こんばんは。
昼から所用で出かけており、建物から出ると外はかなり降った後がありました。
短時間にさながらゲリラ豪雨?のようにして降ったのでしょうか、見ていないのでなんともいえませんけれど、朝には昨夜の雨も止んでいたので
降りきらなかった雨がまた落ちたのかもしれませんね。
そんな日の朝は、此方。
どんよりと曇っておりました。
実は街中へ行き、まずはお金を下ろそうとして財布からキャッシュカードを、カードを、・・・え?無いですけど;;??
とかなり焦りまして、座れる場所を探してゴソゴソと財布の中と鞄の中を探し始めました。
おっかしいなぁ、此処へ入れてるはずだけどなぁ;、無いわけないけどなぁ;とかなり念入りに探しましたが、出てきません。
その時、あ、と思いました。
この銀行ではカードと通帳を一緒にATMへ入れないと現金が出てこない仕組みになっております。
前回、引き下ろした際、「面倒くさいなぁ、どっちか一方でいいじゃんねぇ。そうしてるところもあるのに」と心の中で思いながら、その操作を
しておりました。
どうやら、この時に自分お得意?の「飛ばす」行為をしてしまったのかもしれません;。
う~ん、そうかぁ;、でもこれだけは勘弁してほしいです;、そう思ったのですけれどね。
どこかで落としたのか、或いは今申したごとく物の間に挟ませたか、はたまた別の次元に飛ばしたか、いずれにせよ物が物だけに大変な事態では
あります。
どうするかなぁ、と思いつつもこれまたどうしてだか今度はさほど焦りもせず、多分出てくるけどなぁ、とまたもやのんびりと考えながらとりあえ
ずは少し歩くか、と歩き出しました。
結局は、やはり昼から友人と久々に会って食事して来ると言っていた息子に連絡を取ると、お互いにさほど遠く無い場所へおり、今回は息子から『福
沢諭吉』さんをお一人借り受けまして、支払いするところへお出まし頂きました。
自分の財布には、その時『野口英世』さんが三名ほどご在宅?でしたが、用を足すには不足でして;。
まぁ、なんとか最低限の所用のみ済ませることが出来、安堵した次第です。
なんだかね、な話ではありますね;。
家へ戻り、このことを書きながらそれでもと思い、別の通帳を置いてある場所を見ると、・・・ありました;。
え~、なんで~~??と我ながら声が出てしまいましたけれど、どうやら件の通帳へ、無くなったと考えていたカードを挟んでしまっていたようです。
この前、使った折にATMの自分の後ろで待っておられる方が結構ありましたので、急いで通帳を鞄にしまおうとカードも一緒にしてしまっていた
のでした。
今日出掛ける際に、カードだけがどうやら通帳から抜け落ちていたようです。
話のおちとしては、単なる自分の不注意ということになりますが、どうにも困ったものではありますね;。
今後、一層気をつけたいと思います。
昨夜、いつになく二回目の更新をしたのですけれど、その際、自分の欲しい車について綴っておりました。
書いたからといって、すぐどうこうでもない、とも申しておりましたけれど、今日も今日とて、その車、同じ車種を見かけました。
たまたまバスの一番前の席に座ったのですけれど、当然周りもよく見えます。
「お、見たねぇ」と思っていると、すぐまた一台。
あ、まただ、と思うとこれまた立て続けに、二台。
嬉しいねぇ、でも色は白じゃなくて、深い青なんだよねぇ、と考えておりますと
「あら、ドンピシャリなのが来たよ」とバスの窓からその車が走ってくるのが見えたのでした。
なんだか本当に面白くて、でも内心
「見させて貰えてますけど、今のところはこの位のものなんですかねぇ」とも考えたのでした。
そういう、少しだけネガティブ?なことを思っていると、先に書いたような「カードどこ行きました;?困るんですけど;事件」に遭遇したという
わけでした。
とはいえ、事の運びとしては手助けが入り支払いも滞りなく済ませることが出来、帰宅するとカード自体がそれほど探すこともなく出て来たという
形で決着しましたので、物事は危うそうに見えて、なんとかではありますけれど、案外とスムーズに流れるのではないのかな、とも思えました。
物事、なんでも考えようと申しますけれど、悪いように解釈しようとすれば、いくらでも出来るものだと思います。
同様に、一見悪いように見えたとしても、でも結果オーライだったじゃん、良かった良かった、と良い方向へ向けて捉えると、これもまたその後の
ベクトルは、良い方向へ向けて伸びていくのではと感じます。
起こった出来事は同じでも、その後の考え方次第で如何様にもなるものなのでは、と思います。
実は、出たついでに読みたいと思っていた本がありまして。
つい先日本屋さんに行った時には、まだ入荷すらしておらずネットでは先行して予約販売しておったのですけれど、自分自身、本はどうしても本屋
さんで、まずは自分の手にとって確かめてから買いたい方なので、先だっても盆明けでないと入らないかもしれないと言われていたのを、あれでも
と思い覗いて見ると、市内の大手の本屋さんには既に何冊も平積みされてありました。
おお、やったね!と内心小躍りし、でも財布の中身ほぼスッカラカン;と思いながらも立ち読みならぬ椅子に座っての座り読み;させて頂いてき
ました。
どうするかねぇ、これ買って帰るかねぇ、でも買っちゃうと英世さんともおさらばだなぁ;、と考えて、いやぁ、まずは今夜の腹ごしらえだべ、と
煩悩には抗えず、バスを待つ間に近くのデパ地下へと足が向いたのでした。
結果的には、ご飯炊いてないし、ということで何割引かになった巻き寿司と、普段なら一個がウン百円もするパンなんて買えますかいな、とんでも
ないと頭を振る自分が、デパ地下マジック?、一つウン百円のそのパンを二個も買い、嬉々としてバスを待ったのでした。
本の内容自体が、なんというか変に我慢してお金回さないより回したほうが自分に返ってくるし、エネルギーも回りますよみたいなことが書かれて
おり、これをまた良いように解釈する自分は;、よしそれならば、と少人数の英世さんにお出まし頂いて買い物をして帰ったわけでした。
因みにその本、
ヒカルランド
まるの日圭作
『読むだけでめぐりめぐるエネルギー循環・物質化のしくみ 人・物・お金の流れは太くなる』
という著書です。
自分自身、この方のブログで幾度か質問させて頂いたことがあり、そのお答えもいつも紳士かつ真摯に対応して下さっております。
当然、ブログも毎日拝読させて頂いておりまして、その生き方が一見飄々としつつも着実かつ堅実で、今の自分の一つの指針となるような方と捉えて
おります。
機会がありましたらば、こちらのブログ、また著書も覗いて見られたら、と存じます。
自分なんぞより、当然遥かにためになること、請け合いです。
今日のオバサンブログ、お付き合い頂きました皆さん、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
昼から所用で出かけており、建物から出ると外はかなり降った後がありました。
短時間にさながらゲリラ豪雨?のようにして降ったのでしょうか、見ていないのでなんともいえませんけれど、朝には昨夜の雨も止んでいたので
降りきらなかった雨がまた落ちたのかもしれませんね。
そんな日の朝は、此方。
どんよりと曇っておりました。
実は街中へ行き、まずはお金を下ろそうとして財布からキャッシュカードを、カードを、・・・え?無いですけど;;??
とかなり焦りまして、座れる場所を探してゴソゴソと財布の中と鞄の中を探し始めました。
おっかしいなぁ、此処へ入れてるはずだけどなぁ;、無いわけないけどなぁ;とかなり念入りに探しましたが、出てきません。
その時、あ、と思いました。
この銀行ではカードと通帳を一緒にATMへ入れないと現金が出てこない仕組みになっております。
前回、引き下ろした際、「面倒くさいなぁ、どっちか一方でいいじゃんねぇ。そうしてるところもあるのに」と心の中で思いながら、その操作を
しておりました。
どうやら、この時に自分お得意?の「飛ばす」行為をしてしまったのかもしれません;。
う~ん、そうかぁ;、でもこれだけは勘弁してほしいです;、そう思ったのですけれどね。
どこかで落としたのか、或いは今申したごとく物の間に挟ませたか、はたまた別の次元に飛ばしたか、いずれにせよ物が物だけに大変な事態では
あります。
どうするかなぁ、と思いつつもこれまたどうしてだか今度はさほど焦りもせず、多分出てくるけどなぁ、とまたもやのんびりと考えながらとりあえ
ずは少し歩くか、と歩き出しました。
結局は、やはり昼から友人と久々に会って食事して来ると言っていた息子に連絡を取ると、お互いにさほど遠く無い場所へおり、今回は息子から『福
沢諭吉』さんをお一人借り受けまして、支払いするところへお出まし頂きました。
自分の財布には、その時『野口英世』さんが三名ほどご在宅?でしたが、用を足すには不足でして;。
まぁ、なんとか最低限の所用のみ済ませることが出来、安堵した次第です。
なんだかね、な話ではありますね;。
家へ戻り、このことを書きながらそれでもと思い、別の通帳を置いてある場所を見ると、・・・ありました;。
え~、なんで~~??と我ながら声が出てしまいましたけれど、どうやら件の通帳へ、無くなったと考えていたカードを挟んでしまっていたようです。
この前、使った折にATMの自分の後ろで待っておられる方が結構ありましたので、急いで通帳を鞄にしまおうとカードも一緒にしてしまっていた
のでした。
今日出掛ける際に、カードだけがどうやら通帳から抜け落ちていたようです。
話のおちとしては、単なる自分の不注意ということになりますが、どうにも困ったものではありますね;。
今後、一層気をつけたいと思います。
昨夜、いつになく二回目の更新をしたのですけれど、その際、自分の欲しい車について綴っておりました。
書いたからといって、すぐどうこうでもない、とも申しておりましたけれど、今日も今日とて、その車、同じ車種を見かけました。
たまたまバスの一番前の席に座ったのですけれど、当然周りもよく見えます。
「お、見たねぇ」と思っていると、すぐまた一台。
あ、まただ、と思うとこれまた立て続けに、二台。
嬉しいねぇ、でも色は白じゃなくて、深い青なんだよねぇ、と考えておりますと
「あら、ドンピシャリなのが来たよ」とバスの窓からその車が走ってくるのが見えたのでした。
なんだか本当に面白くて、でも内心
「見させて貰えてますけど、今のところはこの位のものなんですかねぇ」とも考えたのでした。
そういう、少しだけネガティブ?なことを思っていると、先に書いたような「カードどこ行きました;?困るんですけど;事件」に遭遇したという
わけでした。
とはいえ、事の運びとしては手助けが入り支払いも滞りなく済ませることが出来、帰宅するとカード自体がそれほど探すこともなく出て来たという
形で決着しましたので、物事は危うそうに見えて、なんとかではありますけれど、案外とスムーズに流れるのではないのかな、とも思えました。
物事、なんでも考えようと申しますけれど、悪いように解釈しようとすれば、いくらでも出来るものだと思います。
同様に、一見悪いように見えたとしても、でも結果オーライだったじゃん、良かった良かった、と良い方向へ向けて捉えると、これもまたその後の
ベクトルは、良い方向へ向けて伸びていくのではと感じます。
起こった出来事は同じでも、その後の考え方次第で如何様にもなるものなのでは、と思います。
実は、出たついでに読みたいと思っていた本がありまして。
つい先日本屋さんに行った時には、まだ入荷すらしておらずネットでは先行して予約販売しておったのですけれど、自分自身、本はどうしても本屋
さんで、まずは自分の手にとって確かめてから買いたい方なので、先だっても盆明けでないと入らないかもしれないと言われていたのを、あれでも
と思い覗いて見ると、市内の大手の本屋さんには既に何冊も平積みされてありました。
おお、やったね!と内心小躍りし、でも財布の中身ほぼスッカラカン;と思いながらも立ち読みならぬ椅子に座っての座り読み;させて頂いてき
ました。
どうするかねぇ、これ買って帰るかねぇ、でも買っちゃうと英世さんともおさらばだなぁ;、と考えて、いやぁ、まずは今夜の腹ごしらえだべ、と
煩悩には抗えず、バスを待つ間に近くのデパ地下へと足が向いたのでした。
結果的には、ご飯炊いてないし、ということで何割引かになった巻き寿司と、普段なら一個がウン百円もするパンなんて買えますかいな、とんでも
ないと頭を振る自分が、デパ地下マジック?、一つウン百円のそのパンを二個も買い、嬉々としてバスを待ったのでした。
本の内容自体が、なんというか変に我慢してお金回さないより回したほうが自分に返ってくるし、エネルギーも回りますよみたいなことが書かれて
おり、これをまた良いように解釈する自分は;、よしそれならば、と少人数の英世さんにお出まし頂いて買い物をして帰ったわけでした。
因みにその本、
ヒカルランド
まるの日圭作
『読むだけでめぐりめぐるエネルギー循環・物質化のしくみ 人・物・お金の流れは太くなる』
という著書です。
自分自身、この方のブログで幾度か質問させて頂いたことがあり、そのお答えもいつも紳士かつ真摯に対応して下さっております。
当然、ブログも毎日拝読させて頂いておりまして、その生き方が一見飄々としつつも着実かつ堅実で、今の自分の一つの指針となるような方と捉えて
おります。
機会がありましたらば、こちらのブログ、また著書も覗いて見られたら、と存じます。
自分なんぞより、当然遥かにためになること、請け合いです。
今日のオバサンブログ、お付き合い頂きました皆さん、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。