埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
法話 お通夜にて その3
こういった考え方の名残で、
本日 世話役の皆さんは 平服でのお手伝いです。
「喪服は 喪に服する時の着衣。
まだ この人は 死んでいないんだから、
喪服を着るなど 失礼極まりない。」
という、当地の皆さんの意思表示なのです。
また、ほんの十年数程前まで、
当地では お通夜に
私ども 僧侶が読経をするという習慣が ありませんでした。
「坊さんに経を読んでもらうのは、死んだ後」
との考え方もあったようです。
逆に、ある老僧から
「若い頃は、大勢の人が集って来て、
お祭りのような騒ぎの中、
故人の枕辺で 一晩中、
と言っても 七時頃から 十二時過ぎまで
死者の生き返りを祈って 読経を続けるのが
僧侶の仕事だった」
という話を聞いた事もあります。
更に、北関東のある地方では、
病気見舞いののし袋を 通夜の晩に 故人の霊前に捧げ、
香典は 翌日 告別式の時に受付に渡す という慣例が
つい最近まで残っていました。
これも、
通夜の晩は 故人として認めてはいないという、
復活を望む近しい人々の心情だったのでしょう。
現在、脳死という新たな問題も出てきましたが、
医師はおおかた、
① 呼吸が止まった
② 心臓の鼓動が 聞こえなくなった
③ 瞳孔の反射がなくなった
という 三徴候説によって
「〇〇時〇〇分、 ご臨終です」
と、近親者にとっては非情かもしれませんが、
正確な死の確認を してくれます。
その後、死者が生き返る事は ほぼ望めないかも知れません。
即ち、医学が発達した現在、
通夜は 既に
意味をなさない過去の遺物となってしまったのものように
考えられるかも知れません。
しかし、現に
故人が 私達の前から 永久にいなくなるという事は
大変な事です。
昔日の私達の先人が、
近親者の死に直面して、
切に その復活を祈った通夜の一夜、
その心根は、どんなに科学が発展しようとも、
人として持ち続けるべき優しさ、純粋さ
なのではないでしょうか。
どうか お通夜には、
いたずらに涙するのではなく、
こういった 通夜の意味を念頭に、
故人の遺徳を 静かに偲んでいただければと 思います。
以上
本日 世話役の皆さんは 平服でのお手伝いです。
「喪服は 喪に服する時の着衣。
まだ この人は 死んでいないんだから、
喪服を着るなど 失礼極まりない。」
という、当地の皆さんの意思表示なのです。
また、ほんの十年数程前まで、
当地では お通夜に
私ども 僧侶が読経をするという習慣が ありませんでした。
「坊さんに経を読んでもらうのは、死んだ後」
との考え方もあったようです。
逆に、ある老僧から
「若い頃は、大勢の人が集って来て、
お祭りのような騒ぎの中、
故人の枕辺で 一晩中、
と言っても 七時頃から 十二時過ぎまで
死者の生き返りを祈って 読経を続けるのが
僧侶の仕事だった」
という話を聞いた事もあります。
更に、北関東のある地方では、
病気見舞いののし袋を 通夜の晩に 故人の霊前に捧げ、
香典は 翌日 告別式の時に受付に渡す という慣例が
つい最近まで残っていました。
これも、
通夜の晩は 故人として認めてはいないという、
復活を望む近しい人々の心情だったのでしょう。
現在、脳死という新たな問題も出てきましたが、
医師はおおかた、
① 呼吸が止まった
② 心臓の鼓動が 聞こえなくなった
③ 瞳孔の反射がなくなった
という 三徴候説によって
「〇〇時〇〇分、 ご臨終です」
と、近親者にとっては非情かもしれませんが、
正確な死の確認を してくれます。
その後、死者が生き返る事は ほぼ望めないかも知れません。
即ち、医学が発達した現在、
通夜は 既に
意味をなさない過去の遺物となってしまったのものように
考えられるかも知れません。
しかし、現に
故人が 私達の前から 永久にいなくなるという事は
大変な事です。
昔日の私達の先人が、
近親者の死に直面して、
切に その復活を祈った通夜の一夜、
その心根は、どんなに科学が発展しようとも、
人として持ち続けるべき優しさ、純粋さ
なのではないでしょうか。
どうか お通夜には、
いたずらに涙するのではなく、
こういった 通夜の意味を念頭に、
故人の遺徳を 静かに偲んでいただければと 思います。
以上
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