伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

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あざみの歌・・・八州秀章

2017-10-23 15:54:07 | 合唱



 私はあざみの歌が昔から大好きである。

  童謡の会でもよく唄われる

  そのたびに先生が作曲家のことについて説明してくださる。

  真狩出身だということは分かっていた。

  だが


  昨日は八州氏が骨折した時に入院した病院が伊達医院だと思う・・・


  と語られたので


  俄然張り切って八州氏のことをネットで検索


  と言うのも今私が通院している病院が伊達医院・・・

  若先生は三代目か


  昔から外科で入院病棟もあったと話されていたしネ。



  ネットより



  


 


 





 八洲秀章(本名 鈴木義光)は大正4年、羊蹄山のふもと、真狩村の農家の次男として生まれた。

高等小学校卒業後、農業青年として家業を手伝いはじめる。

 昭和7年、17歳のとき、馬車ごと崖下に転落、足の大腿骨を折ってしまう。 軍国主義の世の中、身体障害者では、国のために働けず、農業も無理、 失意のどん底に陥る。

だんだん、好きな音楽の道を考えるようになる。 小学校の先生に音楽の基礎を習い、オルガンの練習に励む。
 
昭和11年、八洲、21歳のとき、狩太駅(いまのニセコ駅)から作曲家を目指し上京。 仕事をしながら、曲をつくり、レコード会社へ応募する生活を送る。
 
昭和12年同人誌「詩と歌謡」の詩に作曲した「漂白の歌」がポリドール・レコードに採用され、 東海林太郎の独唱でレコード化され、ヒット、以後、作曲に専念する。

しかし、肺結核が発病、 療養生活を余儀なくされる。そんな折、故郷から八洲の初恋の人、横山八重子も、 同じ結核で、重態との知らせが届く。

八洲はいてもたってもいられなくなり、 彼女への愛の告白と病気を心配する手紙を送る。しかし、その手紙が着く数時間前に 彼女は八州の気持ちを知らず、18歳のはかない生涯を終える。
 
養生のため帰郷した八洲は八重子の墓の前に立ち、後悔の念でいっぱいだった。 せめて愛情を打ち明けて、将来を約束しておけばよかったのに・・・。

八州秀章というペンネームは横山八重子の俗名の「八」と、妙願院釈秀満大姉という法名の「秀」 から綴ったという。

 昭和14年、健康を取り戻した八洲は再度上京、鎌倉に住む。いつも初恋の八重子を思い出しつつ 由比ガ浜の海岸を散歩する毎日であった。潮の引いた渚のさくら貝はうつくしい。 八洲の詠んだ歌: 

     「わが恋の如く 悲しやさくら貝 かたひらのみの さみしくありて」

 八洲は歌謡同人誌に詩を発表していた詩人、土屋花情と知り合う。 土屋はこの歌をモチーフに自分の恋を重ね詩をつくる。

       うるわしき 桜貝ひとつ
       去りゆける 君に捧げん
       この貝は 昨年の浜辺に
       われ一人 拾いし貝よ

 この詩に八洲が作曲、ここに名曲「さくら貝の歌」が生まれた。八洲、24歳、土屋、26歳のときであった。 レコーディングされるも、軍国主義の世の中、発表の時期ではないとオクラ入りになってしまう。 この曲が日の目をみるのには戦争をはさみ10年の歳月を必要とした。
  
 昭和15年、八洲は「高原の旅愁」を作曲、伊藤久男の歌で大ヒット、 人気作曲家となる。戦争が始まると、八州は身体障害者で兵隊になれないことを恥じていた のか、「八州音楽報国隊」を結成、各地で慰問活動を行う。やがて終戦。

 昭和24年、NHKラジオで「さくら貝の歌」が放送され、 人々の心に深い共感を与える。この歌を山田耕作は絶賛、これをきっかけに八洲は山田耕作の弟子となり、 本格的な音楽の勉強をすることになった。
 
同じ昭和24年、レコード会社の事務員から一編の詩を見せられる。その詩をみた瞬間 かって黄昏の中でみた若い女性を故郷の白百合にたとえて作った曲の旋律にぴったり合うと直感する。 白百合をアザミに変え、ここに「あざみの歌」が誕生する。  

その詩を書いたのは、横井弘で、彼は長野県下諏訪で詩を書き、作詞家を目指して上京していた。 キング・レコードにアルバイトで勤めていたとき、女性社員にたまたま見せた作品という。

「あざみの歌」は八洲自身の独唱でNHKから放送され、好評を得て、 昭和26年には伊藤久男の歌でレコードが発売され、大ヒット曲となる。

    山には山の 愁いあり
    海には海の 悲しみや
    ましてこころの 花ぞのに
    咲きしあざみの 花ならば
 

 「あざみの歌」のアザミについて八州は次のように書いている。

  「棘持つ花、それは美しきが故に自分を守る。手折ってはいけない花だ。 紅ひとすじに燃えて咲く、アザミは棘もつ花。しかし、それは貞操固き処女のように、 それゆえにこそ一入に魅力的なのである。
 あざみは、野生のたくましさと清らかさ、そして、情熱と哀愁とを秘めて咲く乙女の花だ。」




一時期、志摩光一の名で歌手活動を行っていた。その後は、日本音楽著作権協会評議員、日本作曲家協会理事などを務めた。

1985年(昭和60年)12月30日死去。享年70。






作詞:横井弘、作曲:八洲秀章、唄:伊藤久男



1 山には山の愁いあり
  海には海のかなしみや
  ましてこころの花園に
  咲きしあざみの花ならば

2 高嶺(たかね)の百合のそれよりも
  秘めたる夢をひとすじに
  くれない燃ゆるその姿
  あざみに深きわが想い

3 いとしき花よ 汝(な)はあざみ
  こころの花よ 汝はあざみ
  さだめの径(みち)は果てなくも
  香れよ せめてわが胸に
  あああー


《 詞は、昭和20年(1945)に復員してきた当時18歳の横井弘が、家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に自分の理想の女性像をだぶらせて綴ったものといわれます。
 八島高原には、この歌の歌碑が建っています。



 


 

 
コメント (2)
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慌ただしい一日

2017-10-23 00:12:26 | 合唱
 今日は童謡の会の日

 身体がカッタルかったが熱はなし

 よしーということで出発


 が体調の悪い時はタクシーを使いな


 とカンパしてくれた

 ありがたやー





11月12日伊達市民音楽祭

 童謡の会の発表は13時30分の予定






 思いっきり声を出した後は

 道の駅に寄り買いだし


 家に帰り一息ついてから二人で選挙へ


 帰りコンビニでビールを仕入れ


 暗くなった道をトボトボ・・・


 珍しく慌ただしい一日であった。


 





 
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