>ダイヤモンド・オンライン >【東大落ち…早慶落ち…】大人になっても「学歴コンプレックス」を抱える人が見落としているシンプルな原因 >びーやまによるストーリー・ >1時間・
>「大学受験」は10代における最大のイベントです。
>残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。
>それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。
>そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。
>本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。
>本記事では発刊を記念して本文の一部を抜粋・再編集してお届けします。
>社会に深く根付く「学歴コンプレックス」
> 受験生である皆さんにコンプレックスはありますか?
> 僕はたくさんあります。
> しかし、コンプレックスというものを気にしているのは本人だけで、まわりの人は皆さんのコンプレックスをなんとも思っていないことがほとんどです。
>その意味では、皆さんのコンプレックスに一番厳しいのは皆さん自身だったりします。
>複雑ですよね。
>自分で自分を許せないわけですから、これほど大変なことはありません。
それは都合の悪い事ですね。
> このコンプレックスの代表格と言えば、「学歴コンプレックス」が挙げられます。
>学歴コンプレックスを抱えた大人は世の中にたくさんいます。
> そういった人は、こちらからはなにも言っていないにもかかわらず、「私はバカ大学出身なんで……」と必要以上に卑屈になるか、「学歴なんか関係ない!」とわざわざ学歴を引き合いに出して自分を誇示しようとします。
序列人間は辛いですね。
> どちらのケースにしても悲しいですよね。
> はっきり言うと、この「学歴コンプレックス」は別のものでは上書きできません。
>つまり、学歴コンプレックスは学歴でしか克服できないのです。
> これまでも社会ですばらしい実績を収めているのにもかかわらず、「僕は東大落ちなんですけどね...」や「早慶にも入れなかったんですけど...」のようにわざわざ口にする人にたくさん会ってきました。
> その人の生み出した「たしかな実績」と「受験結果」には直接的な関係はないわけですから、そんなこと言わなくてもいいのにといつも思います。
> このように、もし皆さんが一度学歴コンプレックスを抱えてしまうと、その後、まわりがなんと言おうと皆さん自身が自分を許せないので、なにをしても心にモヤモヤが残ります。
>ですから、受験生である皆さんは今のうちに勉強を頑張りましょう。
序列人間の辛い運命ですね。
>「学歴ロンダリング」と揶揄する悪しき文化
> ちなみに、大人になってから大学に入り直したり、大学院に通いはじめる人がいます。
>こういった大人は、ちゃんと学歴コンプレックスを克服しようと努力をしていてすばらしいと思います(もちろん普通に勉強がしたくて行く人も多いです)。
> こういった大人を「学歴ロンダリング」と揶揄する文化がありますが、「バカにするくらい悔しいなら自分も行けばいいのに」と、僕は思います。
> 大人になってから学び直そうとしている人は社会のルールに則って、自分に向き合っているわけです。
>他人のことしか見えず、「学歴ロンダリング」と叫んでいる人とどちらが優秀な人材なのかは言うまでもありません。
> なお、ここで注意してほしいのは、学歴コンプレックスの解消方法は必ずしも「第一志望に入ること」だけではもちろんないということです。
> 東大や京大、早慶といった名門大学ともなれば落ちる人のほうが多いわけです。
>でも世の中にはそれでも幸せに人生を送っている人がたくさんいます。
>その理由は希望が叶わずとも通った大学を楽しめたからです。
> これは言いかえれば、自分の進学先を「新しい正解」にできたということです。
>とてもすばらしいことだと思います。
> ただ、こういった幸せをつかむためには、そもそも大学受験で全力を出し切るという前提が必要です。
>「もうこれ以上は無理」と思えるほど、やり切ったからこそ、その先で選んだ道を正解にできるのでしょう。
>「なんとなく進学」だけでは決して手に入れることのできない、本当の幸せです。
> ですから、受験生にはぜひ全力を尽くしてほしいと思っています。
>「大人になったら学歴なんか関係ない」という大人がいますが、そんなことはありません。
> 自分で決めた目標に向かって努力を重ねた時間はかけがいのないものです。
学歴は学問に名を借りた序列修行ですね。言葉のはき違えがわが国の学問の低迷を固定化しています。
> そんな血の滲む努力をして手に入れた大学生活や学歴がいらないものなわけありません。
日本人は序列人間ですから序列が必要です。
> 自分自身に向き合って、一歩ずつ成長していきましょう。
>びーやま[著]
>教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』のツッコミ担当。
>早稲田大学教育学部卒。
>高校時代の偏差値は37だったが、1年間の浪人を経て早稲田大学に入学。
>大学時代は起業・自主退学・復学など、さまざまな経験をしたのち、大学受験のすばらしさに気づき現在に至る。
>甘いルックスと鋭いツッコミ(たまにポンコツ)で視聴者の心を掴んでいる。
>決め台詞は学歴モンスターの相方・高田ふーみんを制止する「ヤメロオマエ」。
>高田ふーみん[協力]
>教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』にて「学歴至上主義」を貫く学歴モンスター。
>京都大学経済学部中退(現役合格)。
>学歴を絶対の価値基準とする偏った思想を持つヒール役として受験生や大学生を中心に人気を博している。
>決め台詞は「Fランやないか」。
日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。
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子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。
英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。
英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。
子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。
英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。
未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。
意思を表すと加害者意識も経験することになる。
それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になる。
深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。
事故の原因究明がうやむやにはならない。
魂の救済を必要とする人も出て来る。
贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。
こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。
だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。
日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言語であるとも言われている。
日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。
だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。
嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。
当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。
難関出身者が序列社会で優位に立つことばかりを気にしている。
世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。