日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

悲しみ

2012年10月22日 | Weblog
悲しみ

悲しみに、なれ染まってしまっているのだろうか。染み付いているのだろうか。影のように付きまとう。
悲しみに染まってしまうと、人間というやつは、それから抜け出られないらしく、いつも心の中に、悲しみの風が吹く。
悲しみのない方ががむしろ不自然な感じさえする
考えようだが、釈迦様の言われるように、人生とは、四苦八苦の連続で、それが底抜けに明るい人間も、灰色の人生観をもつものに変えてしまうのだろう。それにしてもだ。

人生、いちどきりしかない人生をブルーですが、ピンクですごすか。
つまり、情報の氾濫の選択が、自由にできる場合には、あくまで自分にとって都合の良い面ばかりを見て少しでも、悲しみ面を少なくするというのは生活の知恵である。


不愉快な週刊朝日

2012年10月22日 | Weblog
不愉快な週刊朝日


週刊朝日といえば朝日新聞の系列会社ではないのか。つぶさに記事を読んで精査したわけではないが、新聞報道による分を読んだだけでも、これが天下の朝日系列の会社かと情けなくなる。

橋下徹大阪市長が、自らの出自に関する週刊朝日の記事を巡って朝日新聞の取材を拒否している問題で、週刊朝日は18日、「不適切な記述があった」などと謝罪するコメントを出した。次号でおわびを掲載し、連載を続けるかどうかも協議するという。
 
いくら大衆がおもしろがるからという推定の基に書いたとしても、現在の人物の評はともかくも、出自をかくというのはどういう理由なんだ?
出自が低いから、高いからどうだというのだ。ここにははっきりした差別意識を見て取れる。大朝日がそんなことを報道して良いのか。品位に関わる文章だ

記事は、週刊朝日(10月26日号)が連載を始めた「ハシシタ 奴の本性」。
失礼もいいとこだ。コノフレーズを書いた人物は土下座して謝れ。
有名無名に関わらず、失礼千万な言葉使いだ。ノンフィクション作家の佐野眞一氏らが執筆し、、、、
ノンフィクション作家の佐野は失礼な人物だ。今まで彼の著作を読んでいたので、裏切られた感じがした。僕が読んだ著作の中には、偏りも、失礼な文章も見受けなかった。

人は過去がどうあろうと、その問題よりは現在の言動の方が大切だ。
別に橋本氏の肩を持つわけじゃないけど、光事件に始まり、大阪都構想を着々と進め大阪市のずさんな行政を正していくために日夜戦っている現実をどうして評価できないのか。今日本中でこういうことが出来る人物がいるのか。

橋下氏の実父の縁戚者へのインタビューなどを掲載。「橋下氏の血脈」をたどり、「本性をあぶり出す」としている。、、、
 
彼をおとしめようという目的で書かれたのなら、そこには政治的目的が在るのでは無いか。選挙が何時あってもおかしくない状況下では、これは悪質な選挙妨害だ。
「橋下氏の血脈」「本性をあぶり出す」このフレーズはどういう視点から見ても彼を侮辱している。
世間の良識でもってこのような偏ったジャーナリズムは追放しなければ、筆による正義は実現しない。
週刊朝日の河畠大四編集長は「地区を特定するような表現など不適切な記述が複数ありました。橋下市長をはじめ多くのみなさまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くおわびします。差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、、、、
のうのうと嘘をつくな。 差別を是認したり、助長したりする意図がありありじゃないか。

不適切な記述をしたことについて深刻に受け止めています」とコメントした。
 
当たり前だ。君は世間の常識をリードしている朝日新聞の顔にまで泥を塗ったのだ。不適切きわまる記事だ。
コメントくらいで済むものか。もっと罪は深い。さしずめ左遷でもされるんだね。
これに先立ち、橋下氏は18日の記者会見で、「(記事は)血脈主義や民族浄化主義につながる危険な思想」と指摘し、朝日新聞の見解を求めた。
系列会社がやったことではあるが、朝日新聞も困惑していることだろう 。
日頃の社説などとは、ほど遠い論調だからである。ひょっとすると日本の政治のあり方を変えるかも知れない彼の言動に、それほどけちを付けたいのか。
この記事を書いた、また書こうとしている人物の人格と品位の低さを軽蔑するだけだ。