京都大原紫葉工房便り

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山口旅行 その7 萩本陣と朝のお散歩。

2013-11-10 21:13:34 | 妻!日記

「山口旅行 その6」の続きです。

3月27日朝の出来事・・・

 

萩でのお宿は、萩本陣という温泉宿でした。

他にも安くて良い宿はたくさんあったけど、

私の妄想・・・どうしても朝のお散歩で松本村を歩きたい、という

つまらん夢のために、結構高いお宿に泊まりました。

 

旅行に行くと、枕が違うためか、朝はや~くに目が覚めました。いつものこと

船旅で疲れていたけど、やっぱり5時台に目が覚めてしまって・・・

朝風呂に行きました。

風邪が治りきってなかったために、体がのぼせたようになっていたけど、

風呂に入ったら、さっぱり元気になったので、やはりお散歩にいきたくなりました。

 

松本村は、吉田松陰公の生まれ育った場所です。

もちろん、松下村塾・松陰神社も松本村です。

萩本陣の場所も、おそらく松本村(川をはさんでいるから微妙だけど)

ほんのすぐねきです。

  お宿からの景色

 ↑ 松陰神社はこの辺        ↑ 萩城のある指月山

家族4人は起きそうにもなかったし・・・

6時半、こそっと部屋を抜け出し、松本村のお散歩へと出かけました。

 

しっかし

もう、6時過ぎたら、宿は始動しているもの、と思っていましたが、

(お風呂は入れた)(冬時間というのもあるかもしれない)

フロントはまだなのですね。

かろうじて警備員さんらしき方がいたので、お散歩の旨を伝えて、出かけました。

 

外に出ると、雨

けっこう降っている

 

部屋に戻りたかったけど、かなり面倒くさかったので、

フロントで傘を借りて行きました。

 

てくてくてくてく

宿は高台にあるから、とりあえず、下の道まで坂道をくだり・・・

一般道に出てからは、まったく距離感がないから不安なんですが、

とりあえず、地図を見て、こっちかな、という方向に歩いて行きました。

人の歩いていない時間に、知らない土地でうろうろしていたら、不審がられそうで嫌なんですが、

そういう人通りもなくて寂しい・・・

 

5分ほど歩くと、萩藩主の菩提寺の東光寺前に到着

 もちろん閉まってます

ちょっと隙間からのぞいてみると・・・どきどきしますね。

東光寺の向かいの畑でおばさんが草引きをしてはって、会話

寂しいときの、こういう挨拶は心に残ります

ちょっと松本村に馴染んだ気になり、元気が出ました。

東光寺の横から松陰神社方面に向かい道には、民家が並んでいます。

こういう一般ゾーン?を早朝にうろうろするのも、不審者っぽくてドキドキします。

レキジョっぽいかな

 

少し行ったところに・・・

松陰公のスパルタ叔父さん・玉木文之進の家がありました。

スパルタで有名、というのも気の毒な感じですが

幼少時の松陰公が・・・

叔父さんの講義中に、汗をかいて、ハエがブンブン飛んできて、かゆかったから、顔をかいたら・・・

「公私を混同するんじゃない」と無茶苦茶にぶん殴られて、どつかれたという。

母親がその姿を見て、「いっそお死に」といったくらいだったから、よほどの凄さだったのでしょう。

松陰には、二人の叔父がいて・・・

ひとりが玉木文之進さんで、もう一人が吉田大助さん

この方は、代々兵学師範を務めていた(だったかな)吉田家に養子に入るものの、早世してしまったので・・・

亡くなる前に、幼少ながら出来のいい松陰に目をつけて、吉田家の跡を継がせた、そうです。

吉田叔父から直接指導を受けることは少なかったと思いますが、

その意を受けた玉木叔父から熱い指導を受けることになったという・・・

 

で、玉木文之進旧宅から左折して(T字路になってます)

山のほうにまっすぐ上がって行くと・・・

民家もなくなって、ミカン畑とか、霊園とか、寂しい

でも、体は快調なので、頑張って歩いて行きますと・・・

何かありげなところに到着

吉田松陰の実家の杉家や吉田家・玉木家、

そして、デラックスなことに、高杉晋作や久坂玄瑞のお墓まで

 向かって右側

一族のお墓が集まっており、

左側に吉田松陰公のお墓が・・・

階段を上がって行くと、ほぼ正面に松陰公のお墓があります。

 「すみません、失礼します、写真撮らせてください」と言いながら、お参り

 

御賽銭入れのところには、線香入れもあり、缶の中に、お線香とマッチがありました。

ありがたいです萩市の観光?はサービスが良い

積もる思いを晴らすのに、線香につける火がなかったら辛いですね

 

相変わらず、雨がしとしと降る中、早朝に墓場にいるのは怪しげですが、

こちらから市街の眺めは最高でした

 桜がいっぱい

松陰公の死後、何の思いか、高杉晋作が ↑ この地に庵を結び、生活している時期がありまして・・・

                   東行庵の石碑が立っていました。

 

お墓の横は、松陰の実家・杉家の跡地があり、銅像が建っていました。         

松陰の横に座っているのは、一緒に海外渡航を図った金子重之輔だったかと思うけど、違うかな。

金子は、身分が低かったので、投獄中にひどい扱いを受け、江戸から萩に護送される際にこじらせた風邪がもとで亡くなってしまいました。

松陰は嘆き悲しみ、野山獄での食費を削ってためたお金で、金子の墓を建てました。

あなたは一体どこを見ているのか・・・

 やっぱりきれいです。

静かな、杉家実家跡地

地図で見ますと、緑の十字路の左側が松陰神社の敷地です。

  赤いマーク ↑ が現在地です。  ↑ 見えにくいけど、矢印の上のほうの温泉マークが萩本陣です。

 (敷石?がしてあるところが杉家跡)

うわさに聞いてましたけど、杉家の建物は、想像以上に狭かったです。

昔の人は小柄だったのかな。

それにしても、ここに父母妹たちと一緒に住んでいたなんて、半信半疑です

 奥から見たところ

 松陰の産湯の井戸もありました。

ここは、松陰の人柄のように穏やかな場所で良かったです

桜もきれい

この景色をひとり占めなんて、贅沢ですね~

 

帰路

松陰神社に向かう途中に、吉田稔麿の誕生地がありました。

ちなみにお墓は、京都岩倉の三縁寺にあります。

どんな人か分からないけど、奇縁ですね。

 

そして、朝の松陰神社。

神社の人しかいないので、ひときわ静かです。

あやしい観光客です

誰もいない・・・

居るのは、怪しい私だけ。

 

萩本陣に帰ったら、みんな起きていて、さっそく朝食バイキングに行きました

運動後の食事は旨いっ

料理は普通だったけど、バターロールがムチャクチャ美味しくて、食べ過ぎだけど、おかわりいっぱいしました

 部屋の眺望指定はしなかったけど、

心の中で希望していた・・・市街地側のお部屋に泊まれて、うれしかったです

 

松本村のお散歩が素晴らしかったので、

「おすすめ~」と行って、家族を連れて、もう一度、松陰一族の墓地にお参りに行きました。

子達よ、松陰公にあやかれ

って、期待しすぎかな

 

お墓の次は、市街地方面に向かい・・・

 金子重之輔が投獄されました

岩倉獄と野山獄の散策

色気ないなあ~ でも、どうしても行きたかったの 付き合ってくれた家族よ、ありがとう~ 

 岩倉獄は、武家身分でない人が投獄されました。

その向かいに、野山獄

 こちらは、武家身分の獄

松陰らが投獄されました。

野山獄では、松陰が他の囚人たちと互いに知識を教え合い、松下村塾の下地が作られました。

野山獄から実家に戻った後、出会った囚人の一人・富永有隣をヘッドハンティング(出獄願い)し、松下村塾の講師として迎えました。

(嫌われ者で扱いに困ったため、投獄されていたそうですが、松陰は嫌いじゃなかったようです。そういう話もほのぼのします。)

 

こちらも、杉家旧宅と一緒で、どう見ても小さいです

 

~ ~ ~  つ づ く  ~ ~ ~

一応、次回で最終回だけど、長引いたら、延長します

 

 


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