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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

相手のあること

2015-03-08 21:23:17 | 国際・政治
修身教育を行って、徳目 (お題目) だけを暗記させても、我々は幸福にならない。社会生活は、相手あってのことである。'自分さ善ければ、、、'の考えでは終わらない。

私の家の前には、中心線のある道路があって、横断歩道がついている。向かいの家に行くときには、私はそこを通ってゆく。横断歩道は歩行者優先であるから安全である。だが、絶対に安全であると言うわけではない。道路上の白線が自動車を阻止してくれるわけではないからである。走ってきた自動車の運転手が横断歩道の手前の停止線で停車してくれるならばという条件がついている。だから、道路交通法ばかりを知っていても、現実の安全は保証されないのである。相手次第であるという条件が常についている。
'武器を持っていなければ安全である' と教える人もいるが、それも相手次第だと教えるべきである。
我が国の '一国平和主義' が成り立つのも、相手国次第であると教えるべきである。
だます人は悪い人である。そうであるならば、だまされる人は善人か。人を信頼するのも、相手次第だと教えるべきである。
'自分さえ善ければ、、、' では、現実は善い世界 (あるべき姿) にはならない。徳のある生活を送るには、常に相手の行為に注意を払うこともまた不可欠である。この注意を怠れば、悲憤慷慨の繰り返しになることを忘れてはならない。

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自分の国は、自分自身で護れ。自分自身の力を示せ。
自国の安全のために、外国人が血を流す事を期待するな。
我利我利亡者 は、理不尽である。日本人は外国の安全のために血を流す用意はできているのか。
虎の威を借る狐に成るな。その根性が汚い。信なくば立たず。

仁王は仏法の守護神である。仁王立ちになって、その強力な力を示す。彼らは不法に対する怒りを示している。が、好戦ではない。
力は正義である。(Might is right.) 弱者の怒りは歌詠みになる。強者の怒りは抑止力になる。
守護神を持たずして法を説くものはむなしい。得意の歌詠みも、ごまめの歯ぎしりに終わるか。
平和はこの世の全てではない。だが、戦争はこの世から全てを奪いとる。だから、戦争を抑止する力は必要である。戦わずして勝つのが、最善なのだ。






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