日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

演歌について

2008年08月25日 | Weblog
演歌について、

1,
傷をなめあうみたいな、いたわりの精神精神。それが人間の連帯感につながっている。

2,
涙もの、根性もの。いずれも陰こもる日本人の閉鎖的な心情を映し出している。

3,人生には悲哀が多い。その悲哀の分だけ似たような演歌が、追っかけひっかけ、生まれては消えて行く。人生に密着している演歌は、未来永劫なくなることは無い。

4,1番身近な共通願望 体験は、恋だろう。これに優るテーマは、無いだろうから、将来も恋の歌はそれが、得恋であろうと、失恋であろうと、演歌の中心テーマになる。

5,ゼニカネ勘定を基本尺度にして、価値を計るたがる大阪人の感覚は、その根底に、金銭で計れないものが、この世にあることを自覚したうえで、表面に浮かび上がってくる感情である。それ故に、勘定高いということのみで、大阪人を見ると、それは本質的なものを見落としてしまう。
金銭感覚をぎらぎらさせながら、関西人は、上方文化を作った。それは、つまるところ、大阪人の感受性が極めて高いことを示している。少なくともゼニ至上主義ではなく、良い物至上主義者である。

日暮らしのままに

2008年08月24日 | Weblog
徒然草草の作者、兼好法師は執筆の態度について、次のような意味のことを言っている。

一日の所在なさに、筆をとって、あれやこれや、そこはかとなく、心に浮かぶもろもろの事柄を、紙の上に記して行くのは、ものぐるほしくさえ思える。

兼好法師はこんな見出しで、不朽の名作を残したが、こういう出だしを冒頭に、置いて一体何を言いたかったのか。それは原文を読んだ人がそれぞれに解釈すればよいわけであるが、僕はこのほんの数行にも満たない、書き出しはかなり含蓄の深い文章であると思っている。

当時であれ、現代であれ、1日を筆三昧で過ごそうと思えば、それ相応のものを人生でつかんでおかなければならないはずで、それまでの月日を雲のようにフワフワと流れたことは、まずないはずである。


自然界の森羅万象は言うに及ばず、人事全般にわたって、深い洞察と鋭い感覚でもって把握し、それを己というレンズで、太陽光線をプリズムを通すと、紙の上には、7色の美しい色の帯になって現れるように、他人には違ったように見えたり、あるいは、気づかのままに見過ごすようなことはがはっきりと浮かび上がらせて、筆の跡に残っているのである。


だからどうしてどうして、所在なさになんていう文句は額面通りに受け取ったら大きな過ちを犯すことになりかねない。

僕が初めて徒然草に触れたのは、中学生になってからのことである。徒然草をつれづれぐさと読めたのは中学3年になってからの話して、それでもこの文体が読みづらくて、自発的に読もうという気は全然起こらなかったので、中身は何なのか。全く知らなかった。


高校に入って、国語の時間に先生が読んで訳すのを聞いておぼろげながら、何が書いてあるのか、ぼんやりとではあるが、知ったようなわけで、それも内容がよくわかっていなかったので、文学史上に燦然と光を放つ名作だなんて評価は、雲の上の話で、少なくとも僕においては地上の出来事ではなかった。

ところがである。40代も半ばに達すると世の中のことが見え始めてくる。徒然草に、目を通すと書かれている意味が分かりかけてくる。今まで目にも止まらないちっぽけな事柄にも、無限と言って良いほど大きい社会が存在する。そして僕はハタと当惑し困惑した。


現在60歳代になり、ものが見え始めてくると、ものの実態実相が分かり、初めて新たな発見に驚くことが多い。
僕はここでヘミングウェイの「武器よさらば」を思い出す。

彼はその終章で次のような意味のことを言っている。

「なんの方法も教わらないままに、この世に送りだされてやっと物が見える頃になると、もう命を召されてしまう。」

まさにその通りである。こういうことを知ってから、心は穏やかではない。少しでも多くのものを見たい、と願う気持ちが強く、それだけ真剣に生きようとしている。そしてその生きざまを書き残そうと思っている。かくて、こんな形でブログを利用することになった。しかもこれは生涯続けて実行できることであり、よしんば、この筆の跡をたどる子孫が、読まなくても、自分の楽しみであるから、仮り物の意識がない。

よい趣味を持ったものだ。と今は思う。こういうことを漠然とではあるが、考え始め、時折したためてから40年になっている。
ほとんどのものは散逸してしまったが、今後は日常生活の中で、そこはかとなく、頭に浮かんでくる、よしなしごとも大切に書きとめて、人生のひとこま、ひとこまを大切にキープしてみたい。

だいたい、ものを書くと言うのは読者を想定してからやることだ。もちろんただ、自己満足のために、ほんの自分一人のために書くというケースもあるだろうが、僕は例に漏れず、誰かに読んでもらいたいという強い欲求を感じながら書いている。

とはいえ、こういうことは自分の内面を、自分以外の人に見せることになるので、非常にためらいも感じている。なによりも気恥ずかしい。

どうもこの辺が頭の中では理屈のつがらないところである。父は書物を残さなかったが、祖父は回想録をはじめ、数冊の書物を残してくれた。それらはすでに祖父の死後70年以上の歳月を過ぎてなお生き残っている。もうボロボロになってしまっているが回想録を父が死んだとき、体裁を整えて新しく製本をし直した。このようにして、僕の筆の後も、製本して、余生と言われる時代に、読み直して人生を振り返ってみたいものである。

逆方向

2008年08月24日 | Weblog
逆方向

公務員の綱紀自粛が、所管省より通達された。ばかもん、そんな通達は、政治家に向かって出せ。
小心の一般大衆に何ができるというのだ.。
地位や権力もない小役人に向かって発せられる前に、地位や権力を持たない側から、権力や利権を多く持っている幹部上役に向かって、綱紀粛正を通達してやれ、

下っ端が小さいワルをして、困る時には上意下達が良いが、ことリクルートに関してはしたは、何も悪いことをしていないし、できる立場にない。つまり、株は回ってこない。反社会的なことをしたのは上の方だ。こういう事実に則すならば、通達は、したの口から上の方に向かって注意を促すのが妥当である。

[お前ら 俺ら下役人比べて事件がらみの不正事件起こす可能性が大だから気をつけろ。身の回りは、すべて清潔にして社会の絶大なる信頼応えるように努力せよ。]

通達NO8812号[   政治家。高級官僚、とりわけ、内閣総理大臣殿

それにしても殺生や

2008年08月23日 | Weblog
それにしても神様ちょっとこくじゃあないですか。

1.やみくもにこの世に送り出しておき、生きることのルールも教えない。

2.目隠しされた状態に、泳ぎ方も知らされずにプールに放り込まれ、勝手に泳げ、勝手に生きろ、それじゃ間違いをする人がいくらでもでてきますぜ。

水を恐れながら、手足をばたつかせ向こう岸までたどり着ける人もいれば、
途中でおぼれる人もいる。

人生とは結局、神の命ずる修行なんですかね。それにしても殺生や。

働きバチ

2008年08月23日 | Weblog
働きバチ
自分の人生で夢中になれるものを見つけて、それに殉ずるのなら話は分かる。

ただただたらいで働いて働きすぎて死んでいく人生なんてたまるもんか。

松下幸之助を目指せというバカ、彼のまねをすれば全員が彼のようになれるとでも思っているのか。

語録を唱えるやつもやつだがそれを聞く奴も奴だ

読書

2008年08月22日 | Weblog
昨日から急に涼しくなった。 今年の夏の暑さには負けた。真夏日の暑さは、こんなものだろうが、体が支えきれなかったのだろう。

めったにつけないクーラーも、24時間、つけっぱなしで、昼はごろ寝をして、読書した。

「生き方を考える」とすれば、どうしても僕は宗教関連の読書になる。瀬戸内寂聴の「般若心経」や「観音経」それに、スウェーデンボルグの「私は霊界を見てきた」。などの宗教書である。

般若心経は、全体的な印象としては分かりやすかった。しかし相変わらず「色即是空」 「空即是色」という 肝心かなめのところが理解できない。

この部分については、学生時代から、もう50年間も、頭の隅に置いているが、分かったような、分からないような、そんな状態が今も続いている。

この辺が分かると、人生観にも大きく影響し、新しい世界が開けるかもわからないと楽しみにしてはいるのだが。

スウェーデンボルグの説は、僕は全く未知の世界であるにもかかわらず、彼の言う霊界とか、精霊界とか、人間界の関係は、納得できた。

彼によると、霊界は、現実・自然界を含んで、その広大さは、宇宙を飲み込むものであるという。宇宙の果てを知らない僕に、宇宙を包含する広大無縁の世界が、存在す、と言われたところで、そうやすやすと受け入れるわけにはいかない。

しかし、彼のような書物は、初めて読むので、納得はできなかったけれども、面白いとは思った。

評価

2008年08月20日 | Weblog
100mの長さをどう評価するのか。
1. 百万kmの尺度を用いれば100mは無視できるほど小さい。つまり、限りなくゼロに近い

2. 1mmを基準単位にして100mをはかれば無限大に近いほど大きなものになる。

3.ある一つのものをどういう単位ではかるかによって無限に変化する。
個人の判断もその人の使う物差しによってゼロ~無限大にまで広がるのは、人間がそれほど複雑にできているという証明に他ならない。


楠正成は

2008年08月18日 | Weblog

楠正成は味方の墓だけでなくて、敵の墓寄せ手墓も作って死者の供養をした。
この一言で彼が尋常の人物でないことがわかる。同胞を殺した人間に対しては、普通の人ならば恨みを持つ。

しかし敵味方なく死者を弔う彼の姿勢には怨念を超越したものがある。彼は人間の宿業をきっちり悟って、平凡な人間がとどまり、徘徊する心の状態から一段高いところで脱却していた。

その部分が、ほかにもあろうが、歴史に名をとどめるだけの人物の質の高さを表していることになるのだろう

ふふふのふーだ

2008年08月16日 | Weblog
ふふふ。全部あるよ。ついでにいい人もね?
女はね、人を愛してその人の子を産んで、育てて始めて人になれると思ってんのです。
ウサギの言うことは、まっとうやな。これじゃウサギに弟子入りして根性をたたきなおしたほうがバンコクへいくより有意義かもしれん


なんとなんと。ウサギは多産系だと聞くが、ととに子持ち、仕事もち ついでに一匹ねずみを飼ってるとは
どうも俺のほうが分が悪いな 世の中すごいウサギがいるもんだ。
女はね、人を愛してその人の子を産んで、育てて始めて人になれると思ってんのです。かわいいことをいう女。男から見るとこういう女がたまらないんだよなー。問答無用で愛したくなるし、支えてほしくなるんだよ
おっととっと。やばいことをいってしまった。今晩おとうに聞いてみるんだな。私ってすごい女でしょって。まだあったことも無いどこかの馬の骨でも私の魅力に負けるっていってるぜ。あなた今晩元気出して私の色香にまよいなさい。というウサギ。これこそ  ふふふのふーだ。

お盆

2008年08月16日 | Weblog
お盆

関西では、お盆は8月13日から15日である。関東では、これより一ヶ月早く7月だ。
恒例のことながら、芦の茎を薪にして、迎え火をした。

35度の暑さもすっかり陰を潜め、空に月が輝く頃、家の前で独りで迎え火を焚いて精霊を迎えた。今年は有縁無縁何人の仏様が、この迎え火を頼りにして、帰ってきてくれるのだろうか。10億万土離れたところから帰ってくるのだから、旅疲れが出るのではないかと、この世の常識が働く。
ところがスエーデンボルグによると、精霊から霊に進化した仏たちは瞬時にして、我が手元にやってくるらしい。

地方では灯籠流しとか、精霊流しという行事があるのをみると、盆に実家に里帰りする精霊は、精霊界の住人で、まだ霊界に行く準備が完了した人達ではない。
精霊達と何のコンタクトもとれないから、自分の好きなように、勝手に想像して、全て好きなように考えて、迎え火をしているのだ。

迎え火は夏の夜の線香花火よりは趣があってよい。というのはいつかは私もこのように誰かに迎えられて、この世にある住まいに帰ってくることがあるのだろうかと想像できるからである。

心地よい夜風が髪の毛をゆらして通り過ぎていく。こんな行事が何年続けられるのだろうかと、ふと心細くなった。
今日は16日。お盆は昨日で終わりだ。お供え物を川に流し、川の生き物に供養をする。この行事も河川汚濁に繋がるとして、お盆の仏に供養したお供え物を流す人は滅多にいない。
気はひけはするが、私は毎年流している。段ボールの箱にお供え物の果物やお菓子類を入れて紙を巻いたろうそくに火をつけて立て、水に流し「また来年も帰ってきてほしい」とお経を読んで見送る。川岸からこの箱船を流すと、どこからともなく魚が寄ってきて、このお供え物の奪い合いをする。これも供養かをじっと水面を眺める。

昔は地方ではこの風習が多分に残っているところもあるようだが、都会のど真ん中では見ようたって見られない。盗人みたいなやましさは残るが、生きている限り、この精霊流しは続けたい。
「では浄土へおかえりなさい。来年のお盆もきっと帰ってきてほしい。どんぶり茶とお経とお供え物でお迎えするから。」
こうやって今年の夏も早過ぎ去ろうとしている。まもなく蝉時雨もどこかに行ってしまう。

聖衆来迎図

2008年08月15日 | Weblog
聖衆来迎図  二五菩薩が死者を迎えに来る図
二五菩薩が来たのかどうか知らないが、父は焼き場へ行くのはいやだと声を振り絞り手で中を切り引っ張られている手をほどこうとした。しかし彼はまもなく菩薩によってあの世に引っ張られていった。再びこの世に生還は出来なかった。
この事実から、死ぬ前にお迎えが来るというのは実際にある話だと思う。
この経験談と スエーデンボルグの説をかさね合わせると彼の言う霊のお迎えはあながち架空の話ではないように思われる。
また平安時代のこの作品は画家の単なる空想ではなくて、実際に経験した事実に基づいて書かれているような気がする。

詩とは

2008年08月14日 | Weblog
詩とは読む人に最小限の核になる言葉を提供して、核と核の空間は読み手の想像に任せ、読み手をどれだけ核で構成する世界へ引き込むか、その引き込む力の大きさが詩の力でもある。

従って詩は最大限に省略が必要である。なにもかもしゃべってしまうと、表現してしまうと、詩を読むということは作者の押しつけよう読者が忍耐することになり、読者は自分の世界を形成できない。

そうなると詩の魅力は消え失せてしまう。作詞する場合もっとも注意すべきことである。詩の生命とは省略に省略を重ねて行間でものをいうことである。

世界最大の霊媒はスエーデンボルグ 1688-1772

2008年08月14日 | Weblog
世界最大の霊媒は  スエーデンボルグ 1688-1772 であると言われている
     彼の著書はロンドンの大英博物館に、10冊余の霊界著述があるらしい。
英国スエーデンボルグ協会なるものもある。こういう事実を知ると彼を一種の夢遊病者と切って捨てるわけにはいかない。世の中には確かに予言者とか霊媒者とよべるひとがいる。スケールの大小を別にすれば、それは我々の身の回りにいる。
毎日35度を超える熱さの中では外出は疲れるだけで、極力控えている。で、家では読書して暇つぶしをしている。
今日はスエーデンボルグの「私は霊界を見てきた」を読んでいる。気になったフレーズをを列挙すると、
この世の自然界とは別に霊界という、もう一つの世界が存在する。  肉体よりもっと深く、もっと本質的な霊と、霊の道具として働く肉体の二つのものからできている。と彼は説く。
普通我々は肉体を持った存在だから霊の存在なんて自覚できないし、検証できないから、存在を否定する。しかし彼の説に関わらず、本当に存在しないのかどうか検証できていないから、実のところ、何とも言えない話である。
ただ漠然としてではあるが、第6感といわれるものに多少ひっかっかる部分があるのも事実である。
証明が出来ない以上、霊界の存在は信じる信じないの世界観で決定的に分かれる信じない人はたわごとの1言で切って捨てるだろうし、信じる人にとっては興味深い話であろう。 続く

東条メモを読んで

2008年08月13日 | Weblog
東条メモを読んで

東条メモが朝日新聞夕刊2008年8月12日に掲載された。全体を読んだ感想は、この程度の人物に日本の国家の運命を託したのは間違いだったと言う思いが強い。
第一哲学がなさ過ぎる。もし彼の中にあるとすれば、それはフアナチックな偏狭哲学という他はない。多くの人間の生死が直接関係してくる戦争という殺し合いを軍部が国民を恨むから、とか国体の護持とか、。この東条なる人物は原爆を投下されて多くの死傷者が出ている最中に、まだこういう認識だ。

こういう輩に国の運命や国民の命を託したなんて不幸の最たるものではないか。軍人でも山本五十六のような現実を読み切れた人物もいれば、国民の財産や生命を預かるという観点からすると、狂人にも等しいお粗末な哲学しか持っていない偏狭で自己主張の強い人物は自分の世界でこそ生きリャいいのであって、多くの人々の生死に関わるような重大な場面に出てくるべきではない。

それが判ってないところに悲劇の原因がある。それは責任感のなさに直結する。責任を取って自殺する。そんな程度の軽い責任感で、どうして300万人と言われる戦争犠牲者の霊が弔えるか。

開戦前に犠牲者数の計算予測はしたのか。イケイケどんどんで突っ走ったというならバカとしか言いようがない。己の采配の下には、外国の犠牲者数も含んで数千万人の命があるという重みの計算は出来ていたのか。

とかく軍人というのは教条主義者が多いが、それは戦争の現場でのみ、通じる話で国を治めると言う観点の哲学が脱落している場合が多い。国民の命を守るという観点は全く見いだせない。

新聞から引用して本稿を締めくくろう。

無条件降伏すれば「国民が軍部をのろう」とし天皇制を中心とした「国体護持」がうけいれられないなら「敢然と戦うべき」と戦争の継続を昭和天皇に訴えた様子がうかがえる。

エラワンの神様

2008年08月11日 | Weblog
エラワンの神様


         
人はこの世にいる限り、さまざまな願いを持っている。そしてその願いごとがかなうように、神々に願をかけて祈る。それは洋の東西、時空を超えて、地球上みな同じである。ところが願かけしてもよく願をかなえてくれるところと、そうでないところがあるみたいだ。

心願成就をさせてくれる神様は、当然のことながら、お参リのご利益が多い分、お礼まいりの人も多くなる。それは日本でも、タイでも同じこと。
人気のある評判の良い神様は、ますます多くの人の信仰を得て、人々の心願成就のために多くの汗を流しなさることだろう。
 
それを知ってか、知らでか、人間の方も心願成就の暁には、咸?の意味を込めて、神様のすきそうなものを奉納する。賽銭はもちろんのことだが、生け花や香華・神楽舞ダンスなどを奉納してお礼の気持ちを表す。そしてそういう人間心理は世界共通のものだろう。これは心願成就のお礼ばかりではない。御利益の程を見越して、先に神楽ダンスなどを奉納して神様の気を引く、ちゃっかり者もいる。

 さて、これはタイ、正確にはバンコクでの話である。
バンコクで御利益隋ーとされる神様は、エラワンの神様だそうである。その名前の由来は、おそらくエラワンホテル、あるいは町名にあり、それはエラワンホテルのすぐ隣にあるからそういう呼び名がついたのだろう。
 
精霊・ピーの名前はなんというか知らないが、エラワンの神様で十分わかる。バンコクでは各家庭でも、殆んど祀られている。その神は日本流に言えば、神棚に祀ってあるとはいうもの、丁度鳥の止木の餌場のように、地中から高さ1mほどの柱を立てて、一枚の正方形に近い板の中心部を支えるように作られていて、その板の上に社殿、両側には電気で灯した、赤い色の灯明がある。その社殿の中に瀬戸ものに色づけした神像や金ピカの神像が鎮座まします。

 ところが、さすが大勢の人々がお参りし、一日中香華が絶えず、タイの巫女として、正装した女性が舞う神楽ダンスは休む間もない盛況である。工ラワンの交差点の南東角にまつられている神様は、特別別格のようで、毎日お詣りの人波が絶えない。

 ひやかしの気持ちがないといえばうそになるが、ぼくは手を合わせる気持ちはもちろんある。どんな流儀であろうと、神様には敬意を表したくなるのが僕の性分だ。どんなやり方でお願いしたり、お祈りしたらよいのか、全く分からないから、一礼・二拍手・一礼と日本流に拍手を打って頭を下げた。

 タイのあの大きな寺院の何分の一かのミニチュア版のような神殿の中には、四つの方向に一つずつ顔を持つ金色に輝く神様の像があった。体の部分は一つで、顔だけが四つあリ、東西南北を向いていた。

顔は金銅製で、ほそ面でなかなかの美しい感じがした。この神像を見る限り男女の区別はつかない。オトコガミとい思えばそう見えるし、オンナガミかと思えばそう見える。神様なんて男女どちらでもよいのだが、お供えものを見ても、その区別はつかなかった。お供えものは、まず黄色の花だ。この黄色の花は、ここではたぶん菊ではないのだろうか。
その花の首だけを摘んだものもあり、花首を寄せ集めて、首飾り風にしたものもあり、しかも御神殿の囲いは、この花で埋め尽くされている。中には白い花もあった。これは黄色の花の1/3ぐらいの大きさで、主に首飾りになっていた。中にはつぼみのままの蓮の花もあったが、これだけはどれも開花はしていなかった。
 お供え物としては、果物などはあったが、さい銭箱は見当たらなかった。その代わりに工ラワンの神様奉讃会に寄付をする、金属製の箱は正面入口の所に置いてあった。

 
 お参りグッズ必須の、線香、ろうそくは白ではなく、すべて黄色、線香は日本のものと違い、線香花火みたいに、途中までは燃えるが灰にさす分は竹ヒゴでできていた。

 無料でタイダンスが見られる所として、ガイドブックには、この工ラワンの神様に、人々が心願成就のお礼のために奉納をする、奉納舞踊(日本ではさしずめ神楽)のことが紹介されている。実物は初めて見るのだが、楽士は3人でタイコ(鼓)と木琴が二人の合計5人。

踊子は奉納者の納めるお金の額によって、多くなったり、少なくなったりするらしい。
 フルキャストで8人、720バーツであると書いてあるが、中には、額が少ないのだろう、8人のうち何人かはぬけて後方で休んでいた。

踊り子たちは足のくるぶしには装飾のついた足輪・きんきらきんの衣装、それに烏帽子ならぬ金銅性の冠を付けて、歌いながら踊る。特に注目をひくのは指先の曲げ工合である。
きっとこの動作で何かを表しているのだろうが、指が折れはしないかと思うほど曲げていたのが印象的だった。

顔はもちろん化粧をしているが、休憩している時は、女の子らしく紅をひいていた。
さていよいよご利益の方である。ご利益は直接得たわけではないが、日本人体験者から聞いた話はすごかった。

彼と僕は空港からホアランポ-ン駅へ行くバスの待合所で知り合った。
バックバッカーとおぼしいぼくに、彼が直接「日本のかたですか」と声をかけた。行く方向が同じなので、バスの中でどうして僕が日本人だとわかったのかと聞くと、鍵の名前が日本人の名前になっていたからということだったが、僕は
「いや、実はこれは鍵の番号を忘れたときのために、僕が考え出した暗号ですよ」と説明を加えた。それから話がはずんで行きつくところ、エラワンの神様に落ち着いた。

ガイドブックに簡単に説明されているから、いわゆるその程度のことは知ってはいたが、直接大きなご利益をもらったという体験談などを聞いた事がなかった。
ところが彼は友人4人で出かけた時に、生じたある事件を取り上げて
「詳しく話をするから、このバスを降り、私の自宅で話をしよう」と誘った。彼はもちろん日本人だが、タイ雑貨の商売をしていて、このためバンコクに駐在しているのである。バスはパャタイ通りとペップリ通りの交差点近くで止まったので、そこで降りて彼の家に向かった

彼は単身赴任だし、タイの語学学校に通っているので、日本人の友人、知人も多い。携帯で連絡取ったので、先ほど書いた友人4人も集まった。
 そして話は始まった概略はこうである。

冷やかしの気分もあって、4人でー度ご利益があるというエラワンの神様に見学かたがた、お参りにこうということになって出かけた。
ちょうど昼時だったので、レストランに入り食事をしていたら、隣にいた男がかばんをひったくって逃げた。四人は席を立って追いかけたがサイアム通の人込みの中へ消え、見失ってしまったので、仕方なくあきらめ、その食堂で食事をとってから、工ラワンの神様にお参りに行った。

珍しさも手伝って誰も早く帰ろうとは切り出さず、お参りの人々がしているようにお祈りして帰途についた。ただ彼ら四人は笑い話みたいにして、さきほどの盗まれたバックが手元に戻りますようにと異口同音に祈った、というのである。今までバンコクは東京よりは安全なところだとしか思っていなかったので、きょうの出来事は4人にとっては、相当な衝撃を与えたことだろう。

そうこうするうちに、バスが来たので乗ったら、さっきひったくられて、盗まれたバッグを持った男が乗っているではないか。四人は身柄はともかくバッグを取り戻した。男は混雑した車内をうしろから前に逃げて、バスが止まるやいなや、走って人込みの中に姿を消した。四人にとってみれば、犯人を捕まえるよりは、バックが元通り手元に戻る方が先決で、犯人を捕まえてこらしめてやろうなんて気持ちは、あまり起こらなかったそうである。結果的にはバッグは元の持ち主に戻った。
めでたし、めでたしである。

 偶然とはいえ、ひったくりにあったバッグが、無事戻ってきたのだ。バスに、もう1台早かったり、もう一台遅かったりしたら、犯人に出会うことはなかったし、満員のバスの中でも、前から乗ったのではなく、うしろから乗ったので、犯人と偶然はちあわせになり、バッグを取り戻せたのである。
偶然といえば、あまりにも偶然。
 こんな偶然が重なって、ハッピーエンドになると、だれが予想できただろうか。

4人とも不思議に思ったそうだ。そして今日の出来事はすべて
工ラワンの神様の思し召しに違いないし、ハッピーエンドに終わったのは、ひとえエラワンの神様の御利益に他ならないという結論に達したそうである。ただし四人共、どちらかといえば、宗教には関心などなく、工ラワンの神さん参リも、いわゆる信心気なんて毛ほども持ち合せていない。

だが、そんな4人の共通した一致点はこの世に神様がいて、信じる者にはご利益をもらえるということだそうだ。そして彼ら四人は今でもエラワンの神様は、人々に多大なご利益を与え続けていて、人々の尊崇を集めているという結論である。
なるほど。 そんな話しもあるのだな。

特別願掛けする必要はないが、次回に来たときにでも、ひとつお参りでもしてみるか、ぼくはそんな気持ちになった。今回幸いにも時間があったので、お参りと言うよりは見物に出かけた。
 
このエラワンの神様を信仰したり、願掛けをして、無心に祈る人々の姿を見て、たとえそれが欲の先走るご利益信仰であったとしても、祈りの姿というのは本当に、美しいものだとつくづく思った。