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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

小林哲郎氏  

2025-03-20 16:50:02 | 文化

>共同通信   >日本人、影響力工作に弱い傾向 権威主義の説得を受けやすく   >共同通信によるストーリー・   >23時間   

> 日本人は自由や人権に基づく民主主義国で主流の考え方よりも、中国やロシアのような権威主義国が影響力工作に使うメッセージに説得されやすいとの調査結果を、早稲田大の小林哲郎教授らのチームがまとめ、比較政治学の学術誌「デモクラタイゼーション」に発表した。

 

そうでしょうね。わが国の序列主義は権威主義ですからね。   

 

> SNSの普及で、感情や価値観に訴えるメッセージの拡散が権威主義体制の正当化の新たな手段となった。   

>ドイツの調査では、政治の知識が少ない人らが特に動かされやすいとの結果が出ている。   

>だが日本では、受け手によらず一様に影響を受けやすいことが判明。   

 

我が国では上から下まで序列主義ですからね。序列の影響が日本語文法の効果というものでしょう。      

 

>チームは「日本の民主主義に対する脅威となる可能性がある」と警告した。   

 

高低差のある序列主義は水平な民主主義の脅威になりますね。水と油の違いですね。   

 

> 2023年、1879歳の約3300人に国際問題への意見を尋ねる調査を実施。   

>例えばロシアのウクライナ侵攻について、質問文に「欧米側が約束を破ったため」という主張を加えたものを提示し、侵攻への賛否を聞く方法だ。   

> 中国の一帯一路政策や香港の民主化運動も含め12項目を尋ねた結果、権威主義国側のメッセージに意見がより強く引きずられる傾向がみられた。   

 

日本の場合には権威の存在が判断基準になっていますからね。これは受け売りを主体とする日本教育の残念な効果ですね。   

 

 

 

 

 

 

 

 


ヤマザキマリ氏  

2025-03-20 05:59:17 | 文化

>朝日新聞Thinkキャンパス   >「日本人は宗教のように周りの空気に従う『空気教』」漫画家のヤマザキマリさんが語る失敗のススメ   >朝日新聞Thinkキャンパスの意見・   >21時間・   
(略)   
>美術館は「精神のガソリンスタンド」   
>――ヤマザキさんの子ども時代を描いたエッセー『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)を読むと、お母様は音楽家として働きながら、世の中の常識にとらわれない子育てをしてきたのですね。   
>私の母は破天荒そのものと言える人でした。   
>「今日はオーケストラで素晴らしい楽曲をやるから、学校は休んでこちらに来なさい」と平気で学校を休ませる (笑)。   
>子どものほうが「この親、大丈夫だろうか」と心配になっていたほどです。   
>でも、母が学校での教育が子どもを育てるうえで必要なすべてを与えてくれるとは思っていなかったことは、本当によかったです。   
>だから私も、息子の選択肢を狭めることをしないで済みました。   
――お母様の勧めで、ヤマザキさんは14歳でヨーロッパを1カ月間、一人旅していますね。   
>中学2年のとき、進路指導の先生に、「将来は絵が得意なので画家になりたいです」と言ったら「飢え死にしたいのか」とあきれられました。   
>母にそれを伝えた直後、自分が行くはずだったヨーロッパに代わりに行ってこい、とほぼ押しつけられる形で旅に出されました。   
>「旅の最後にはルーブル美術館へ行ってきなさい」という条件付きで。   
>――14歳のヤマザキさんは、ルーブル美術館で何を感じましたか。   
>「絵が人間社会にとって役に立たないものだったら、こんなに立派な美術館も存在するわけがない、そしてこれだけの人々が過去の絵を見に来ることもない」と改めて実感しました。   
>芸術は精神面での栄養を供給してくれる、人々にとってのガソリンスタンドみたいなものなのだ、と。   
>お金に換えられることだけが人間の社会に必要なことではない、ということも痛感しました。   
>表現者というのはメンタリティー面での第1次産業みたいなものであり、音楽家をしていた母にはそれがわかっていた。   
>そのうえでの決断だったのでしょう。   
>失敗のない人間が陥るワナ   
>――そして17歳でイタリアに留学しました。   
>日本では「大学を出るまでは親の責任」と考える人が多いと思いますが、お母様はヤマザキさんの決断に任せたのですね。   
>14歳の旅で、私を家出少女だと思い込んで声をかけてきたおせっかいなイタリア人の陶芸家と、メル友になった母の策略で、突然イタリアへ行かされることになりました。   
>なんでと思いましたが、無理だと思ったらいつでも帰ってきてやり直せばいいのよ、というのが母の言い分でした。   
>「こういう波がきたからには、乗ってみなさいってことよ。   
>失敗を怖がっていたら後悔するわよ」と。   
>グイグイ押されてあらがう余地もなく、こちらも「もうなるようにしかならん。   
>どれ行ってくるか」と。   
>もともと予定調和なんてない家庭環境でしたから、驚きもしませんでした。   
>母は戦争によって、それまでの安定した生活を根こそぎ覆された経験をした人でしたから、表層的な法則性みたいなものを全く信じていなかった。   
>それが彼女の教育にも影響していたように思います。   
>とにかく「失敗や挫折をしないと身につかない力とインテリジェンスがある」というのが母の姿勢でした。   

そうですね。’失敗は成功の母’ ですからね。   

>思い通りにいかなかった失望、屈辱、そういったつらい感情の海を潜りつつも、再び前向きな自分を取り戻すことこそ、人生に絶対不可欠なことだと。   
>まさに戦争を経てきた人間のものの見方と言えると思います。   
>――失敗させることも大切、ということですか。   
>この世の生き物で、合理的に失敗を避けて生きていこうとしているのは人間だけです。   
>他の動物は失敗を何度も繰り返して、危機と接し、生存するための方法を学びます。   
>なので、失敗や挫折を人生に必要のない負のファクターだと捉えるのは、とても危ういことだと思います。   
>水たまりを避けて歩く方法ばかり学ぶと、うっかり水たまりにはまってぬれたり汚れたりしたとき、どうするべきか判断ができなくなる。   
>そりゃ頑張って勉強した結果として良い大学に入る満足感もかけがえのない資産となるでしょう。   
>でもそれだけで満足していてはいけないのです。   
>そのおごりに浮かれていると、人間として身につけるべき他の感情や経験を怠って、不完全な成長を遂げてしまう。   
>世間が決めた法則を上手にクリアし、水たまりを避けて歩ける自負にぶら下がって年をとった大人たちが一体どうなるか、今の社会を見渡せばよくわかるはずです。   
>日本は「空気教」   
>――日本では、就職は新卒一括採用が中心ですから、どうしても企業は大学の名前を重視しがちと思われています。   

日本は序列社会ですからね。序列の判断万能ですね。だから、個人判断は必要ありません。個人主義は育ちません。芸術家は個人判断の人ですから困りますね。               

>それは企業の手抜きだと思います。   
>採用するときに、自分で相手の人間性をじっくり見極めるよりも「〇〇大学を出たから優秀だろう」と学歴に判断してもらうほうが楽ですからね。   
>18年の人生でさまざまな不条理や理不尽と向き合ってきた人物よりも、高等教育を受けてきた大学の保証書がついている人のほうが安心なわけですよ。  

日本は楽で便利な社会ですね。   

>人の価値を3色でしか見極められない人に、100色の彩りを持つ人は理解してもらえませんから。   
>――それに日本では、異質な経験を持つ人は、「出る杭」として打たれてしまいがちです。   
>日本の社会は、島国という条件付きの土地で、遺伝子を繁殖させる良い方法を長い時間をかけて模索してきた結果、調和を優先順位にした構造になったのだと思います。   
>だから調和を乱す可能性を秘めた「出る杭」に対し、他国よりもやたらと神経質なのでしょう。   
>それは日本が長い年月をかけて構築してきた結果なので、仕方がないことだと思うんです。   
>日本人は、お互いに周りの空気を読んで従うのが必須になっていますが、この実体の見えない「空気教」によって調和が保たれているとも言えるので、キリスト教を布教にきた人たちも、戦争の対戦国も皆戸惑ってしまったのでしょう。   
>――「空気教」ですか。確かにその傾向はありますね。   
>イタリアではキリスト教、イランではイスラム教、日本の戒律は「世間」です(笑)。   
>世間様の顔色をうかがいながら生きていくことこそ教育で必要なことであり、個性を伸ばすべき大学ですら調和が求められる。   
>その調和をうまくこなしてきた学生が社会で優遇される。   
>そうした就職の条件から見えてくるのは、日本では大学に入ってどんな特異な人間として巣立つか、ではなく、大学というブランドを保証する存在が求められる、ということです。   
>でも、日本はかつてそうやって高度経済成長を成し遂げてきた国であり、自分たちのそうした体質を維持することで成功を果たした国だとも言えます。   

そうですね。   

>ただ、出る杭を打ち続けていると、ダ・ヴィンチやスティーブ・ジョブズのような時代や文化のイノベーターが現れることはないでしょう。   
>私はジョブズの生涯を漫画にしましたが、彼は社会的には非常に扱いにくい人間です。   
>繊細で頭がよくても性格がゆがんでいて、人を容赦なく傷つけまくる。   
>ありとあらゆる異端としての要素を持っているのですが、だからこそ誰にも思いつかないような発想ができた。   
>疎外と孤独がエネルギーとなる、それはどんな表現者にとっても同じです。   
>そんな彼が職を求めてゲーム会社を訪ねたとき、目に余るほど態度が悪かったにもかかわらず、社長は彼を雇うことにするわけです。   
>ジョブズに傷つけられ、何でこんなやつを、と思う人はたくさんいたけれど、この人でなければ生み出せないものがあるからと、周りは彼の在り方を受け入れた。   
>その結果、アップルが生まれました。   
>ジョブズという人の特異性もさることながら、彼を調和を乱す危険人物として排除することはせず、受け入れた環境と社会もすごい。   

そうですね。’何事も、お変わりのないことはよいことで、、、’ という社会ではありませんね。       

>彼らがジョブズを受け入れなかったら、私たちはiPhoneを手にすることはなかったわけです。   
>教育が命綱になるとき    
>――「この子にしかできないこと」を見いだすために、親にできることは何でしょうか。   
>厳しいことを言うようですが、子どもを使って自分の願いを成就させようとしないことです。   

そうですね。跡継ぎの育成に熱心にならないことですね。老舗の多い社会では、これは難しい事ですね。      

>自分ができなかったことを託される子どもは、それだけで生き方の選択肢を奪われる。   

そうですね。未来の無い若者は悲惨ですね。   

>憧れている大学があるのなら、何歳であろうと自分がその大学に入って学べばいいじゃないですか。   
>やりたいことがあるのなら、自分がその目的に向かって頑張ればいいじゃないですか。   
>子どもはそんな親を見ていれば、おのずと自分も頑張ろうと思うものです。   

そうですね。   

>母が私にしてくれた教育は、母自身が音楽家として、音楽を愛し、くじけそうになっても満身創痍で日々頑張る姿を見せてくれたことに尽きます。   
>娘に自分の欲求を託すことなどありませんでした。   
>母は動物が大好きで、北海道の自然を愛し、ささいなことでいちいち感動する人でしたが、それもまた見ていてほほ笑ましかったです(笑)。    
>――親の生き様が子どもにとって見本になるということでしょうか。   
>人間としての生き方がどんなものなのか、頑張って日々を生きている姿を包み隠さずに見せてあげてください。   
>世界は惨憺(さんたん)たる場所で、長い人生、ひどい目に遭うこともあるでしょう。   
>それでも私たちは知性と想像力を使って強く生きていける。   
>そんな人生を幸せだとかありがたいと思うこともできる。   
>そういう感覚を感受しながら生きている姿を見せることこそ、子どもが将来を生きていく勇気になるはずです。   

そうですね。    

>人と違うかもしれないと思う不安も、夢を諦める挫折も、孤独も、満たされた人生を送るためには欠けてはならないものだということを、親が自ら身近な人間代表として子どもたちに見せてあげてほしいです。   
>そして無駄だと思えるような内容も含む学校での教育も、そのうちどこかで命綱になるかもしれない、ということを知ってもらうのも大事でしょう。    

そうですね。   

>――「教育が命綱になる」とはどういうことですか。   
>私が『テルマエ・ロマエ』という作品を生み出せたのは、大学で油絵の勉強と美術史や歴史を学んだからです。   
>異国での暮らしで10年以上もろくにお風呂に入れなかった枯渇感、日本への郷愁、古代ローマの知識、それが合致してあのような発想につながりました。   
>まさに習得した学習と経験値のマッチングによってできた漫画です。   
>――進路に悩む高校生に、ぜひアドバイスをお願いします。   
>あなたの人生の保証はあなたにしかできません。   
>こんなに頑張ったのに結果が出ないのはなぜなのだと訴えたところで、その責任は社会も家族も持ってくれません。   

‘他力本願・神頼み’ はダメですね。   

>だから、自分の人生は最初から、自分のために、自分の判断で築いていくべきなのです。   
>コスパにタイパが楽な選択なのはわかりますが、それだと羽があるのに飛ばない鳥、走らない馬と同じようなことになってしまうでしょう。   

それは ‘宝の持ち腐れ’ ですね。   

>知性や精神性というのは、人間という生物に与えられた生き延びるための能力です。   
>学歴にとらわれず、時間をかけても、失敗をしても、本当に自分にとってやりがいのある、生きる糧を見つけて、充足感を得られるよい人生を送ってください。   
>ヤマザキマリ/漫画家・文筆家・画家。   
(略)
>(文=神 素子、写真=篠塚ようこ)   

 

 

 

 

 


何もしないほうが得  

2025-03-19 21:30:25 | 文化

>東洋経済オンライン   >「何もしないほうが得」消極的な日本人増える背景   >太田肇の意見・   >4時間・   

>近年明るみに出る企業の数々の不祥事。   

>日本型組織はなぜ一斉におかしくなったのでしょうか。   

>日本の組織を改善させる方法はあるのでしょうか。   

>同志社大学政策学部教授で組織論を研究する太田肇氏の新書『日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか』を一部抜粋・再構成しお届けします。   

>失敗してまでチャレンジしないほうが得   

>衝撃的な調査結果がここにある。   

>「仕事で失敗のリスクを冒してまでチャレンジしないほうが得だと思いますか?」という質問に対し、「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」と回答した人が計65.5%とほぼ3分の2を占めた(n=522)。   

>また「同僚として積極的にチャレンジする人と、周りとの調和を大事にする人のどちらを好みますか?」という質問には、「どちらかというと周りとの調和を大事にする人」という回答が68.2%と7割弱に達した(n=456)。   

>その理由としてあげられたのは、「もめ事を起こしたくないから」「面倒を起こしたくないから」が多数を占めた。   

>いずれも企業などの組織で働く人を対象にした私の調査(NTTコムリサーチに委託し、企業などの組織で働く男女を対象として20222月にウェブで行った調査。   

>拙著『何もしないほうが得な日本――社会に広がる「消極的利己主義」の構造』PHP新書、2022年)の結果である。   

>つぎのようなデータもある。   

>総務庁(現総務省)青少年対策本部が1993年に世界11か国の青年に対して行った「第五回世界青年意識調査」によると、いまの職場で勤務を「ずっと続けたい」という回答は27.5%と11か国のなかで最低にとどまるいっぽう、「変わりたいが続けるだろう」という回答は28.4%と他国に比べて顕著に高かった。   

>この調査から20年以上たった2016年、人的資源管理論などを専攻する経営学者の松山一紀は、同様の項目を用いて全国の「上司がいる部下」1000人にウェブで調査を行った。   

>すると「この会社でずっと働きたい」という回答は25.4%と世界青年意識調査の結果と大差ないが、「変わりたいと思うことはあるが、このまま続けることになるだろう」という回答は40.5%と大幅に増えている(松山一紀『次世代型組織へのフォロワーシップ論――リーダーシップ主義からの脱却』ミネルヴァ書房、2018年、104105頁)。   

>消極的な帰属意識が高まる   

>対象となる年齢層が異なるので単純な比較はできないが、消極的な帰属意識は以前よりいっそう強くなっている可能性がある。   

>それを裏づけるような会計学者澤邉紀生の指摘は興味深い。   

>日本企業の特徴は、予算目標をめぐって、トップとミドルの間でキャッチボールのようにやりとりが繰り返されてきたことにあった。  

>トップは本社の考え方を理解してもらおうとして、ミドルは現場の現実にたって、お互いに理想と現実をぶつけあって粘り強く話し合う、これがキャッチボールの中身である。   

>ここまで時間と労力をかけてキャッチボールを続けてきた背景には、現場を重視してきた日本企業の思想ともいうべき考え方が合(ママ)った。   

>(澤邉紀生「会計と凡庸なる悪」『日本情報経営学会誌』第40巻第12号、2020年)   

>ところが20145月に行われた、城西国際大学の櫻井通晴客員教授と東芝財務部の松永靖弘企画担当グループ長との対談で、松永氏はトップとミドルとの間の「キャッチボール」が減ったことを認め、90年代ころまでは1次、2次、3次とやっていたが、いまは1回で終わらせており、だんだんプロセスを簡素化していると証言している(『企業会計』第66巻第8号、2014年)。   

>東芝の不正会計が発覚する前の年の発言だけに、下からの主張が影をひそめ、一方的な上下関係に変化した組織が不正の温床になった可能性がうかがえる。   

>対談のなかで櫻井教授も述べているように、キャッチボールが減ったのは東芝にかぎったことではなく、日本企業の一般的な傾向だといえよう。   

>このように自ら行動しないし何も言わないという態度が、組織のなかで働く人たちの「常識」として定着、もしくは定番の処世術として徐々に浸透してきているようである。   

 

安全第一ですね。雉も鳴かずば撃たれまいということですかね。   

 

>さらにその「常識」は組織で働く人だけでなく、日本社会全体に広がっている可能性がある。   

>それを印象づけるシーンがあった。   

20178月に行われた夏の高校野球選手権大会の開会式。   

>選手の入場が終わり、選手たちは各校のプラカードを掲げた女子生徒の後ろに並んだ。   

>球場全体が静寂に包まれるなか、一人の女子生徒が突然、バッタリと倒れた。   

>周りの選手や生徒たちがただちに助けに行くかと思いきや、だれ一人として自分から助けようとしない。   

>しばらくたってようやく大会関係者に救護され連れられていった。   

>自ら行動しない態度が広がる   

>このシーンはテレビの画面に映し出されたのでひときわショッキングだったものの、けっして特殊なケースではない。   

 

触らぬ神に祟りなしですね。火中の栗を拾うのは怖ろしいことですね。     

 

>電車で痴漢に遭ったとき周囲の人は皆知らぬふりをしていたとか、雨のなかで倒れても目の前の人はだれも助けてくれなかったという体験談は山ほどある。   

>むしろ助けてくれたという話が感動的な美談として語られたり、警察から表彰されたりするくらい「珍しい」のである。   

>いずれにしても日本人の間に、自ら行動しないという態度が広がってきていることはたしかなようだ。   

 

そうですね。日本人には意思がないですからね。優柔不断、無為無策ですね。      

 

>そして、それは少なくとも短期的には個人にとって合理的なのかもしれない。   

>一般に、人は過去の経験や想像にもとづいて損得を計算する。   

>自ら行動することのプラス面としては獲得できる有形無形の報酬がある。   

>そこには具体的な利益のほか、達成感や自己効力感(やればできるという自信)、周囲からの評価や承認、だれかのために役立てたという満足感など、心理的・社会的な報酬が含まれる。   

>いっぽう行動することのマイナス面としては、心理的負担感や周囲からの嫉妬・反発、注目されることの恥ずかしさ、想定外のリスクに対する恐れなどがある。   

>これらプラス面とマイナス面を天秤にかけ、マイナス面のほうが大きいと判断すれば行動を控える。   

>「見て見ぬふり」をするのもその一つである。   

>時間的な余裕があればそれを頭のなかで冷静に計算するが、余裕がない場合は直観的に判断する。   

>このように個人にとって「何もしない」という選択にはそれなりに合理性がある。   

>しかし見方によれば、きわめて利己的な態度である。   

>なぜなら、それは「自分がしなくてもだれかがやってくれる」という甘え、あるいは「どうなってもしかたがない」という考え方につながるからである。   

 

他人の事は知ったことではないですね。   

 

>別の表現をすれば共同体の一員としての責任を果たさず、ただ共同体の一員としての恩恵にあずかろうとするフリーライド(ただ乗り)の姿勢だともいえる。   

 

そうですね。安保ダダ乗りというのがありましたね。      

‘、、、本田様は、砂漠にただ一人、自生されたわけではありますまい。二十世紀の日本という社会に生まれ、何の権利もないのに、その社会の恵沢と栄誉を、当然のこととし負うておられます。従って本田様が「幼児であったから」「責任がない」と「いわれるなら、日本の伝統文化、それにつづく現代社会の恵沢と栄誉を受ける権利も放棄されたことになります。 、、、’ (イザヤ・ベンダサン: 日本教について)   

 

>だから私はそれを「消極的利己主義」と呼んでいる(前掲、拙著『何もしないほうが得な日本』)。   

>社会システムに何らかの欠陥   

>「消極的利己主義」は、だれもが同じ態度や行動を取ったら組織が成り立たないので、普遍性に欠ける行動規準だといえる。   

>にもかかわらず、それが個人にとって合理的だということは、有形無形のインセンティブが不足しているか、負のインセンティブが大きすぎるわけであり、社会システムに何らかの欠陥があることを意味している。   

 

序列社会の評価方法は減点主義ですからね。負のインセンティブだけが大きいですね。   

 

>ただ、積極的すなわち作為による利己主義に比べて、不作為による利己主義は気づかれにくく、問題を見えにくくしている。    

>たとえていえば、公金を盗めば犯罪になるが、税金を滞納してもただちに犯罪になるわけではないのと似たようなものだ。   

 

そうですね。それは用意周到というか未必の故意ですね。[未必の故意: 犯罪事実に対する確定的な認識・認容はないものの、その蓋然性を認識・認容している状態。容疑者は最初は確定的な意図はなくとも、犯罪となるような事実が発生してしまい、もしもそうなっても構わないという心理状態]       

 

 

 

 

 

 

 


びーやま氏  

2025-03-19 08:36:09 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >【東大落ち早慶落ち】大人になっても「学歴コンプレックス」を抱える人が見落としているシンプルな原因   >びーやまによるストーリー・   >1時間・   

>「大学受験」は10代における最大のイベントです。   

>残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。   

>それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。   

>そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。   

>本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。   

>本記事では発刊を記念して本文の一部を抜粋・再編集してお届けします。     

>社会に深く根付く「学歴コンプレックス」   

> 受験生である皆さんにコンプレックスはありますか?   

> 僕はたくさんあります。   

> しかし、コンプレックスというものを気にしているのは本人だけで、まわりの人は皆さんのコンプレックスをなんとも思っていないことがほとんどです。   

>その意味では、皆さんのコンプレックスに一番厳しいのは皆さん自身だったりします。   

>複雑ですよね。   

>自分で自分を許せないわけですから、これほど大変なことはありません。   

 

それは都合の悪い事ですね。   

 

> このコンプレックスの代表格と言えば、「学歴コンプレックス」が挙げられます。   

>学歴コンプレックスを抱えた大人は世の中にたくさんいます。   

> そういった人は、こちらからはなにも言っていないにもかかわらず、「私はバカ大学出身なんで……」と必要以上に卑屈になるか、「学歴なんか関係ない!」とわざわざ学歴を引き合いに出して自分を誇示しようとします。

 

序列人間は辛いですね。   

 

> どちらのケースにしても悲しいですよね。   

> はっきり言うと、この「学歴コンプレックス」は別のものでは上書きできません。   

>つまり、学歴コンプレックスは学歴でしか克服できないのです。    

> これまでも社会ですばらしい実績を収めているのにもかかわらず、「僕は東大落ちなんですけどね...」や「早慶にも入れなかったんですけど...」のようにわざわざ口にする人にたくさん会ってきました。   

> その人の生み出した「たしかな実績」と「受験結果」には直接的な関係はないわけですから、そんなこと言わなくてもいいのにといつも思います。   

> このように、もし皆さんが一度学歴コンプレックスを抱えてしまうと、その後、まわりがなんと言おうと皆さん自身が自分を許せないので、なにをしても心にモヤモヤが残ります。   

>ですから、受験生である皆さんは今のうちに勉強を頑張りましょう。   

 

序列人間の辛い運命ですね。    

 

>「学歴ロンダリング」と揶揄する悪しき文化   

> ちなみに、大人になってから大学に入り直したり、大学院に通いはじめる人がいます。   

>こういった大人は、ちゃんと学歴コンプレックスを克服しようと努力をしていてすばらしいと思います(もちろん普通に勉強がしたくて行く人も多いです)。   

> こういった大人を「学歴ロンダリング」と揶揄する文化がありますが、「バカにするくらい悔しいなら自分も行けばいいのに」と、僕は思います。   

> 大人になってから学び直そうとしている人は社会のルールに則って、自分に向き合っているわけです。   

>他人のことしか見えず、「学歴ロンダリング」と叫んでいる人とどちらが優秀な人材なのかは言うまでもありません。   

> なお、ここで注意してほしいのは、学歴コンプレックスの解消方法は必ずしも「第一志望に入ること」だけではもちろんないということです。   

> 東大や京大、早慶といった名門大学ともなれば落ちる人のほうが多いわけです。   

>でも世の中にはそれでも幸せに人生を送っている人がたくさんいます。   

>その理由は希望が叶わずとも通った大学を楽しめたからです。   

> これは言いかえれば、自分の進学先を「新しい正解」にできたということです。   

>とてもすばらしいことだと思います。   

> ただ、こういった幸せをつかむためには、そもそも大学受験で全力を出し切るという前提が必要です。   

>「もうこれ以上は無理」と思えるほど、やり切ったからこそ、その先で選んだ道を正解にできるのでしょう。   

>「なんとなく進学」だけでは決して手に入れることのできない、本当の幸せです。   

> ですから、受験生にはぜひ全力を尽くしてほしいと思っています。   

>「大人になったら学歴なんか関係ない」という大人がいますが、そんなことはありません。   

> 自分で決めた目標に向かって努力を重ねた時間はかけがいのないものです。   

 

学歴は学問に名を借りた序列修行ですね。言葉のはき違えがわが国の学問の低迷を固定化しています。      

 

> そんな血の滲む努力をして手に入れた大学生活や学歴がいらないものなわけありません。   

 

日本人は序列人間ですから序列が必要です。   

 

> 自分自身に向き合って、一歩ずつ成長していきましょう。   

>びーやま[著]   

>教育痛快バラエティ番組・YouTubewakatte.TV』のツッコミ担当。   

>早稲田大学教育学部卒。   

高校時代の偏差値は37だったが、1年間の浪人を経て早稲田大学に入学。   

>大学時代は起業・自主退学・復学など、さまざまな経験をしたのち、大学受験のすばらしさに気づき現在に至る。   

>甘いルックスと鋭いツッコミ(たまにポンコツ)で視聴者の心を掴んでいる。   

>決め台詞は学歴モンスターの相方・高田ふーみんを制止する「ヤメロオマエ」。   

>高田ふーみん[協力]   

>教育痛快バラエティ番組・YouTubewakatte.TV』にて「学歴至上主義」を貫く学歴モンスター。   

>京都大学経済学部中退(現役合格)。   

学歴を絶対の価値基準とする偏った思想を持つヒール役として受験生や大学生を中心に人気を博している。   

>決め台詞は「Fランやないか」。   

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。    

 

・・・・・

 

子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。

英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。

子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。

 

英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。

未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。    

意思を表すと加害者意識も経験することになる。

それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になる。   

深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。     

事故の原因究明がうやむやにはならない。

 

魂の救済を必要とする人も出て来る。   

贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。   

こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。   

だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。   

 

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。

日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言語であるとも言われている。   

日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。   

だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。   

嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

 

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

 

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。   

難関出身者が序列社会で優位に立つことばかりを気にしている。

世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

 

 

 

 


北極海航路  

2025-03-18 21:28:27 | 文化

>現代ビジネス   >トランプ大統領が「ウクライナ戦争停戦」を急ぐ理由…それは中国の「ロシアへの影響力増大」と「北極海航路・大戦略」牽制のためだった   >鈴木衛士 (元航空自衛隊情報幹部) によるストーリー・   >13時間・   

>アメリカ・今後開催される可能性のあるトランプ、プーチン首脳電話会談のゆくえなど、その結果に世界中の注目が集まっている。   

>トランプがプーチンにディールを持ちかけた理由   

>ここに至るまで、なぜトランプ大統領はプーチン大統領に直接ディールを持ちかけたり、ウクライナのゼレンスキー大統領を挑発して結果的に軍事支援の一時停止に踏み切ったりしたのだろうか。   

>それには、このトランプ政権が企図している重大な国家戦略が関わっていると私は考えている。   

>後述するようにロシアはこのウクライナ戦争によって、結果的に中国に大きな借りを作り、中国はロシアに対して優位な立場に立った。   

>すなわち、中国にとってこのウクライナ戦争が継続することはウエルカム(歓迎すべきこと)だ、ということに注目してほしい。   

>ウクライナ・ロシアはもちろん、疲弊しつづける欧米と比較して、このウクライナ戦争で最も利を得ているのは中国と言って差し支えないのだ。   

>その証拠に、中国はロシアへの兵器や軍民両用の補給物品の提供や原油購入などによってロシア経済を支えることの見返りに、ウクライナ侵攻より13ヵ月後の20235月、沿海州の軍港でもあるウラジオストク港において越境の通関手続きなどを経ずに利用できる権利をロシアから得た。   

>これは、従来では考えられないような特権だ。   

>だから、中国はこれまで欧米諸国から期待されながらも、積極的にロシアに働きかけて停戦の仲介をしようとはしなかったのである。   

>戦争でロシアが困窮すればするほど、中国のロシアに対する影響力は強まることになる。   

>そしてこれが、トランプ政権がウクライナ戦争をできるだけ早期に停戦させようとしている最大の理由だと考えられる。   

>アメリカは中国によるロシアへのさらなる影響力拡大を阻止しようとしているのだ。   

>なぜなら、ここには、東アジアからカムチャッカ海峡を抜け、ロシア北岸に沿ってヨーロッパに続く「北極海航路」すなわち、2017年、習近平国家主席のロシア訪問時にプーチン大統領との間で合意された、「氷上のシルクロード構想」という、中国の重大な戦略が関わっているからにほかならない。   

>この北極海航路に関して最も影響力を有しているのがロシアであり、東アジアにおいては、前述のウラジオストク港が本航路上の極めて重要な拠点となる。   

>この使用権を中国はこの戦争によって獲得することができたのだ。   

>トランプ大統領が「このバカげた戦争を1日も早くやめさせる」と口にするのには、このような背景がある。   

>「北極海航路」がもたらす地政学的変化   

>この「北極海航路」については、これまでは自然環境が非常に厳しく、氷の面積が縮小する夏期のかなり限定された期間しか通行できなかったが、近年は地球温暖化の影響から、年々通行可能期間が長くなってきており、将来的には通年通行が可能になるとみられている。   

>中国が、この「氷上のシルクロード」構想によって、東アジアからヨーロッパまで「北極海航路」を使うようになれば、マラッカ海峡からスエズ運河を通る「南回り航路」に比べて4割もの距離短縮が可能になり、輸送量は飛躍的に伸びる。

>これは、地球上に地政学的な変化をもたらし、この権益は世界情勢を一変させることにつながるだろう。   

>今後、米中が最も火花を散らすのは、この航路における権益の獲得競争においてだと考えなければならない。   

>トランプ大統領が「今後は中国への対応に集中するため、ウクライナ戦争への支援から手を引く」、と口にするのには、このような意味が込められているのである。    

>トランプ政権は、この戦略の重要性に気付いており、何としてもこの主たる権益を米国が握らなければならないと考えている。   

>これが、地球温暖化に後ろ向きな姿勢や、グリーンランドを米国の権益下に置く、というようなトランプ大統領の言動となって表れ、ウクライナ戦争を早期に終結させてプーチン大統領に貸しを作ることで自らの影響力を強め、逆に中国のロシアに対する影響力を弱めようという行動につながっていったのであろう。   

>これを考えると、ロシアに対する米国による経済制裁も、プーチン大統領とのディールの結果次第では解除する方向に進むかもしれない。   

>そしてわれわれが特に注意しなければならないのは、この米中の戦略が今後の軍事的動向にも強い影響を及ぼすということである。   

>対馬、津軽、宗谷の国際海峡の重要性が浮上する   

>現在、日本は中国に対しては何より「台湾有事」をクローズアップしているが、当の中国はもっと先を見据え、広い地域を視野において、軍事的戦略を構築しているのではないか。   

>それは、何よりこの「氷上のシルクロード構想」に基づくものだろう。   

>今から15年ほど前、中国は東シナ海の日中中間線付近における油田開発を活発化させ、この調査を行っていた海上自衛隊のP3Cに戦闘機を緊急発進させるなどしてこの海域は緊迫し始めていた。   

>そして、20129月、わが国の尖閣諸島国有化に中国が強く反発したことによって、この東シナ海は一気に緊張の度合いを強めた。   

>ところが、わが国と中国が東シナ海で火花を散らしていることに世界が注目する中、中国はこの陰で南シナ海の島々を埋め立てて要塞化し、虎視眈々と南シナ海の権益拡大を狙っていたのである。   

>今回も、中国は同じ手法を用いている可能性がある。   

>この構想の重点地域は、東シナ海から日本海、そして太平洋からアラスカ方面へ向かう航路である。   

>そしてまさしく、これこそが私が警鐘を鳴らしてきた最近の中露合同パトロールの経路となっている。   

 

そうですね。   

 

>ゆえに今後は、対馬、津軽、宗谷といった国際海峡が、スエズ運河やパナマ運河のような重要性を帯びてくるに違いない。   

>日本海の重要性は今までとは激変する可能性がある。   

>中国の爆撃機や戦闘艦艇(潜水艦を含む)はすでに日本海で活動を始めている。   

>中国の空母艦艇群が日本海で活動する日もそう遠くないだろう。

 

そうですね。    

 

>わが国は、防衛戦略上「尖閣防衛」や「台湾有事」などをにらんで今は南西方面を最も重視しているが、この米・中・露の動向に着目して、そろそろ根本的にその国家戦略を見直すべき時期に来ているのではないだろうか。

 

そうですね。中国は昔万里の長城を人力で作った国ですからね。とにかく中国人の構想の規模はとてつもなく大きい。       

中欧班列 (Trans-Eurasia Logistics), 一帯一路 (The Belt and Road Initiative) 等、日本人の着想と行動では真似ができませんね。   

日本人が神経を集中させるのは、盆栽、箱庭、一坪庭園あたりですからね。政治の構想にはなりませんね。      

 

>・・・・・   

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。