
素直な羊と草原
顔を合わせれば喧嘩をする若い夫婦がいた。夫は妻がいつも素直な羊のように人の言うことをよく聞くことを望む反面、妻は夫がいつも青い草原のように広くぽかぽかと暖かいことを望んだ。
「お前、どうか素直な羊になってくれよ。」
「ならば、あなたが先に草原になってみてよ。あなたが草原ならば私は素直な羊になることができるわ。」
「俺はすでにいつも草原だ。」
「私もいつも素直な羊よ。」
彼らはこんな風に、いつも先に相手側が望んだようになってくれと主張した。そう言いながらも、互いに相手側が自分を愛してくれないと思っていた。
「あなたも、少し私を愛してよ。愛されようとだけしないで先に愛することも知らなければならないものよ。」
「ならば、お前は。お前がそんなことを言う資格があると思っているのか。お前こそ、俺を愛してみろ。」
「ほほ、まったく、私はあなたを愛しているわ。私たちが今までこうやって暮らしているのは、皆、私があなたを愛しているからよ。」
「はは、お前も、まったく、それは俺のせりふだ。俺がお前を愛しているからこうやって離婚までいかないで暮らしているんだ。」
「あなた、もうこんなばかばかしい言い争いはやめましょう。本当に私を愛してよ。お願いよ。愛されようとしたらまず愛さないといけないわ。愛されることだけを望むと結局は愛を失うわ。与えなければもらえないのよ。」
「お前、俺も本当に頼む。お前が俺を愛せばその愛が皆お前に帰っていくのだ。」
彼らのそんな争いはいつも繰り返された。互いに相手に争いの原因があると思って、互いに少しも譲歩しなかった。
そして喧嘩が進むほどに激烈になった。夫が大声を出して悪く言えば、妻も大声で悪口を言った。夫が怒りを我慢できずに物を投げると、妻も怒りを我慢できずに物を投げた。自然と彼らの体と心は満身創痍になった。
ある日、彼らは、ひとつのことに合意した。それは騒ぎの途中でどちらかが「素直な羊」と叫んだり「草原」と叫んだら口をつぐみ、それ以上争わないという合意だった。
彼らのその合意はよく守られた。激しくひとしきり争っても夫が「素直な羊」と叫ぶと妻も「草原」と叫んで争いが中断した。
しかし、一旦争いが中断されても争いの回数は少なくならなかった。そして夫が望んだとおりの「素直な羊」のような妻になるどころか「憤った羊」のような妻になっていき、妻が望んだ通りの「草原」のような夫になるどころか「廃墟」のような夫になっていった。
ところで、夫婦が住んでいる同じアパートの202棟にも、彼らと同じような「素直な羊」「草原」と叫んで喧嘩する夫婦がいた。ところが彼ら夫婦とは違ってそうやって叫べば叫ぶほど、彼らは本当に「素直な羊」と「草原」になっていった。だんだん争いの回数も減って、夫婦の仲がよくなった。
彼らは202棟に住む夫婦がうらやましかった。だから一度202棟に暮らす夫婦のところに行って聞いてみた。
「本当におかしいですね。私たち夫婦も、あなたたちのように喧嘩をしては「素直な羊」「草原」と叫んだのに、夫婦の仲がよくなるどころか、もっと悪くなってしまいます。ですが、あなたたちはそうではないですね。その理由がなんなのか気になります。」
すると、202棟に暮らす夫婦がにっこりと笑い合いながら言った。
「あ、それは、私たちが相手に何かになってくれと叫ぶのではなく、自分自身が何になろうと叫ぶからです。私たちの家では夫が自分自身に「草原」と叫んで、妻も自分自身に「素直な羊」と叫ぶのです。相手に要求するのではなく自分自身に要求するのです。」