さて、この<忌中払い>は、
決して 残された生者のご都合主義の儀礼では ありません。
時間に余裕があった大昔の、ごく恵まれた人々はともかく、
近世社会において、四十九日の忌み籠りは
そんな状況の人であれ、あまりにも長すぎます。
しかし、神仏、生死、浄穢の問題であるだけに、
簡単には その儀礼を変えるわけには いきません。
無理をして精進潔斎の忌み籠りをしようとしても、
日常の生活に追われて、
必ず 中途半端な供養になってしまう事でしょう。
それでは、供養される側の故人にとっても、
供養する側の遺族にとっても 良い事はありません。
それなら、
行なうべき法事は きちんと預修(よしゅう=逆修(ぎゃくしゅう)して、
故人の魂にも 理解してもらい、
残された者も 納得してしまおうという、
丁寧で、合理的で、たくましい、
当地の先人達の知恵がここにあるのです。
また、忌中の間には、
七日ごとに
初七日、ニ七日、三七日、四七日、三十五日、六七日、四十九日の
7回の法事が行なわれるべきです。
これらの法事は、
遠く インド仏教に その出典が認められ、
日本に至って
十三仏信仰、
すなわち 死後 七日ごとの冥府の裁判の物語と相まって
現在でも ポピュラーに伝えられていますが、
今言うところの<忌中払い>の法事は、
この7回の法事をすべて含んでいます。
もちろん、四十九日忌の法事も含むわけですから、
当地では 四十九日目の尽七日忌法要を
≪棚上がり≫とか ≪棚上げ≫と言って
<忌中払い>とは区別しています。
お位牌を床の間に据えられた後飾りから
棚、すなわち 仏壇に納める日の法事という事です。
近年 都会を中心に、
葬儀・火葬後 その日のうちに初七日忌を執行するのが
一般的になりましたが、
初七日忌だけで 二七日忌、三七日忌、四七日忌・・・・・・を
しなくて良いという事は ありません。
当地の<忌中払い>には これが全部含まれているという事を
知っていてください。
つづきます
決して 残された生者のご都合主義の儀礼では ありません。
時間に余裕があった大昔の、ごく恵まれた人々はともかく、
近世社会において、四十九日の忌み籠りは
そんな状況の人であれ、あまりにも長すぎます。
しかし、神仏、生死、浄穢の問題であるだけに、
簡単には その儀礼を変えるわけには いきません。
無理をして精進潔斎の忌み籠りをしようとしても、
日常の生活に追われて、
必ず 中途半端な供養になってしまう事でしょう。
それでは、供養される側の故人にとっても、
供養する側の遺族にとっても 良い事はありません。
それなら、
行なうべき法事は きちんと預修(よしゅう=逆修(ぎゃくしゅう)して、
故人の魂にも 理解してもらい、
残された者も 納得してしまおうという、
丁寧で、合理的で、たくましい、
当地の先人達の知恵がここにあるのです。
また、忌中の間には、
七日ごとに
初七日、ニ七日、三七日、四七日、三十五日、六七日、四十九日の
7回の法事が行なわれるべきです。
これらの法事は、
遠く インド仏教に その出典が認められ、
日本に至って
十三仏信仰、
すなわち 死後 七日ごとの冥府の裁判の物語と相まって
現在でも ポピュラーに伝えられていますが、
今言うところの<忌中払い>の法事は、
この7回の法事をすべて含んでいます。
もちろん、四十九日忌の法事も含むわけですから、
当地では 四十九日目の尽七日忌法要を
≪棚上がり≫とか ≪棚上げ≫と言って
<忌中払い>とは区別しています。
お位牌を床の間に据えられた後飾りから
棚、すなわち 仏壇に納める日の法事という事です。
近年 都会を中心に、
葬儀・火葬後 その日のうちに初七日忌を執行するのが
一般的になりましたが、
初七日忌だけで 二七日忌、三七日忌、四七日忌・・・・・・を
しなくて良いという事は ありません。
当地の<忌中払い>には これが全部含まれているという事を
知っていてください。
つづきます