白と黒のコントラスト、赤の模様がマッチします。
高齢化社会となり、元気な高齢者の話題は脚光を浴び、健康で充実した生活を送る姿は、壮年から初老に仲間入りをした自分にとっても生きる糧となる。一方、人生の終末期はどのように過ごしていくのか、体力が衰え、それと同時に精神面でも気力の低下は否めない事実である。元気な老人がいる反面、認知症と診断され、徘徊が続き、老人介護施設にも入れず、様々な理由で家族と分かれて暮らす独居老人等のルポルタージュが放映されていた(認知症行方不明者1万人!)。
医療の進歩で、寿命が延び、統計の取り方によって、数字は前後するが、今後も毎年150万人以上の認知症となる高齢者が増えるそうで、その対策は介護保険だけでは解決できない多くの問題があるようだ。交通事故に巻き込まれて被害に遭う者、散歩といって家を出たまま行方知れずとなり、餓死する者、帰宅途中で発作を起こし行き倒れとなる者等、徘徊にまつわる悲しい現実は、確実に件数が増えているとのことであった。
釧路市の状況を例として放映されていたが、住民が徘徊者を発見することを街ぐるみで行っていて、行方不明者の発見に成果が上がっているとのことであった。地域のFM放送局と、自治体、警察とが一体となって取り組んでいた。自分が住んでいる地域でも徘徊者ばかりでなく、様々な情報を流してくれているが、徘徊者の発見についてはあまり話題になっていない。
確かに広く地域住民へ周知することは大切な手段であることは間違いないが、釧路市でも当初は個人情報の保護のための法律で、個人情報の開示がブレーキとなったようであるが、自治体の判断で、特例条項を適用することによって、クリアしたとのことであった。
自治体の賢明な判断が功を奏しているといえるが、高齢者の徘徊に対する関係者の関与の仕方は全国的に統一されているとは言えず、未だ改善の方策を探る段階であるといえよう。
幸いなことに一昨日の放映が保護されてから7年を経過して、ご家族が判り、無事にご家族の元へ帰ることが出来たという報道を聴いた。しかし、7年間の歳月の経過は、認知症の症状を悪化させ、言葉も発することも出来ず、寝たきりの状態である。何とも胸が詰まる思いである。この問題は手をこまねいてばかりしていても解決するわけではない。高齢社会の一面を知らしめるだけでは問題提起に過ぎず、釧路市のような住民参加を見習う必要性を感じている。