誰でも身内には甘いが
ある新聞の社長の監禁事件
奇怪な事件が起こった。1ヶ月も前の話である。それが約1カ月後の2月27日に発表された。
調べによると、容疑者は、部下や知人の計5人と共謀し、1月31日、午前9時ごろ、東京南青山にある新聞の社長の自宅近くの路上で、散歩していた社長の顔に布をかぶせて、ワンボックス車に、押し込んだ。監禁は2時間に及んだという。
このようなセンセーショナルな事件が、どうして1ヶ月も遅れて発表されたのか、
その言い分はこうである。
背後関係が不明で、再度被害にあう危険性があった。だから犯人が逮捕されて、起訴された後に発表したと言うのである。
確かにマスコミは、事件の本質を真実として伝えなければならないが、同時に、即時性という使命もあるはずだ。
事件が起こった当日に、このことが報道されようと、1ヶ月後に報道されようと、一般庶民の生活には、何ら影響はないが、これがもし、新聞社、いわゆるマスコミでなくて、外で起こっていたとしたら、マスコミはどういう態度で、この事件を取り上げたであろうか。それを考えてみると、やはり言いたいことがある。
大体マスコミというのは、大きな力を持っている。つまり、社会に大きな影響力を及ぼす存在なのだ。だから、すべてに置いて公平で、迅速で、真実の報道が要求されるわけである。
マスコミ関係者は自己に甘い
一般論として、よく言われることであるが、身内には甘いということである。今回の報道ぶりを見ても、事件があってから、1ヶ月後に、その事件について発表するというのは、古びて、腐りかけたネタを出すタチの悪い寿司屋のような感じがしないでもない。
これがマスコミ以外のいわゆる普通の会社だったら、どうか。
記者は、ネタを求めて夜討ち朝駆けしたのではないだろうか。取材や報道の有様を見ていると、人の迷惑もかえりみず、よくここまで突っ込んで、取材し、報道するなと思うことが度々ある。世間の常識からしてみると、やりすぎなのである。
今回の事件に限らずマスコミ人はそこのけそこのけお馬が通る的な態度が散見されるのは思い上がりの結果だと思う
マスコミ力を勘違いして、過信しているのではないか
心して謙虚に反省すべし。
ある新聞の社長の監禁事件
奇怪な事件が起こった。1ヶ月も前の話である。それが約1カ月後の2月27日に発表された。
調べによると、容疑者は、部下や知人の計5人と共謀し、1月31日、午前9時ごろ、東京南青山にある新聞の社長の自宅近くの路上で、散歩していた社長の顔に布をかぶせて、ワンボックス車に、押し込んだ。監禁は2時間に及んだという。
このようなセンセーショナルな事件が、どうして1ヶ月も遅れて発表されたのか、
その言い分はこうである。
背後関係が不明で、再度被害にあう危険性があった。だから犯人が逮捕されて、起訴された後に発表したと言うのである。
確かにマスコミは、事件の本質を真実として伝えなければならないが、同時に、即時性という使命もあるはずだ。
事件が起こった当日に、このことが報道されようと、1ヶ月後に報道されようと、一般庶民の生活には、何ら影響はないが、これがもし、新聞社、いわゆるマスコミでなくて、外で起こっていたとしたら、マスコミはどういう態度で、この事件を取り上げたであろうか。それを考えてみると、やはり言いたいことがある。
大体マスコミというのは、大きな力を持っている。つまり、社会に大きな影響力を及ぼす存在なのだ。だから、すべてに置いて公平で、迅速で、真実の報道が要求されるわけである。
マスコミ関係者は自己に甘い
一般論として、よく言われることであるが、身内には甘いということである。今回の報道ぶりを見ても、事件があってから、1ヶ月後に、その事件について発表するというのは、古びて、腐りかけたネタを出すタチの悪い寿司屋のような感じがしないでもない。
これがマスコミ以外のいわゆる普通の会社だったら、どうか。
記者は、ネタを求めて夜討ち朝駆けしたのではないだろうか。取材や報道の有様を見ていると、人の迷惑もかえりみず、よくここまで突っ込んで、取材し、報道するなと思うことが度々ある。世間の常識からしてみると、やりすぎなのである。
今回の事件に限らずマスコミ人はそこのけそこのけお馬が通る的な態度が散見されるのは思い上がりの結果だと思う
マスコミ力を勘違いして、過信しているのではないか
心して謙虚に反省すべし。