日本人には意思がない。だから、受動はあっても能動がない。 被害者意識はあっても、加害者意識はない。 恨みはあっても罪の意識に苛まれることはない。 かたき討ちは流行るが、罪滅ぼしは流行らない。
我が国のキリスト教徒はあくまでも日本教徒である。だから、彼らは日本教徒のキリスト派になる。彼らはキリスト教的儀式をするが、それが贖罪の目的であるとは理解していない。だから、彼等の勢力も伸び悩んでいる。 カルトであれば逆に良く伸びる。
日本人は思考を停止している。だから、無哲学で能天気の状態になっている。頭の中に非現実 (考え) の内容がない。ただ目の前の内容 (現実) だけを信じている。形式 (現実) があって内容 (非現実) がない。この状態で割り切ることができれば、日本人の生活は円滑に進む。生まれた時は宮参り、結婚式はキリスト教、葬儀の時は仏式で済ませばよい。これが日本人の脳足りん生活である。
英米流の高等教育の目的は個人の考え (非現実) の内容を生み出すためにある。その考えの内容は文になり、論文として公表される。日本語は ‘写生画の言葉’ ともいわれ、非現実の内容を示さない。だから、わが国の高等教育の成果は伸びが悪い。わが国の高等教育は使用言語を英語に改める必要がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます