こんばんは。
暑い一日でした。
とはいえ、今日はその殆どをエアコンの中で過ごしておりましたので、あまり実感がありません、すみません;。
というのも昨日申した如く、少し早いお墓参りに行って参りましたので、道中はそのエアコンの効いた車中ではありますし、涼しく過ごしておった
次第です。
ですけれど、一つ申すならば(これを嫌な奴;というのですけれどね)今日のはお借りした車、レンタカーでありましてどうにもシートのせいか
背中が汗だく;になりました。
まぁ、殆どの車、どのように乗っておりましても背中は暑くなるものですけれど、今日の車は殊にそれを感じました。
とはいえ、目的地までを文句一つ言わずに走ってくれるのですから有難いものです。
歳を取ると余計に文句が増えた、ほんまに年寄り臭くなっとるね、あんたは;、と帰ってきた息子に諭される始末;。
ううむ、そうか、やっぱりよく考えてものを言おう、そう思い直した日でありました;。
と、そんな日の朝はこのように曇り空で始まりました。
多くの企業等は、今年のカレンダーで行けば、おそらく明日位からお盆の休みとなられるのではと思います。
しかしながら、今日車を走らせておりますとそれでも結構な県外ナンバーの車を見かけました。
やはり既にあちこちから帰省されておられる方もおられるのでしょう。
いつも混む場所が、それ以上に混み合っており、なかなか渋滞を抜け出せない場所もいくつかありました。
皆さん、故郷へ向けて、或いは遊びにいずこかへお出かけになっておられるのかもしれません。
そんな道路を走りながら墓所へ着くと、やはり三々五々お参りの方々がおられました。
この辺り、といってもどのくらいの範囲となるのか自分でもわからないのですけれど、お盆には盆灯籠と称しまして、見た目が結構派手な竹と紙で
出来た高さ1メートル20センチ以上はある、そんな灯籠をお墓にお供えします。
ずいぶん以前に、あるテレビ番組で紹介されたことがあり、その時に自分を含め、いわば広島人、安芸の國の者はそれが当然と考えておりました
ので、全国で自分たちがいる地域、地方だけだと知りとても驚いたものです。
否、驚いたのは他の地域、自分たちを除く全国の方々だったのでしょうけれど。
それでも、そうした盆灯篭があちこちのお墓にお供えしてあるのを拝見すると、ああお盆だなぁ、と感じます。
また初盆、新盆と申します、その年に亡くなられた方のおられるお墓には白い灯籠がお供えされる慣習があり、それを見てこれもまた、そのお宅には
今年お亡くなりになられた方がおられたのだな、ということを知ることが出来ます。
この後、お盆にかけて、そのような灯籠の数も増えていくのでしょう。
この灯籠を、自分の幼い頃、母や祖母が内職として作っていたのをおぼろげに覚えております。
まず直径2センチ程の竹の先を鉈で五つか六つに割きます。
ある決まった長さにそうして割いて、その上部へ多分丸いわっかにした竹でぐるりと取り囲むように留めたと思います。
そうして割いた何面かある三角になったところへ、鮮やかな色の紙を張っていきます。
一番上側におそらく擬宝珠(ぎぼし)を象った紙を貼り付けます。
このようにして完成となったかと思います。
昔はこの中に実際に蝋燭を立て、火を灯しておりましたが、材質上案外と火事となることが多かったようで、いつの頃からかこの盆灯篭を立てる
という慣習だけが残ってきたようです。
地方によっては迎え火をするというところもあるようですけれど、自分たちの住まう地域は、これがその迎え火であるのかもしれません。
お盆が終われば、当然お墓からは撤去され焼却処分となるものですけれど、これがなければお盆は始まらない、そんな物でもあります。
そんな色鮮やかな盆灯籠を作る祖母や母のやっているのを見るのが子供心に楽しかったのでしょうね、おそらく自分にしてみれば遊び半分、面白そう
に見えるその灯籠作りを、糊をつけさせて、張らさせてだとか言いながら、手伝いには程遠く邪魔しておったのやもしれません。
そんなことを思い出しながらお参りして来ました。
まだこの後もありますけれど、今日のところはこれくらいとさせて頂きます。
昨日からこれまた申した如く、しばらくはまさにオバサンの夏の日記帳となりそうです;。
退屈しのぎにお読み頂ければ幸いです。
本日も、このブログへのお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。
暑い一日でした。
とはいえ、今日はその殆どをエアコンの中で過ごしておりましたので、あまり実感がありません、すみません;。
というのも昨日申した如く、少し早いお墓参りに行って参りましたので、道中はそのエアコンの効いた車中ではありますし、涼しく過ごしておった
次第です。
ですけれど、一つ申すならば(これを嫌な奴;というのですけれどね)今日のはお借りした車、レンタカーでありましてどうにもシートのせいか
背中が汗だく;になりました。
まぁ、殆どの車、どのように乗っておりましても背中は暑くなるものですけれど、今日の車は殊にそれを感じました。
とはいえ、目的地までを文句一つ言わずに走ってくれるのですから有難いものです。
歳を取ると余計に文句が増えた、ほんまに年寄り臭くなっとるね、あんたは;、と帰ってきた息子に諭される始末;。
ううむ、そうか、やっぱりよく考えてものを言おう、そう思い直した日でありました;。
と、そんな日の朝はこのように曇り空で始まりました。
多くの企業等は、今年のカレンダーで行けば、おそらく明日位からお盆の休みとなられるのではと思います。
しかしながら、今日車を走らせておりますとそれでも結構な県外ナンバーの車を見かけました。
やはり既にあちこちから帰省されておられる方もおられるのでしょう。
いつも混む場所が、それ以上に混み合っており、なかなか渋滞を抜け出せない場所もいくつかありました。
皆さん、故郷へ向けて、或いは遊びにいずこかへお出かけになっておられるのかもしれません。
そんな道路を走りながら墓所へ着くと、やはり三々五々お参りの方々がおられました。
この辺り、といってもどのくらいの範囲となるのか自分でもわからないのですけれど、お盆には盆灯籠と称しまして、見た目が結構派手な竹と紙で
出来た高さ1メートル20センチ以上はある、そんな灯籠をお墓にお供えします。
ずいぶん以前に、あるテレビ番組で紹介されたことがあり、その時に自分を含め、いわば広島人、安芸の國の者はそれが当然と考えておりました
ので、全国で自分たちがいる地域、地方だけだと知りとても驚いたものです。
否、驚いたのは他の地域、自分たちを除く全国の方々だったのでしょうけれど。
それでも、そうした盆灯篭があちこちのお墓にお供えしてあるのを拝見すると、ああお盆だなぁ、と感じます。
また初盆、新盆と申します、その年に亡くなられた方のおられるお墓には白い灯籠がお供えされる慣習があり、それを見てこれもまた、そのお宅には
今年お亡くなりになられた方がおられたのだな、ということを知ることが出来ます。
この後、お盆にかけて、そのような灯籠の数も増えていくのでしょう。
この灯籠を、自分の幼い頃、母や祖母が内職として作っていたのをおぼろげに覚えております。
まず直径2センチ程の竹の先を鉈で五つか六つに割きます。
ある決まった長さにそうして割いて、その上部へ多分丸いわっかにした竹でぐるりと取り囲むように留めたと思います。
そうして割いた何面かある三角になったところへ、鮮やかな色の紙を張っていきます。
一番上側におそらく擬宝珠(ぎぼし)を象った紙を貼り付けます。
このようにして完成となったかと思います。
昔はこの中に実際に蝋燭を立て、火を灯しておりましたが、材質上案外と火事となることが多かったようで、いつの頃からかこの盆灯篭を立てる
という慣習だけが残ってきたようです。
地方によっては迎え火をするというところもあるようですけれど、自分たちの住まう地域は、これがその迎え火であるのかもしれません。
お盆が終われば、当然お墓からは撤去され焼却処分となるものですけれど、これがなければお盆は始まらない、そんな物でもあります。
そんな色鮮やかな盆灯籠を作る祖母や母のやっているのを見るのが子供心に楽しかったのでしょうね、おそらく自分にしてみれば遊び半分、面白そう
に見えるその灯籠作りを、糊をつけさせて、張らさせてだとか言いながら、手伝いには程遠く邪魔しておったのやもしれません。
そんなことを思い出しながらお参りして来ました。
まだこの後もありますけれど、今日のところはこれくらいとさせて頂きます。
昨日からこれまた申した如く、しばらくはまさにオバサンの夏の日記帳となりそうです;。
退屈しのぎにお読み頂ければ幸いです。
本日も、このブログへのお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。