水の流れのはやい浅瀬でイソシギが飛びながらえさ探しをしていました。
暖かくなるとなにゆえに眠気を誘うのであろうか、春眠暁を覚えずは、文字通り、夜が明け、朝になっても気が付かずに眠り続け、または微睡んで(まどろむ)いる状況を詩にしたのであろう。緊張感が消えうせ、平和そのもののようである。春の穏やかな気温の上昇は、秋も同様な状況があり、小春日和などと呼んでいる。漢文には「邯鄲(かんたん)の夢」があるが、時間にして数分なのであろうが、その一瞬ともいえる短い時間に、途方もない広大な夢を見た話である。
昔、中国邯鄲の町で、盧生(ろせい)が道士呂翁(りょおう)から、思い通りの栄達がかなうという枕を借りて昼寝をした。果たして多年栄華を極めた夢を見たが、夢から覚めるや炊きかけていた高粱(こうりゃん)がまだ煮えていなかったという故事である。つまり、栄枯盛衰のはかなさをいう譬え(たとえ)話として用いられる。別の言葉で、一炊の夢や盧生の夢ともいう。
同様な故事に「邯鄲の歩み」があるのでついでにご紹介しておこう。古代中国の戦国時代に、趙の国の人は歩き方が格好良かった。燕の国の一青年は、趙の都邯鄲に行ってその方法を学んだが、学習の途中で帰国したため、歩き方の方法をを習得しないばかりか、故郷への足取りも忘れて、腹ばいになって帰ってきたという。この故事の意味は、自分の本分を忘れて、他人の真似をすると両者を失ってしまうことの譬えである。何事によらず、学習の途中でやめてしまうと全くの無駄になるということである。
心当たりがある方も多いと思われるが、邯鄲の夢や邯鄲の歩みに象徴される故事には、現代でも通じる人生訓話である。含蓄が深いというか、的を射た話として共通している。球界成功物語の顛末に、覚せい剤におぼれ、その逮捕劇がこのほど紙上を賑わせた。
一寸先は闇とはいえ、うたかたの栄華は決して長続きはせずに、行先どん底への切符を手にする。この切符は栄華の真っただ中にいる者には不思議と見えない。または、目に入らないものであり、どん底に突き落とされてはじめて見えてくるものなのである。
与えられた人生をどう生き様が他人の口出す話ではないが、間違った選択する姿を知ると邯鄲の夢の話が呼び戻される。唱歌青葉の笛で歌われているように、驕れるの平家の公達あわれということであろうか。