伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

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なつかしい顔

2011-03-25 23:18:12 | 元同僚
 昨日道新の朝刊を開くと

 懐かしい顔が飛び込んできた。


 退職する札幌の校長3人

 「旅立つ君へ贈る言葉」

 というタイトルで

 20数年前荒れていたT中学校で同僚だった

 M先生だった。


 そうかもう退職なんだ・・・・と思うと感無量にな
 った。

 当時学校は荒れていたが、50数名いた教職員

 は皆団結していた。

 私もM先生も同じ年に転任してきた。

 私は10クラスもあった2学年の担任になり、札幌
 一のマンモス校ということもあり、何かにつけて教
 員時代最高に苦難の時期だった。


 M先生は体育の先生だったが温厚で人間性豊

 でいざという時はびしつとしていて私の尊敬する
 先生の1人だった。


 何よりもお酒が大好きで、全体の宴会があったあ
 とかならず夜明けの4次回まで飲み明かすグル
 ープに入っていた。

 その中に当時まだ20代だった数学の女性の教師も
 入ってた。

 ある時仲の良かった彼女に「たまにはいいでしょう・」
 と誘われ2次会、3次会、最後の4次回の仲間にま
 でなってしまったことがあった。

 是非食べさせたいものがあると

 スズメの丸焼きを食べさせられたときは参った。

 1時間待っても来ないのだ・・・・。

 「今、すずめを採りに行っているんだ」

 なんて他愛もない会話をしたりして待っていた頃が

 なつかしく思い出される。

 やっと出されたスズメの焼き鳥を皆でちょこっとずつ
 突っいたっけ・・・・。

 スズメにもうし分けなくって、味など覚えていない。



 そのM先生のコメント

 「自身の30、40代は学校が荒れた時代だつた。

 学校に来て悪さをすることで自らをアピールする生徒

 たち、どうすれば自分の思いを伝えられるのかと悩み

 苦しんだ。手をあげたこともあった。

 それでも少し分かり合え、つながれた部分があった。


 むしろ、最近の子供たちの方が気にかかる。


 あの頃の子供たちは外に向かうパワーがあった。今の

 子たちは自分の気持をストレートに伝えるのは苦手かも

 しれない」


 と語っておられた。


 本当にご苦労さまでした・・・・。


 常に生徒の目線で教育に携ってこられたかたでした。





久々のコロコロですね




オットットット・・・・・・



 そうそうソコソコそこがいっといいのだニャン


 今日のララでした
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