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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

尾生の信

2015-05-20 06:34:11 | 国際・政治
尾生という男は、ガール・フレンドと橋の下でデイトをする約束をした。約束通り、橋の下で待っていたが、女は現れなかった。そのうちに川の水かさが増してきたが、彼は去らなかった。ついに、彼は橋脚にしがみついていたが、しまいには流されて命を落としたそうである。

尾生は、川の増水など想定外の約束の文言だけを信じていた。約束を守れない理由など考えてみたことも無かったのであろう。意思が無いので、約束違反には説明責任がとれない。愚直では、生きる力に乏しい。ただ、無念であると泣くばかり。

意思があれば考える。そして、能動的に活動する。失敗すれば、深く反省もする。反省した理由もたつ。進歩が有る。
意思は未来時制の文章内容で、特亜三国の言語には時制が無い。だから、日本人・韓国人・中国人には意思が無い。

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75,000人以上の将兵の命を救った。太平洋戦争末期に、日本軍は米空軍の飛来を許して、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲を受け、死者10万を超す被害を出した。
アメリカ軍の責任者は、自らの意思を示して兵士を救ったが、日本軍の責任者は、自らの意思を示すことなく民間人を犠牲にした。優柔不断・意志薄弱。自ら望むことなく、危機に陥る民族か。

愚直の生活は楽でない。我々日本人は、増水の中で橋脚にしがみついて、危ういところで助かったようなものか。




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妄想と幻想

2015-05-19 16:10:50 | 国際・政治
日本人の向上心の表われは、新憲法前文に出ている: 国際社会に於いて、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

科学者の間違いは、科学者により訂正されなくてはならない。宗教家の都合で科学に介入するのは善くない。
歴史学者の間違いは、歴史学者により訂正されなくてはならない。政治家の都合で歴史書に介入するのは善くない。

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)




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意思のないこと

2015-05-15 22:05:56 | 国際・政治
文法とメンタリティ (考え方) の間には、密接な関係が有る。
各民族で言語は違う。だから、'日本の常識は、世界の非常識' ということもありうる。
意思があれば、個人・個人で違う。だから、個人を意識せざるを得ない。個人主義も成り立つ。
意思がなければ、個人は見えず、すべての動きが自然の流れに見えている

キリスト教関係の本では、'神のみこころ' という言葉が出てくる。'神のみこころ' というのは、'神の意思' のことである。だから、キリスト教では、一人の神の意思の内容を大切にしていることがわかる。独断専行の善さか。
我が国の神様は大勢いるが、自己の意思の内容を表さない。毎年、全ての神様が出雲に集まって談合をしているらしいが、意思決定は無いようだ。民主的のようであるが、意味が無い。

プログラム通りに動くロボットを信用するか。それとも、心のある人間を信用するか。どちらを取るか。
予定通りの玉砕・特攻隊となるか。それとも、自分の頭で考え直す余地が有るか。
考え直すことのできる人は、信頼できる。これは、優柔不断・意志薄弱と同じことではない。考え直すということは、文章の筋を考え直すことである。
自分自身の考えが無い '愚直' ではだめだ。'黙って俺についてこい' と言われたら、どうするのか。
この人は、わかっちゃいるけどやめられない状態にある。信なくば立たず。

日本人には意思が無い。だから、意思の自由を認めようとすれば、恣意の自由を認めたことになる。これはとんでもないことになる。
意思には文章内容が有る。筋が有る。恣意は文章にならない。筋が無い。説明責任はとれない。国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。この状態には、今も昔も変わりがない。

日本人は、この世の内容を、事の次第と成り行きで説明する。
個人に意思がなければ、責任の話は出て来ない。
とかく、この世は無責任。

意思がなければ、自由が利かない。
危機に及んで、座して死を待つ。
望まずして、危機に陥る民族である。
優柔不断・意志薄弱。意思の内容が無ければ自滅する。一億総玉砕で死ぬ。

意思は未来時制の文章内容である。
日本語には時制が無く、日本人には意思の内容が無い。
だから、意思決定が難しい。

意思のある人には、加害者意識も、被害者意識も有る。
加害者意識のある人は、深い反省をする。自分自身で以後の行動を改める。
意思の無い人には、加害者意識 (罪の意識)は無い。被害者意識だけで生きているアニマルのようなものか。浅薄である。安らかに眠ってください。過ちは何度でも繰り返しますから。
意思の無い人には、被害者意識を持たせて、以後の行動を改めさせるしかない。だから、調教・お仕置きで行く。

自由とは、意思の自由の事である。
日本人には意思が無い。だから、自由もない。
自由といえば、恣意の自由しか思いつかない。これは、'自由の履き違い' になる。
恣意 (私意・わがまま・身勝手) は、どこの国でも認められていない。
恣意には、滅私奉公で対処する。
不自由を、つねと思えば不足なし。
再び元の出発地点に戻るのか。




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日本人気質

2015-05-15 05:29:30 | 国際・政治
日本語には時制が無い。
日本人の脳裏には、実況放送・現状報告の内容 (現実) しか入っていない。
'世の中は、、、' (現実) の発想法しかない。'あるべき姿' (非現実)の内容が無い。
'あるべき姿' の判断が、'ものの上下' の判断に置き換えられている。
'世の中は、、、、、、' の発想法によれば、'いずこも同じ秋の夕暮れ' に見える。
深刻な反省はどこを探しても無い。だから、浅薄に見える。

日本語には階称 (言葉遣い) が有る。
日本人は絶えず序列的判断を迫られている。だから、序列的価値観を持っている。世俗 (現実) の上下にとらわれている。
その価値は、個人の一挙手一投足の行動の中にまで浸み込む。現実的な現人神のようなものか。序列順位昇進の喜びは大きい。
他人の褒め言葉もうれしい。自己慶賀もよい。これは、おめでたいことである。
下と見られた時の怒りも、また激しい。喜びも悲しみも、見えと外聞で決まる。自己が無い。
謝罪をしたらワン・ランク・ダウンと考える。自分の価値判断を上げるとは考えられない。
かくして堪え難きを堪え、忍びがたきを忍んで、国際社会において名誉ある地位を占めたいと願う。




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相手を見る

2015-05-13 06:28:52 | 国際・政治
意思の内容は、個人・個人で違っている。だが、日本人は、優柔不断で意志薄弱である。意思の内容が無い。もしも、親友・同盟国に自分の意思を尋ねられたらどうしよう。相手のポチになるか。
もし意思というものが無いならば、相手の意思を見極める必要は想定外となる。'自分さえよければ' という独善的な教義のみが栄えて、無防備の状態になり、危険極まりない。めくら、蛇におじず。

もし意思というものが日本人に有るならば、相手の意思をも十分注意して見るようになる。横断歩道の白線は自動車の侵入を阻止するものではない。侵入するしないは、相手次第できまる。だから、横断歩道をわたる時には、相手の運転手をよく見なければならない。
平和憲法で我が国が守れるのは、相手国にその理解が有る場合に限る。平和憲法の条文そのものが戦争を阻止するわけではない。だから、相手国の意思を十分確かめなくてはならない。




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