春の陽気に誘われて、カモメもストレッチ中でした。
以前このブログでも紹介したところであるが、函館の名所といわれる函館五稜郭は、星形の形をした幕府が構築した戦争遺跡であるが、函館戦争で津軽海峡を渡った旧幕軍と官軍との間で繰り広げた函館戦争が有名である。ちょっとだけ歴史を振り返ると、草創当時の明治新政府が旧幕軍、諸藩、不平の徒と交戦したのが戊辰戦争である。この年の始めに、鳥羽・伏見の戦争があり、これは、会津・桑名両藩を主力とする幕軍が、鳥羽・伏見で、薩長に破れた戦である。
ついで、徳川慶喜の恭順を喜ばなかった不平の徒が、上野寛永寺に集合し、彰義隊と称する一団となり鎮圧される。同時に会津・庄内の両藩が反抗し、官軍は9月に会津城を陥れ、東北の地を鎮定した会津戦争があった。翌年五月に旧幕府の海軍総裁であった榎本武陽が海軍を率いて函館に走り、五稜郭にて反抗し、力尽きて陥落する。これら総ては、1868年、明治元年戊辰(ぼしん)に起こったので、戊辰戦争といっている。幕府軍が五稜郭を守る位置(背後)に四稜郭がある。土塁を積んだだけの閑散とした場所であるが、歴史を感じさせる遺構である。
函館は北海道の玄関であり、ここから発展したと聞いている。札幌が道庁になるより前の時代である。その意味も含め、函館が北海道の歴史的価値を持つと現在の函館人は内心思っていると感じた。それはともかくとして、観光に力点を置いた行政は、津軽海峡を渡った対岸青森県と協調し、一体化路線を繰り広げているところがポイントで、観光客の誘致に力を入れているようである。
青函トンネルは新幹線用に掘り進めていた頃聞いた話であるが、旧青函トンネル(現在も在来線はこのトンネルを利用している)は二層になっていて、どちらかは軍事用に利用されているという。確かに大型の戦車や軍用車両は対ロシア等を意識した北の防衛の必要性を現していると考えるのは妥当であり、合理性がある。観光の一方で、戦争の痕跡は、函館山に無数に掘られた戦争遺構を見ることでよく分かる。不測の事態に対する戦略地域として、過去の厳しい状況も横たわっている。
今回の新幹線の開業が、多くの観光客等を北海道へ運び、北海道が抱える問題に目が向けられる機会でもある。北海道にはロシア政府との間で北方四島の返還が案件となって久しい。解決の糸口はあるようで、政府も継続的な対話を続け、ビザなし渡航等の関係改善に向けた一層の努力を期待したい。