぎると、健全な心身を壊してしまう。
勝つための武道で何が悪いという言動がそれ
です。
勝つだけ(相手を倒す)なら、何も剣も柔も
いりません。
今は銃とう手段があるのですから。
剣道を始め、武道やスポーツの世界で、精神
面の強化を諭す教えが不足しています。
精神=戦前教育=否定の流れは残念です。
長い日本の武道の歴史を学ばなくて、なんの
剣道・柔(術)道・相撲でしょうか
本日は川越芋太郎が誕生日を迎えて、考えた
ことをまとめました。
自己への戒めであり、再確認であり、後輩各
位へのつぶやきです。
ご参考になれば幸いです。
利害関係抜きで尊敬される人とは一体どのよ
うな人々であろうか。
諸外国から尊敬される人になるには?
これが本日のテーマです。
結論から申し上げます。
私の数少ない経験ですが、諸外国の人々は、
その人が大地に根を張り、雄大に生きている
人を尊敬するようです。
一方で、根無しく草のような態度や行動こそ
、軽んじられるようです。
海外旅行がこれほどまでに頻繁でなかった時
代には、旅行するには、それなりの準備が必
要でした。
その重要な予習が現地の国の歴史や文化・伝
統を学ぶことでした。
祖国に心理的に根を張り、伝統文化を愛する
ことが、尊敬を勝ち取る一番の早道でした。
日本でいえば、歌舞伎やお茶に始まる伝統文
化を語ること、実演できることが重要でした
。
剣道も柔道も同じです。
しかし、残念ながら、現在は、全て形骸化し
ております。
そこで、今一度、自らの立ち位置を考え、見
つめ直してみましょう。
武道を志す身としては、次の5条を心情として
おります。
ご紹介いたします。
1、至誠を尽くす
至誠というと、現代っ子は、「新選組の旗」
ぐらいにしか思いません。
実は、意味は申し越し深いのですね。
至誠=我が道、一をもってこれを貫く。
初心貫徹の意味合いが強いのです。
2、素直な心=善
善と申し上げたいのですが、「善悪」の善と
勘違いされるので避けます。
素直な心と噛み砕きましょう。
現在、もっともかけている要素ではないだろ
うか。
剣の世界には、「打って反省、打たれて感謝
」とう言葉があります。
まさに、先人の教えに感謝しながら、さらに
咀嚼して自分のものとせよ。
こんな教えと解釈しております。
3、美しくあれ
私の好きな言葉です。
外見的な美しさを超越した「美」です。
仕草の美しさやオーラもこれに入ります。
さらには、香りたつ匂いまでも。
体や所作から立ち上る「美」です。
美しくない剣さばきは、鍛錬不足です。
五感を超えた美しさを追求したいものです。
それには、弛まない鍛錬と心構えが必要で
す。
4、工夫せよ
柳生新陰流に「三磨の位」という言葉があり
ます。磨きたい三要素を紹介してます。
習う
鍛える
工夫する
この三段階にこそ、真髄があります。
剣の道では、初心者に教える一の太刀。
初発刀と呼ぶものです。
これは、一番簡単だから初心者に教えるとい
う誤解がありますが、まったくもって誤解も
甚だしい。
礼と初発刀を見れば、剣士の力量がわかりま
す。
それほど、重要な基礎中の基礎とも言えます
。
初伝を取得した後は、鍛えることとなります
。先人の教えを習得し、それを何万回も繰り
返し鍛錬することで、体で覚えます。
その中から、新し次の道が開けます。
奥伝は、前述の初伝・中伝を終了したものが
、至る「工夫の道」です。
何か奥伝を学ぶと「奥義や秘技」を授けてく
れると勘違いされます。
実は、奥伝とは自己工夫の道です。
これにより、障害工夫の長い道に入ります。
剣の道だけではありますまい。
人生のいろいろな職業のなかに、応用できる
ことでしょうか。
5、健康管理
健全な精神は健全な身体(肉体)に宿る
この言葉は、若いうちは理解できないかも知
れません。高齢域(60歳)に差し掛かると、
重みを増します。
健全・強靭な身体があれば、精神の健全性を
確保できるということを。
以上
5つの項目を見てきました。
これを障害の目標として、学び続けることが、
成長と呼ぶにふさわしいものと考えます。
教えるということも、実は、学ぶことです。
昨今の相撲や柔道にみる「指導者」の衰退に
は目を覆いたい思いです。
教えることが、学ぶことに至らず。
単なる弱者への優越感に至っていしまってい
るのではないか。
先輩後輩の大学生活にも言えます。
本来の道から大きく外れています。
スポーツマンよ、今一度、本来の道に戻りた
いものです。
あなたが始めた頃の「至誠」に。
平成25年7月 誕生日を迎えて 川越芋太郎
追伸
歪められたスポーツ
歪められた武道の道
これは、勝負にこだわるあまり、本来の鍛錬
と自己研磨がなおざりになっていることを指
摘したい。
試合は、アルコールに似ている。
取りすぎると、健全な心身を壊してしまう。
勝つための武道で何が悪いという言動がそれ
です。
勝つだけ(相手を倒す)なら、何も剣も柔も
いりません。
今は銃とう手段があるのですから。
剣道を始め、武道やスポーツの世界で、精神
面の強化を諭す教えが不足しています。
精神=戦前教育=否定の流れは残念です。
長い日本の武道の歴史を学ばなくて、なんの
剣道・柔(術)道・相撲でしょうか
本日は川越芋太郎が誕生日を迎えて、考えた
ことをまとめました。
自己への戒めであり、再確認であり、後輩各
位へのつぶやきです。
ご参考になれば幸いです。