超!久しぶりの岩村城の石垣レポートの続きです
その1 その2
この9月の岩村登城ののち
安土や姫路に行きました。
そのレポートもありますので、急がなければ!
すっかり、半年前になってしまいそうですが・・・
その間に、小説や新書・マンガなどで
岩村藩や戦国・東日本の動きを勉強しました。
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一見、片田舎の岩村ですが(失礼!)
どうして、その山の中に、こんな壮大な山城が築かれたのか・・・
(岩村は、岐阜県の恵那峡から愛知県方面に入ったところ)
織田信長が叔母を嫁がせたり、息子を養子に入れたりする必要があったのか?
地図だけ見ると、不思議でなりませんが
戦国時代の覇権争い
織田信長VS武田信玄
その境界にあり、二つの勢力に翻弄されたのが
ここ、岩村
それ以前の古き時代にも
伊豆に本拠を置いていた、加藤景廉
…源頼朝の寵臣
平氏滅亡後に、遠山荘(岩村周辺)を与えられ
嫡男の景朝から遠山の姓を名乗ることになりました。
(桜吹雪で有名な
遠山の金さんも、その子孫です)
何の変哲もない山村に移動させられたら、左遷
と思ってしまいそうですが
実は、この遠山荘
大変な利権をはらんでいたのです。
キーワードは、木 曽 川
木曽川上流の豊富な山林
それを下流に運び、遠く京阪神などにさばかれます。
上流域の木材 → 木曽川で運ぶ → 下流域から各地へ → 寺社仏閣・城などの建築資材へ・・・
木曽川は、天然かつ巨大な流通システムであったのです。
加藤景廉は、本拠としていた伊豆地方で
山林経営のノウハウを培っていたようですし
織田氏においては、信長の父の代に、木曽川下流域で勢力を伸ばしてきた経緯もあって
木曽川上流域は、どうしても手に入れたい土地であったようです。
(秀吉の墨俣一夜城なんて、まさに、木曽川が味方したようなもんですよね)
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そんなわけで(あまり説明になってませんが)
岩村には、難攻不落といわれるような、頑丈な山城が築かれたようです。
ほんと、ここに来てみると
一見、戦国の勢力分布図からはぐれたような、こののどかな場所に
どうして、こんな立派なお城があったんだろうと、不思議な気持ちになるのですがねえ。
前投稿の、立派な構造の大手門を過ぎると、
先ほどまでの「山道」から、一気に、お城の大手道らしくなります。
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道の両側に、立派な石垣が並んでいます。
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地図を見ると、ここは屋敷跡となっています。
手前の大手門の所にある、三重櫓が
外部の使者と接触する場所になっていたようですから
ここら辺は、岩村城のプライベート空間になっていたのでしょうか。
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岩村城には、井戸が沢山あったようで
こちらは、竜神の井
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向かって左側の敷地が、
八幡曲輪
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写真の真ん中の坂道が
八幡さんへの参道で
階段の先に、八幡宮と二重櫓がありました。
八幡宮には、八幡神と
遠山氏の始祖の加藤景廉が祀られていたそうです。
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大手道はさんで、八幡曲輪の反対側には
霧が井という井戸があります。
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城主専用の霊泉で
敵が攻めてきたときに、城内秘蔵の蛇骨をこの井戸に投じると
たちまち霧に覆われて城を守ったと言われています。
この井戸の裏手が、二の丸になっていて
(つまり、大手道から見て、八幡曲輪の反対側の奥)
さらに、その向こうに、包み込むような形で本丸があります。
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二の丸は、現在は私有地になっており
鬱蒼とした山林と化していました。
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唯一、二の丸のランドマーク的存在
菱櫓
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見ての通り、ひし形
鈍角になっていて、優しい印象だけど個性の光る石垣です
そして
菱櫓越えたら、いよいよ
お待ちかねの、本丸
石垣ファン待望の壮大な風景が待っています
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~~~ つ づ く ~~~
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この9月の岩村登城ののち
安土や姫路に行きました。
そのレポートもありますので、急がなければ!
すっかり、半年前になってしまいそうですが・・・
その間に、小説や新書・マンガなどで
岩村藩や戦国・東日本の動きを勉強しました。
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一見、片田舎の岩村ですが(失礼!)
どうして、その山の中に、こんな壮大な山城が築かれたのか・・・
(岩村は、岐阜県の恵那峡から愛知県方面に入ったところ)
織田信長が叔母を嫁がせたり、息子を養子に入れたりする必要があったのか?
地図だけ見ると、不思議でなりませんが
戦国時代の覇権争い
織田信長VS武田信玄
その境界にあり、二つの勢力に翻弄されたのが
ここ、岩村
それ以前の古き時代にも
伊豆に本拠を置いていた、加藤景廉
…源頼朝の寵臣
平氏滅亡後に、遠山荘(岩村周辺)を与えられ
嫡男の景朝から遠山の姓を名乗ることになりました。
(桜吹雪で有名な
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何の変哲もない山村に移動させられたら、左遷
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実は、この遠山荘
大変な利権をはらんでいたのです。
キーワードは、木 曽 川
木曽川上流の豊富な山林
それを下流に運び、遠く京阪神などにさばかれます。
上流域の木材 → 木曽川で運ぶ → 下流域から各地へ → 寺社仏閣・城などの建築資材へ・・・
木曽川は、天然かつ巨大な流通システムであったのです。
加藤景廉は、本拠としていた伊豆地方で
山林経営のノウハウを培っていたようですし
織田氏においては、信長の父の代に、木曽川下流域で勢力を伸ばしてきた経緯もあって
木曽川上流域は、どうしても手に入れたい土地であったようです。
(秀吉の墨俣一夜城なんて、まさに、木曽川が味方したようなもんですよね)
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そんなわけで(あまり説明になってませんが)
岩村には、難攻不落といわれるような、頑丈な山城が築かれたようです。
ほんと、ここに来てみると
一見、戦国の勢力分布図からはぐれたような、こののどかな場所に
どうして、こんな立派なお城があったんだろうと、不思議な気持ちになるのですがねえ。
前投稿の、立派な構造の大手門を過ぎると、
先ほどまでの「山道」から、一気に、お城の大手道らしくなります。
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道の両側に、立派な石垣が並んでいます。
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地図を見ると、ここは屋敷跡となっています。
手前の大手門の所にある、三重櫓が
外部の使者と接触する場所になっていたようですから
ここら辺は、岩村城のプライベート空間になっていたのでしょうか。
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岩村城には、井戸が沢山あったようで
こちらは、竜神の井
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向かって左側の敷地が、
八幡曲輪
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写真の真ん中の坂道が
八幡さんへの参道で
階段の先に、八幡宮と二重櫓がありました。
八幡宮には、八幡神と
遠山氏の始祖の加藤景廉が祀られていたそうです。
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大手道はさんで、八幡曲輪の反対側には
霧が井という井戸があります。
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城主専用の霊泉で
敵が攻めてきたときに、城内秘蔵の蛇骨をこの井戸に投じると
たちまち霧に覆われて城を守ったと言われています。
この井戸の裏手が、二の丸になっていて
(つまり、大手道から見て、八幡曲輪の反対側の奥)
さらに、その向こうに、包み込むような形で本丸があります。
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二の丸は、現在は私有地になっており
鬱蒼とした山林と化していました。
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唯一、二の丸のランドマーク的存在
菱櫓
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見ての通り、ひし形
鈍角になっていて、優しい印象だけど個性の光る石垣です
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そして
菱櫓越えたら、いよいよ
お待ちかねの、本丸
石垣ファン待望の壮大な風景が待っています
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~~~ つ づ く ~~~