【2008年元旦の太陽】
2008年1月1日、埼玉の片田舎は快晴です。あまりに快晴なので、思わず今年最初の太陽を撮りました。
それで思い出したのだけれど、北国の港町で暮らしていた中学生の頃は、東の海から登る初日の出を眺めるのを恒例にしていました。同級生が新聞配達のバイトをしていて、大晦日の夜から深夜にかけて1日1日の新聞を配ります。この日の新聞は折込チラシを含め大量なので、それを他の同級生とぼくとで手伝う。
配達を終えた深夜に3人で初詣を済ませ、その後街をフラフラとして時間を潰した後、港の埠頭まで行って初日の出を待つのです。天候によって色々のはずだけど、粘りさえすれば毎年何とか、青い海と白い雪を輝かせる、一年の始まりの日の出を見れた気がします。
大晦日の夜から元日の朝まで、一体何を目的にそんな過ごし方をしていたのでしょうね? この行為は金を稼ぐためとか、これは娯楽としてとか、こっちは誰かに喜んでもらうためとか、いちいち自分の行動を分類して認識し、効果や成果を上げるよう考えるようになったのは、きっと大人になってからです。
当時の一連の行動には、意味や分類なんてたいしてなかった。ただそうしたいからやっていただけ。そんなことを2008年の初日に思い出しました。
2008年1月1日、埼玉の片田舎は快晴です。あまりに快晴なので、思わず今年最初の太陽を撮りました。
それで思い出したのだけれど、北国の港町で暮らしていた中学生の頃は、東の海から登る初日の出を眺めるのを恒例にしていました。同級生が新聞配達のバイトをしていて、大晦日の夜から深夜にかけて1日1日の新聞を配ります。この日の新聞は折込チラシを含め大量なので、それを他の同級生とぼくとで手伝う。
配達を終えた深夜に3人で初詣を済ませ、その後街をフラフラとして時間を潰した後、港の埠頭まで行って初日の出を待つのです。天候によって色々のはずだけど、粘りさえすれば毎年何とか、青い海と白い雪を輝かせる、一年の始まりの日の出を見れた気がします。
大晦日の夜から元日の朝まで、一体何を目的にそんな過ごし方をしていたのでしょうね? この行為は金を稼ぐためとか、これは娯楽としてとか、こっちは誰かに喜んでもらうためとか、いちいち自分の行動を分類して認識し、効果や成果を上げるよう考えるようになったのは、きっと大人になってからです。
当時の一連の行動には、意味や分類なんてたいしてなかった。ただそうしたいからやっていただけ。そんなことを2008年の初日に思い出しました。