日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

トイレ

2010年06月23日 | Weblog
  
トイレ

水質が違うのか・慣れない食べ物に胃腸が異常反応するのか、疲労が原因か、旅に出るとよく下痢をしてトイレを探すことガある。こんなとき、街の中だとかえって困る。現地語でなんというのか、どこにあるのか、わからないからぎりぎりのところまで辛抱することがよくある。

アコタヤ遺跡の見物に出かけた。列車に乗った時から、少しずつ腹がちくちくした。これは来るなと予感したが、それが的中した。時間の経過とともに腹はごろごろ鳴り出すし、腹はしめこんでくる。何が悪かったのか思い返してみると、マンゴーだと分かった。昨日通りがかりで黄色にうれたマンゴーを2kgかった。かなり大きいもので六個あった。昨夜は食後に三個食べてからねた。今朝は起きるなり、三個食べたら腹いっぱいになり朝食は抜きにした。そのせいだろうか、胃から腸にかけて気持ちが悪い。

インドへ行った時は、おいしい食べ物が見つからず、マンゴー(タイのものとは違い小ぶりだった)を三キロ買ってきて、ホテルの冷蔵庫で冷やし、食事代わりに食べた。バナラシの同じホテルに三日間いたが、食事はマンゴーのみですこした。それでも下痢はしなかった。だのに今日はマンゴーが原因だと思われた。マンゴー自体に問題があったわけではなく、要は無節制に腹一杯、つまり食べ過ぎて腹を壊したのだ。

初めて海外旅行をした韓国でも、下痢をしてトイレ探しに苦労した。苦労というよりは死ぬような思いをしたといった方が、そのときのぼくの窮状をわかりやすく表す。
どんどん占めこんでくる、渋りバラが辛抱の限界になったときようやくトイレが見つかった。その時僕はこの世に神様がいて助けてくれたのだと思った

今回は油断があった。あの大きなアユタヤの遺跡公園には、きっと公衆便所があると思っていた。事実五バーツ払うときれいなトイレがあった。駅を出て100メーターも歩けば、サップ川がある。一バーツの渡船で向岸にわたり、ウトン通りを横切って公園の方に歩き出した。自転車かトクトクかを利用したかったが、胃膓を揺らすとその分絞めこみが激しくなると思い.足を引きずるようにし、そろりそろり公園の方へ歩き出した。距離にして1kmぐらいのもんだから、十五分もあれば十分だが、途中腸の締め具合によって、立ち止まったり、座ったりしてゆつくリ歩いたりしたおかげで、1時間ほどかかったように思う。

アユタヤのメインストリートはきれいに舗装されてはいるが、一本道路を裏側に入ると、末舖装なままだけではなく、青草の生い茂る場所がいくつもあった。排せつはトイレが原則だが、時と場合によったら、そうも言っておれないこともある。その点は脇道の叢はアオ力ントイレとして安心を与えてくれた。人通りもほとんどないので、誰かにぶざまなころを見られるわけでもない。こういう安心と余祐のおかげで1:時間ももったのだと思う。しかし公園に着くころには渋りバラもいよいよ限界に近づいてきた。公園の入り口にあるチケット売り場の近くに、五バーツの公衆トイレがあった。5バーツが50バーツでも構わない。ただ今は銭カネの問題はどこかとんでいる。僕はすぐさま飛び込んだ。やれやれ。ほっとため息をついた。先ほどまでの苦しみが、嘘みたいである。渋り腹は解消した。

ところで急に思い出したのだが、インドへ行った時にインド人の用の足し方には感心した。早朝列車で走っているとわざわざ線路の土手に向いてしゃがんで用を足し、終われば水の入った小さなミルクの空き缶を右手で持ち、左手で流すという名人芸
みたいなことをして用を足している。タイもカンボジアもインドも、日本のように紙でという感覚はないらしい。便器の横には水がめがあり、水が蓄えられている。それをひしゃくみたいなものを使って右手で水槽からくみ上げて左手できれいに洗う仕掛けになっているが、これにはちょっとした要領がいるみたいで、僕などは何回やっても衣服を水でぬらしてしまう。

今回も同じである。5バーツも払いながらズボンをぬらしてしまっている。5バーツと一口に言うが、バンコク市内の赤バスはー路線ならどこまでのっても3.5バーツである。
3.5バーツでどのくらいの時間のっていられるか計ったたことがあったが、ゆうに1時間は越えた。そのことを考えると、この有料トイレ料金はメチャ高い。日本で言うなら500円位になるのではなかろうか。500円支払ってトイレに?こんな高額な有料トイレは日本にはまだないのではないか。喉元過ぎれば5バーツを問題にするようになった。さきほどはこの渋りはらがどうかトイレまで持ちますようにと神様のご登場まで願ったくせに、のど元過ずたら5バーツを問題にするわれに苦笑した。

旅はいい。だが道中のトイレには困る。日本では渋滞用のために、特殊な携帯トイレが販売されて、ぼくそれを買って持ち歩いて海外旅行をしているか、いまだ使ったことはない。

岸和田だんじり祭

2010年06月23日 | Weblog
      岸和田だんじり祭

20年も昔は安全というよりは、泉州人の心意気 特に男衆の心意気が優先され事故による死者も出るほど激しい祭りだった。
部外者の僕から見ると、エネルギーの大きさよりはむしろ蛮勇男 荒くれ男の年一回のストレス発散天下御免の祭礼だと、解釈をしていた。

ところがひょんなことから、関心を持つようになり、この結集されたエネルギーを作品にしてみたらと思うようになった。

もう20年以上も僕の演歌を歌ってくれている歌手が、彼の地の出身で死ぬまでには一回はオリジナルのだんじり祭りの歌を歌ってみたいと独り言をいったのを、耳にした。
特別依頼されたわけでもないのに、心の底ではいつかやるぞと決めていた。
泉州のだんじり祭りは全国的に有名で、演歌の題材には事欠かないだけあって多くの作曲家が作品化している。特にヒットした曲があったようには思えないが、ヒットするしないにかかわらず、思いの丈を自分の心にぶっつけて、はね返ってくる思いを詞と曲にした人が多いのではないか。。
神社の祭礼に枯れ木の賑わいのようなつもりで作品を書いてみたが、今回は少々根性が違っていた。
秋になると、9月、10月は秋祭りが執り行われる。が、岸和田のだんじり祭りは別格のエネルギーがあるように思えた。男が男になる瞬間であり、男のエネルギーを発散させる日であり、非常に頼もしく思えた。そうでなくても、草食動物だなどと男らしさやガッツを失ってめめしい今の時代のことである。


貝塚や岸和田方面は和歌山に釣りに行くときに車でよく通ったので何となく親しみがあり、特に岸和田城のお堀端を通るのが目に焼き付いて、岸和田と言えばお城とダンジリが頭から離れなかった。

祭りのエネルギー、男のエネルギー、元気のない日本の不景気などを吹っ飛ばす契機になればいいやとはりきった。どんな作詞家が書いても似たような詞になるのはある意味避けられない。そこで作曲で特徴を出そうと胸をどんどんと手でたたいて、内在する エネルギーに揺さぶりをかけた。
出だしの音を最高音にして、ここに力を入れないと、どんな人でも 歌い出せない仕組みを考えた。果たしてこの試みが成功するのやら、どうなのか判らない。メロデイやリズムをこのページに載せられないのは残念だが、歌詞だけ載せることにする。

岸和田 だんじり祭 作詞作曲武田圭史

一,だんじり太鼓か 引き手の声か
空に響けば 血が騒ぐ
岸和田名代の  だんじり祭
たたく太鼓は あばれうち
これが岸和田 これが岸和田
あばれだんじり みだれうち

 二,浪花節だと あの娘は言うが
男にゃ男の夢がある
一度決めたら 後へは引かぬ
   意地がとりえの てこまわし
これが男の これが男の
あばれだんじり みだれうち

三、人生舞台で 夢をも見るさ
乗らなきゃ 男の名がすたる
男命をだんじりにかけ
空に舞う華  大工方
これが命の これが命の
   あばれだんじり  みだれうち