土筆の赤ちゃんうまれたよー
たんたん田んぼの草の道
土筆を採ってくると必ずがこの歌を口ずさむ
私は知らない・・・???
国道沿いのつくし
,ネットでやっと調べた
加藤省吾 作詞、海沼
「つくしの
つくしのあかちゃん うまれたよ
たんたんたんぼの くさのどて
とんがりおつむが ゆうらりこ
それゆうらりこ
つくしのあかちゃん かわいいよ
にこにこわらって いなぃいなぃばぁ
おそらでおひさんも にっこりこ
それにっこりこ
つくしのあかちゃん ちいちゃいよ
ひばりのおうたに こっくりこ
ぽかぽかひなたで ねむくなる
それねむくなる
つくしのあかちゃん おねんねよ
そよそよおかぜにびっくりこ
あらあらなんでしょ めがさめた
それめがさめた
つくしのあかちゃん みえるでしょ
たんぽぽさいてる おかのみち
ちょうちょのおよめさん とおります
それとおります
加藤省吾
加藤省吾(かとう しょうご、1914年7月30日 - 2000年5月1日[1])は、静岡県富士市出身の作詞家。孫は声優の加藤有生子。
青春時代に聴いた流行歌「丘を越えて」に触発され、作詞家を志すようになった。1935年に単身上京、印刷会社に就職し、合間を縫って自作の歌詞をレコード会社に売り込んだ。1937年に書いた「かわいい魚屋さん」が山口保治の作曲を得て翌1938年にレコード化され、初のヒットとなった。その後音楽新聞社の記者を務めながら作詞を続ける。1946年には海沼實の依頼で創作した「みかんの花咲く丘」が空前の大ヒット、1949年にコロムビアと専属契約を結ぶ。1957年にキングレコードに移籍後は、子供向けテレビ番組の主題歌「隠密剣士の歌」「快傑ハリマオ」などがヒットした。もともとは童謡や主題歌より歌謡曲の作詞家を志望しており、実際にいくつか歌謡曲の作詞も手掛けているが、そちらではなかなかヒットに恵まれなかった[2]。『音楽文化新聞』『ミュージック・ライフ』の編集長、日本大衆音楽協会理事長も務めた[1]。
1984年には及川三千代とのデュエット曲「夫婦街道」で演歌歌手デビューも果たした。
- かわいい魚屋さん(1937年)曲:山口保治、歌:奈良原馥
- みかんの花咲く丘(1946年)曲:海沼實、歌:川田正子
- やさしい和尚さん(『第1回日本レコード大賞』童謡賞受賞)(1959年)曲:八洲秀章、歌:石井亀次郎・キングほおずき会
- 豹の眼(『豹の眼』主題歌)(1959年)曲:小川寛興、歌:三船浩
- 快傑ハリマオの歌(『快傑ハリマオ』主題歌)(1960年)曲:小川寛興、歌:三橋美智也
- 笛吹童子(『笛吹童子』主題歌)(1960年)曲:小澤秀夫
- 隠密剣士の歌(『隠密剣士』主題歌)(1962年)曲:小川寛興、唄:ひばり児童合唱団・キング児童合唱団