今朝がナツメロのCDをかけた。
湖畔の宿
表現力があるよネ
この唄は日本中知らない人はいなかったよネ
DDTでパコンパコンやられていたガキの頃長流川の川原を
歩きながら皆で
ランプ引きよせシラミとり・・・と替え唄をよく
唄っていたもんだよ・・・・
アッハハハその続きは・・・
さすがにこれしか記憶が無い
私にはそんな記憶はない
女の子だったしぃー
本日の朝の会話でした。
作詞:佐藤惣之助、作曲:服部良一、唄:高峰三枝子
1 山の淋しい湖に
ひとり来たのも悲しい心
胸の痛みに耐えかねて
昨日の夢と焚き捨てる
古い手紙のうすけむり
2 水にたそがれせまる頃
岸の林を静かに行けば
雲は流れてむらさきの
薄きすみれにほろほろと
いつか涙の陽が落ちる
(台詞)
「ああ、あの山の姿も湖水の水も、
静かに静かに黄昏れて行く……。
この静けさ、この寂しさを抱きしめて
私は一人旅を行く。
誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて、
幼な児のような清らかな心を持ちたい。
そして、そして、
静かにこの美しい自然を眺めていると、
ただほろほろと涙がこぼれてくる」
3 ランプ引き寄せふるさとへ
書いてまた消す湖畔の便り
旅の心のつれづれに
ひとり占うトランプの
青い女王(クイーン)の淋しさよ
日独伊三国軍事同盟が締結され、日本が大戦に向けて突っ走り始めた昭和15年(1940)に発表され、大ヒットした歌。
感傷的で淋しい詩とメロディが戦意高揚を損なうということで、当局は発売禁止にしたが
、国民は歌うのを止めることはできなかった。
歌手たちの戦地慰問で、兵士たちからのリクエストが圧倒的に多かったのがこの曲だった。
とりわけ、特攻隊の基地で、若い航空兵たちが直立不動でこの歌を聞き、そのまま出撃していった姿が忘れられないと、高峰三枝子は幾 度となく語ってる。
「この静けさ、この寂しさを抱きしめて私は一人旅を行く。誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて……」の部分がとくに兵士たちの胸に 響いたのでしょう。
以上
ネットよりリライト
胸のふさがる思いです。
この話をにすると
生まれる前の曲だったんだぁー
シラミ取りしている場合でなかったね
湖畔の宿
表現力があるよネ
この唄は日本中知らない人はいなかったよネ
DDTでパコンパコンやられていたガキの頃長流川の川原を
歩きながら皆で
ランプ引きよせシラミとり・・・と替え唄をよく
唄っていたもんだよ・・・・
アッハハハその続きは・・・
さすがにこれしか記憶が無い
私にはそんな記憶はない
女の子だったしぃー
本日の朝の会話でした。
作詞:佐藤惣之助、作曲:服部良一、唄:高峰三枝子
1 山の淋しい湖に
ひとり来たのも悲しい心
胸の痛みに耐えかねて
昨日の夢と焚き捨てる
古い手紙のうすけむり
2 水にたそがれせまる頃
岸の林を静かに行けば
雲は流れてむらさきの
薄きすみれにほろほろと
いつか涙の陽が落ちる
(台詞)
「ああ、あの山の姿も湖水の水も、
静かに静かに黄昏れて行く……。
この静けさ、この寂しさを抱きしめて
私は一人旅を行く。
誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて、
幼な児のような清らかな心を持ちたい。
そして、そして、
静かにこの美しい自然を眺めていると、
ただほろほろと涙がこぼれてくる」
3 ランプ引き寄せふるさとへ
書いてまた消す湖畔の便り
旅の心のつれづれに
ひとり占うトランプの
青い女王(クイーン)の淋しさよ
日独伊三国軍事同盟が締結され、日本が大戦に向けて突っ走り始めた昭和15年(1940)に発表され、大ヒットした歌。
感傷的で淋しい詩とメロディが戦意高揚を損なうということで、当局は発売禁止にしたが
、国民は歌うのを止めることはできなかった。
歌手たちの戦地慰問で、兵士たちからのリクエストが圧倒的に多かったのがこの曲だった。
とりわけ、特攻隊の基地で、若い航空兵たちが直立不動でこの歌を聞き、そのまま出撃していった姿が忘れられないと、高峰三枝子は幾 度となく語ってる。
「この静けさ、この寂しさを抱きしめて私は一人旅を行く。誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて……」の部分がとくに兵士たちの胸に 響いたのでしょう。
以上
ネットよりリライト
胸のふさがる思いです。
この話をにすると
生まれる前の曲だったんだぁー
シラミ取りしている場合でなかったね