シャープスアンドフラッツの原信夫さんがなくなった。94才。年に不足はあるまいが。
僕は昭和30年代に進駐軍のキャンプ、ワシントンハイツ・オフイサス・クラブで働いていた。
クラブのメインバンドは小島正雄さん指揮のオールブルーコーツだったが、
月によってはシャープスアンドフラッツがやってきて演奏をした。当時のビックバンドでは最高峰である。
ブルーコーツとはアレンジが違ったのか、原さんの方が軽快だった。
シャープスアンドフラッツを率いた原さんは、美しい音色を出すバンドで彼のサックスはすばらしかった。
日が西に傾いて夜のとばりがおりるころ、バンド演奏は始まった。ムーンライトセレナーデがオープニング曲である。
現代のサーカスまがいの振り付けなど、臭いもしない純粋に美しい音楽を奏でるジャズバンドだった。
あれから60年の月日が流れたが、美しいメロデイは今もって耳を離れない。
と同時に西空に影絵となって目に映った代々木富ヶ谷の街の様子が目に浮かぶ。
ブルーコーツの小原さんは元気だろうか。
これらの風景は心象風景だけで街はすっかり変わってしまった。いまはNHKの本拠になっている。
見る影もない。その昔は代々木練兵場といったそうな。小林さんに続いてまた一人音楽家が亡くなった
知己でも友人でもないのに、僕は寂しい気持ちになる。
僕は昭和30年代に進駐軍のキャンプ、ワシントンハイツ・オフイサス・クラブで働いていた。
クラブのメインバンドは小島正雄さん指揮のオールブルーコーツだったが、
月によってはシャープスアンドフラッツがやってきて演奏をした。当時のビックバンドでは最高峰である。
ブルーコーツとはアレンジが違ったのか、原さんの方が軽快だった。
シャープスアンドフラッツを率いた原さんは、美しい音色を出すバンドで彼のサックスはすばらしかった。
日が西に傾いて夜のとばりがおりるころ、バンド演奏は始まった。ムーンライトセレナーデがオープニング曲である。
現代のサーカスまがいの振り付けなど、臭いもしない純粋に美しい音楽を奏でるジャズバンドだった。
あれから60年の月日が流れたが、美しいメロデイは今もって耳を離れない。
と同時に西空に影絵となって目に映った代々木富ヶ谷の街の様子が目に浮かぶ。
ブルーコーツの小原さんは元気だろうか。
これらの風景は心象風景だけで街はすっかり変わってしまった。いまはNHKの本拠になっている。
見る影もない。その昔は代々木練兵場といったそうな。小林さんに続いてまた一人音楽家が亡くなった
知己でも友人でもないのに、僕は寂しい気持ちになる。