埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
徒然なるままに その27
紀元前89年から 77年ごろにかけて、
第4回結集(経典編集会議ですね) が開かれて、
経律論の三蔵が 文字化されたわけですが、
それから100年前後で 初期大乗仏典が編纂され始めたんです。
その最初が『八千頌般若経』だそうで、
その後 続々と 『法華経』『華厳経』『無量寿経』なんかが
編纂されていったそうです。
でも、今日は、こんな事、メモんなくて結構です。
ただ、何で今、こんな くだくだしい事を言ってるかというと、
仏典ってのは、少なくとも ブッダが書いてまとめたもんじゃないって事ですよ
・・・・・・常識ですけど。
『法華経』は皆さん 一回くらいは読んだ事があるでしょう?
お経読んだっていう事じゃないですよ。
「意味を追って読んだ事 あるでしょ」っている意味ですよ。
『法華経』の中味 知ってますか?って事ですよ。
『維摩経』は どうですか?
『阿弥陀経』は?
『涅槃経』は?
『大日経』はどうですか?
現代語訳 読んだ事ない方は、
死ぬまでに一回は 本屋さんで現代語訳を探して
読んでみてください。
それでですね、特に その比喩、たとえ話なんかを
頭の中で映像化してみてください。
「スゴイ」です。
大スペクタクルが お経の中で踊ってます。
大地が割れて 仏様がドーンと出てきたり、
空から降ってきたきれいな花が 菩薩の着物にペタペタくっついたり、
スピルバーグ真っ青です。
しかも、スペクタクルばかりじゃありません。
ヒューマンストーリーはもちろん、ミステリーも オカルトも、
コメディーも、ラブストーリーもあるかもしれません。
お経は、そんな楽しみ方でもって読んでいくといいんじゃないかと思います。
額にシワ寄せてお経読むのは、
学者と 怪しい宗教のパフォーマンスに任せておけばいいんです。
岩波文庫『法華経』なんかの くだくだしい現代語訳は、
自分で超訳しちゃえばいいんです。
そして、お経には、私たちが幸せになるためのヒントが、
これでもかってくらい満載に書かれているわけです。
2000年前の作品にですよ。
しかもしかも、みんな「如是我聞」って言って、
お釈迦さんから聞いたってことになってる。
あんなにすごいお経本、哲学書、道徳書、科学書、小説、エッセイを
「実は、あれ書いたの 俺なんだ、俺が考えた話なんだよ」って
誰も言ってないんです。
これまた 仏教の「スゴイ」なんです。
これってどういう事なんだろうかと考えると、
経典まとめた人達は、ブッダの教えが 大好きだった。
だから お経を編集、作るのが楽しくてしょうがなかった。
自分の名前なんか どうでもよかった。
伝え聞いた「如是我聞」の話を いろんな人に教えたかった。
尊敬する、敬愛する、自分のヒーローである ブッダの名に寄せて。
それだけ ブッダって 求心力を持ってたんだ、かっこよかったんだと思うんです。
今日は、ここまで!
第4回結集(経典編集会議ですね) が開かれて、
経律論の三蔵が 文字化されたわけですが、
それから100年前後で 初期大乗仏典が編纂され始めたんです。
その最初が『八千頌般若経』だそうで、
その後 続々と 『法華経』『華厳経』『無量寿経』なんかが
編纂されていったそうです。
でも、今日は、こんな事、メモんなくて結構です。
ただ、何で今、こんな くだくだしい事を言ってるかというと、
仏典ってのは、少なくとも ブッダが書いてまとめたもんじゃないって事ですよ
・・・・・・常識ですけど。
『法華経』は皆さん 一回くらいは読んだ事があるでしょう?
お経読んだっていう事じゃないですよ。
「意味を追って読んだ事 あるでしょ」っている意味ですよ。
『法華経』の中味 知ってますか?って事ですよ。
『維摩経』は どうですか?
『阿弥陀経』は?
『涅槃経』は?
『大日経』はどうですか?
現代語訳 読んだ事ない方は、
死ぬまでに一回は 本屋さんで現代語訳を探して
読んでみてください。
それでですね、特に その比喩、たとえ話なんかを
頭の中で映像化してみてください。
「スゴイ」です。
大スペクタクルが お経の中で踊ってます。
大地が割れて 仏様がドーンと出てきたり、
空から降ってきたきれいな花が 菩薩の着物にペタペタくっついたり、
スピルバーグ真っ青です。
しかも、スペクタクルばかりじゃありません。
ヒューマンストーリーはもちろん、ミステリーも オカルトも、
コメディーも、ラブストーリーもあるかもしれません。
お経は、そんな楽しみ方でもって読んでいくといいんじゃないかと思います。
額にシワ寄せてお経読むのは、
学者と 怪しい宗教のパフォーマンスに任せておけばいいんです。
岩波文庫『法華経』なんかの くだくだしい現代語訳は、
自分で超訳しちゃえばいいんです。
そして、お経には、私たちが幸せになるためのヒントが、
これでもかってくらい満載に書かれているわけです。
2000年前の作品にですよ。
しかもしかも、みんな「如是我聞」って言って、
お釈迦さんから聞いたってことになってる。
あんなにすごいお経本、哲学書、道徳書、科学書、小説、エッセイを
「実は、あれ書いたの 俺なんだ、俺が考えた話なんだよ」って
誰も言ってないんです。
これまた 仏教の「スゴイ」なんです。
これってどういう事なんだろうかと考えると、
経典まとめた人達は、ブッダの教えが 大好きだった。
だから お経を編集、作るのが楽しくてしょうがなかった。
自分の名前なんか どうでもよかった。
伝え聞いた「如是我聞」の話を いろんな人に教えたかった。
尊敬する、敬愛する、自分のヒーローである ブッダの名に寄せて。
それだけ ブッダって 求心力を持ってたんだ、かっこよかったんだと思うんです。
今日は、ここまで!
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