古関祐而記念館
もう20年ほど前になるが、郡山市にある古関祐而記念館を訪ねたことがある。印象深かったのは、先生の勉強部屋で、机と文房具とテープレコーダーと二,三冊の本やノートが置いてあったように記憶している。
先生は僕が追いかけたい作曲家の一人である。高い品格と叙情性あふれる作品が多く、何よりも先生のお人柄に惹かれる。
表面はおとなしく穏やかでいて、心の芯には真っ赤に燃える創作意欲がたぎっている。
先生の代表的な作品は早稲田大学、慶応大学の応援歌、阪神タイガースの応援歌六甲おろし、実に爽やかな名曲ばかりである。
それとなく先生の事について調べてみると
「気品ある格式高い曲風で知られ、現在でも数多くの作品が愛されている。作曲した曲は五千曲に及ぶという。作曲の作業には楽器を一切使わずに頭の中だけで行ったといわれる」
とある記事に出くわした。
成る程。道理で。
記念館の先生の作業場にはピアノもオルガンもなかった。初めはどんな楽器を使ってあんなに素晴らしい曲を作られるのかと、関心を持ったが、先生はご自身の心の中の楽器を使われたのだ。おそらくメロデイは心を含めて身体全体で作られたのだろう。
僕は楽器は何も使えない、演奏できないから作曲はひとえに自分の心に頼るほかはなかったのだが、先生も楽器を使わずに作曲されたのかと嬉しくなった。ただし先生は演奏出来なかったのではなくて、ピアノやオルガンが先生の身体の中にしまってあったのだ。僕の場合はホントに演奏が出来なくて頭の中を流れるメロデイを楽譜に書き留めているだけである。これは楽器を使わないで作曲するといっても、雲泥の差がある。
もう20年ほど前になるが、郡山市にある古関祐而記念館を訪ねたことがある。印象深かったのは、先生の勉強部屋で、机と文房具とテープレコーダーと二,三冊の本やノートが置いてあったように記憶している。
先生は僕が追いかけたい作曲家の一人である。高い品格と叙情性あふれる作品が多く、何よりも先生のお人柄に惹かれる。
表面はおとなしく穏やかでいて、心の芯には真っ赤に燃える創作意欲がたぎっている。
先生の代表的な作品は早稲田大学、慶応大学の応援歌、阪神タイガースの応援歌六甲おろし、実に爽やかな名曲ばかりである。
それとなく先生の事について調べてみると
「気品ある格式高い曲風で知られ、現在でも数多くの作品が愛されている。作曲した曲は五千曲に及ぶという。作曲の作業には楽器を一切使わずに頭の中だけで行ったといわれる」
とある記事に出くわした。
成る程。道理で。
記念館の先生の作業場にはピアノもオルガンもなかった。初めはどんな楽器を使ってあんなに素晴らしい曲を作られるのかと、関心を持ったが、先生はご自身の心の中の楽器を使われたのだ。おそらくメロデイは心を含めて身体全体で作られたのだろう。
僕は楽器は何も使えない、演奏できないから作曲はひとえに自分の心に頼るほかはなかったのだが、先生も楽器を使わずに作曲されたのかと嬉しくなった。ただし先生は演奏出来なかったのではなくて、ピアノやオルガンが先生の身体の中にしまってあったのだ。僕の場合はホントに演奏が出来なくて頭の中を流れるメロデイを楽譜に書き留めているだけである。これは楽器を使わないで作曲するといっても、雲泥の差がある。