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すばらしき道産子俳人・・・阿部みどり女

2016-06-24 15:17:42 | 俳句 短歌
 昨日の道新の記事より


  沖藤 典子氏のエッセイ


   俳誌「駒草」の創始者は阿部みどり女という人で

   札幌生まれで、父は第二代北海道長官の永山武四郎。


   1978年に俳句界最高の蛇笏賞を句集「月下美人」で

   受賞。


   女性では初の快挙。






   で


   ネットでしらべる


阿部 みどり女(あべ みどりじょ、1886年10月26日-1980年9月10日)は、日本の俳人。

本名はミツ。北海道生まれ。父は第2代北海道庁長官・永山武四郎。北星女学校(現北星学園女子中学高等学校)修了。1910年阿部卓爾と結婚して東京に住むが、結核のため鎌倉で療養。

この頃から俳句を始め、15年高浜虚子に師事、以後「ホトトギス」を中心に作品を発表。始めは主情的な俳風だったが、後に虚子が客観写生を説くと彼女もそれに従い、更に写生を極めるために洋画家森田恒友に素描を学んだ。

長谷川かな女・杉田久女とともに、女流俳句草創期を代表する一人。金子兜太はかな女・久女を感情型、みどり女を想念型と指摘している。

31年「河北新報」の俳壇の選者となり、翌年東京杉並で俳誌「駒草」を創刊・主宰する。40年長男と夫を相次いで失い、44年戦争の激化に伴い「駒草」を休刊、娘婿で「河北新報」の重役でもあった一力五郎の勧めで仙台に移転。戦後の45年「駒草」を復刊、以後三十余年に渡って同地の俳句界で活躍し、56年には河北文化賞を受賞した。写生に徹しながらも、人生や生命の機微を瑞々しく詠い上げた俳風は、歳を重ねるに連れて深みを増し、78年に句集『月下美人』等の業績で第12回蛇笏賞を受賞。その後東京に転居し、80年9月10日死去。

仙台市太白区茂ケ崎に句碑がある。



   みどり女の句





弾初や爪びきながら老の膝         

袂覆うて女しのび泣くはじめ哉

灰に落ちし涙見られし泣初め

顔伏せて春着たゝめる髷太し

幌に降る雪明るけれ二の替

誰か早ポムプ使ひし初明り

母としてねぎごと多し初詣

幌の中に見る小鏡や初芝居

教へ子のみな上手なる手毬哉

つくばひの氷の上や初明り

弾初や流儀ことなる姉妹

大原の時雨るゝとあり初だより

河岸の風初荷の旗に吹き募る

うたはれし名妓老けたり二の替

門前にこの松ありて初鴉

お愛想の遣羽子遂に面白し

弾初や声つぶれをる老師匠

裁板の切山椒の落葉籠

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