マガモもそばで見ると大変美しい色彩を持っています。
春の天候は長続きしない。晴天と曇天が交互に続き、曇天の後は降雨となる。湿度の変化気温の変化も大きい。三寒四温の言葉どおりで、体調の管理や服装についても中途半端になりやすい。最近は花粉飛散の状況も天気予報で取り入れられているが、花粉の種類は多く、針葉樹ばかりでなく、雑草や開花する花などが入り混じる。気温が高いと上昇気流が発生するし、それに伴う風が起こり、花粉を遠くへ飛ばそうとするのか、植物の知恵はすごいものがある。
春霞(はるがすみ)は、花粉ばかりではなく、微細浮遊粉塵であるPM2.5などの工場からの排出煙や車両等の排気ガス、黄砂なども関係するようである。本来の霞(かすみ)は、春の朝方や昼間に、遠方にある山などに帯状にかかり、雲のように見えるものであるが、これは地上の水蒸気が上空の冷たい空気に遮られ、水蒸気の塊となって滞留するものである。汚染物質との判断には、実際には成分を収集して調べている。
冬場には風が強く、霞の発生は少ないが、暖かになり、風が弱い場合に起こりやすいようである。北海道の冬場に川面に発生する霞を「け嵐」と呼んでいた。ダイヤモンドダストと同じく、北日本や北海道の厳冬期に発生し、凍らない川面からの水蒸気で、幻想的な雰囲気がある。これは春霞とは異なり、温度差による相の違いによって発生するため、寧ろ結露に近いのではないであろうか。
遠くがかすんだ状況は、何かに遮られて、光が届かずに、陽光や、月光が、届かない状況である曇りに類似していて、空気の透明層に幕がかかったような状況で、はっきりと見通すことができない。いうなれば、湯気でメガネが曇ったようで、晴れ晴れしくないのである。精神状態についても霞がかかったようだといえば、精神状態が正常に機能しないことで、曇っているとされている。
おぼろげという言葉は、おぼつかない、おぼろ(朧)のように、輪郭がぼんやりしたかすんだ状況で、全体は分かるが、核心や細部は明確さに欠く状態をいう。春の月で、おぼろ月があるが、ぼんやりとかすんでいる月である。これによって、優雅さや、曖昧さが表現され、かえって風景としては奥ゆかしさや、優美さを出すようで、日本人好みかもしれない。元来日本人は段階的やグラデーション等、白黒つけない中庸を本位としているが、誤解を招くこともある。欧米人に比べ、曖昧なことが誤解につながっていて、霞に撒くなどとの評価は悪い意味にも使われているようである。