こんばんは。
昨夜は随分と気温が下がり、ともすれば寒い位に感じられました。
いつもなら布団を蹴っ飛ばして;寝ている自分ですけれど、さすがにその布団をかき寄せて寝ていたようです。
そんな日の朝は、此方。
ちょっと庇も部分が写りこんでおりますけれど、寝坊した証拠ですね;。
昨日、ニギハヤヒについて滔々と述べておりましたが、う~む;あれはどうなんだろう、とそこれこそご紹介した著書を最後まで今一度読み返して
感じました。
名前そのものの考察については自分にしては案外と出来たようにも思えましたが、その人物の如何についてはかなり?マークのようでした。
ただ自分が述べたいと考えていた名前の持つ意味ということについては、あれはあれで良しとするかなということろですね。
今朝もそんな感じで様々な物や名前を「カタカムナ」の文字の意味するところに照らし合わせて考えてみると、なるほど上手く表現してあるのだな、
と改めて感じました。
よく自分達が使う「ありがとう」という言葉。
これも、この吉野信子氏著書の中でも解説されておりますが、自分でも一文字ずつ当てはめて考えてみると
「ア」 感じる
「リ」 離れる
「ガ」 内なる力(濁点が付くと、内なるという言葉が掛かります)
「ト」 統合
「ウ」 生まれ出る
とされており、これを繋げて考えると、
感じる離れた内なる力が統合されて生まれ出る
となりますね。
感じる離れた内なる力って何だろうと考えると、この言葉を使う時には自分とその対象となる人或いは物などがあります。
お互いに感情を持ち、それは離れてはいるけれど、内なる力を持っている、それが統合、一つになって生まれ出てくること。
そのようになるのかなと思います。
この場合、物には感じることそのものなんて備わっていないじゃないか、そう考える方もおられると思います。
ですけれど最近の科学では、物であってもこのありがとうという言葉には敏感に反応し、その分子の状態が良くなるとされておるようです。
殊に水などは非常に現れやすいとされているようで、「ありがとう」の言葉をかけられた水は綺麗な結晶を作り、片や「バカ」と言葉を投げかけ
られた水は、結晶そのものが崩れているとされております。
これも、文字そのものが持つ波動によりそのようになると説明されたならば、信じざるをえないのでは、とも思います。
人名、動物の名前、或いは物につけられた名前、それらをこの「カタカムナ」で自分なりに解読していくと、最初は難しくともだんだんと面白く
なり、あれこれと文字を書いては一人で感心しておること、しきりです。
もう一例を挙げてみます。
よく祝詞の中でも出てくる言葉の一つに「大神」という名詞があります。
これをやはり読み解いてみると
「オ」 奥深く
「オ」 奥深く
「カ」 ちから
「ミ」 実体 光
となっております。
これを順番に繋げて考えると
奥深い奥深い力の光
となります。
感じとして、自分達の計り知れない程の奥深くある力、それこそが光である、そのように思えます。
最初の「オ」「オ」を除いてみても、「カ」「ミ」の二文字で『力の実体、光』と解釈でき、正しくその通りを表現しているのだな、と感じら
れます。
試みにあまりよくない言葉、先ほどの「ばか」という言葉を読み解いてみましょうか。
「バ」 内なる引き合う
「カ」 ちから
となり、これを同様に繋げてみると
内なる引き合う力
まぁ、言葉そのままですけれど、力と力が引き合えば、どちらも譲らず終いには壊れてしまうのでは、と感じられます。
先に例でも出したように、水の分子が壊れてしまいきれいな結晶にならないということにも、なるほど頷ける気がしますね。
普段、自分達が何気なく使っている言葉、よく綺麗な言葉を使いなさいと言われますけれど、真相はこのようなところにあるのかもしれませんね。
気持ちよい言葉を掛けられると、此方も心地よくなりますし、第一使った自分自身が清々しいと思います。
皆さんもいつもの言葉、少しだけ意識してみられては如何でしょうか。
案外それだけでお互いに気持ちよく、また明るくなれるかもしれませんよ。
本日もこのブログにお付き合い頂きまして有難うございました。
感謝申し上げます。
昨夜は随分と気温が下がり、ともすれば寒い位に感じられました。
いつもなら布団を蹴っ飛ばして;寝ている自分ですけれど、さすがにその布団をかき寄せて寝ていたようです。
そんな日の朝は、此方。
ちょっと庇も部分が写りこんでおりますけれど、寝坊した証拠ですね;。
昨日、ニギハヤヒについて滔々と述べておりましたが、う~む;あれはどうなんだろう、とそこれこそご紹介した著書を最後まで今一度読み返して
感じました。
名前そのものの考察については自分にしては案外と出来たようにも思えましたが、その人物の如何についてはかなり?マークのようでした。
ただ自分が述べたいと考えていた名前の持つ意味ということについては、あれはあれで良しとするかなということろですね。
今朝もそんな感じで様々な物や名前を「カタカムナ」の文字の意味するところに照らし合わせて考えてみると、なるほど上手く表現してあるのだな、
と改めて感じました。
よく自分達が使う「ありがとう」という言葉。
これも、この吉野信子氏著書の中でも解説されておりますが、自分でも一文字ずつ当てはめて考えてみると
「ア」 感じる
「リ」 離れる
「ガ」 内なる力(濁点が付くと、内なるという言葉が掛かります)
「ト」 統合
「ウ」 生まれ出る
とされており、これを繋げて考えると、
感じる離れた内なる力が統合されて生まれ出る
となりますね。
感じる離れた内なる力って何だろうと考えると、この言葉を使う時には自分とその対象となる人或いは物などがあります。
お互いに感情を持ち、それは離れてはいるけれど、内なる力を持っている、それが統合、一つになって生まれ出てくること。
そのようになるのかなと思います。
この場合、物には感じることそのものなんて備わっていないじゃないか、そう考える方もおられると思います。
ですけれど最近の科学では、物であってもこのありがとうという言葉には敏感に反応し、その分子の状態が良くなるとされておるようです。
殊に水などは非常に現れやすいとされているようで、「ありがとう」の言葉をかけられた水は綺麗な結晶を作り、片や「バカ」と言葉を投げかけ
られた水は、結晶そのものが崩れているとされております。
これも、文字そのものが持つ波動によりそのようになると説明されたならば、信じざるをえないのでは、とも思います。
人名、動物の名前、或いは物につけられた名前、それらをこの「カタカムナ」で自分なりに解読していくと、最初は難しくともだんだんと面白く
なり、あれこれと文字を書いては一人で感心しておること、しきりです。
もう一例を挙げてみます。
よく祝詞の中でも出てくる言葉の一つに「大神」という名詞があります。
これをやはり読み解いてみると
「オ」 奥深く
「オ」 奥深く
「カ」 ちから
「ミ」 実体 光
となっております。
これを順番に繋げて考えると
奥深い奥深い力の光
となります。
感じとして、自分達の計り知れない程の奥深くある力、それこそが光である、そのように思えます。
最初の「オ」「オ」を除いてみても、「カ」「ミ」の二文字で『力の実体、光』と解釈でき、正しくその通りを表現しているのだな、と感じら
れます。
試みにあまりよくない言葉、先ほどの「ばか」という言葉を読み解いてみましょうか。
「バ」 内なる引き合う
「カ」 ちから
となり、これを同様に繋げてみると
内なる引き合う力
まぁ、言葉そのままですけれど、力と力が引き合えば、どちらも譲らず終いには壊れてしまうのでは、と感じられます。
先に例でも出したように、水の分子が壊れてしまいきれいな結晶にならないということにも、なるほど頷ける気がしますね。
普段、自分達が何気なく使っている言葉、よく綺麗な言葉を使いなさいと言われますけれど、真相はこのようなところにあるのかもしれませんね。
気持ちよい言葉を掛けられると、此方も心地よくなりますし、第一使った自分自身が清々しいと思います。
皆さんもいつもの言葉、少しだけ意識してみられては如何でしょうか。
案外それだけでお互いに気持ちよく、また明るくなれるかもしれませんよ。
本日もこのブログにお付き合い頂きまして有難うございました。
感謝申し上げます。