短歌では忘れられない
思い出が私にはある・・・・・。
多分私の高校の時で
帰省していた時のことだと思うが。
姉が時々 婦人雑誌を購入していた
その雑誌に 有名な歌人
五島美代子氏の手記が載っていた。
お嬢さんが 当時東大生で18歳?で自殺した時の
歌も載っていて 強く胸を打たれた記憶がある。
この歌は辛いときに常に私の横に寄り添っていて くれた・・・・・・。
今も私の宝物である。
抗し進む
風の圧力強まるにつれ
吾が生存を強く意識する
である
当時突っ張って生きていた私に 共感できる歌だったが
今でも新鮮である・・・・。
私のなかではまだこの歌を超えるものがない
これからも無いだろう・・・・。
そう言えば
40代の頃
札幌市の中学校の文集「にれ」
の編集で短歌を数年担当し、年に
何千もの生徒のみずみずしい歌に
触れてもきた・・・・・・。
私の人生はあながち短歌とは無縁でも
無かったのだ。
この時期に
詠んだ歌・・・・新聞などに掲載された。
・たえがたき頭痛(あたま)病みたる
朝なれど
生徒(こら)の顔みて力わきける
・吾が母と似たりし老女(ひと)よ
深々とおじぎせし
その丸き背中よ
お粗末さまでした・・・・。
思い出が私にはある・・・・・。
多分私の高校の時で
帰省していた時のことだと思うが。
姉が時々 婦人雑誌を購入していた
その雑誌に 有名な歌人
五島美代子氏の手記が載っていた。
お嬢さんが 当時東大生で18歳?で自殺した時の
歌も載っていて 強く胸を打たれた記憶がある。
この歌は辛いときに常に私の横に寄り添っていて くれた・・・・・・。
今も私の宝物である。
抗し進む
風の圧力強まるにつれ
吾が生存を強く意識する
である
当時突っ張って生きていた私に 共感できる歌だったが
今でも新鮮である・・・・。
私のなかではまだこの歌を超えるものがない
これからも無いだろう・・・・。
そう言えば
40代の頃
札幌市の中学校の文集「にれ」
の編集で短歌を数年担当し、年に
何千もの生徒のみずみずしい歌に
触れてもきた・・・・・・。
私の人生はあながち短歌とは無縁でも
無かったのだ。
この時期に
詠んだ歌・・・・新聞などに掲載された。
・たえがたき頭痛(あたま)病みたる
朝なれど
生徒(こら)の顔みて力わきける
・吾が母と似たりし老女(ひと)よ
深々とおじぎせし
その丸き背中よ
お粗末さまでした・・・・。