こんばんは。
午前中から気温も上がり、かなり暑くなってきていましたが午後からはゲリラ雷雨となり、ゴロゴロの雷鳴に続き一時は激しい雨となりました。
雨脚は強かったですが、その分それほど長くは続かず、まぁまぁのお湿りだったかなということろでしたね。
そんな日の朝は此方。
雲多めで始まった感じです。
日中、雷雨の前の空はこのような感じ。
カンカン照りでしたけれど、じきに雲に覆われて窓を閉めておかないと吹きしぶるような時もありました。
ところによってはまだお休みの方もおられるようですけれど、大抵が今日辺りからお盆後の仕事始めとなられたようですね。
ここ何日か、朝はあまり車の音もしませんでしたけれど、今朝はかなり早くから仕事へ出向く方の車の音が聞こえておりました。
それでも学校はまだしばらくお休みのようですし、賑やかというにはまだ遠い感じの朝ではありました。
息子やその友人、また自分の弟などが帰省したり遊びに来たりで、狭い我が家がそれなりに賑わっておりましたが、さすがに今日はいつもの
ペースとなり、その分少しホッとしているところでもあります。
ですけれど昨日も少し書きましたが、どうにも底だるさが抜けずグズグズしております。
その昔、どうしてなのか、朝からどうにも身体が言うことを聞かないほど重くだるく、歩くその一歩にさえも考えるようなことがありました。
そうかと思うと、街中の道を歩いていると急に寒気を覚えて真夏というのに一人震えるほどの悪寒がしたりという体験がよくありました。
こうなると、さながら歯の根も合わない位震えてきて、自分自身対処のしようがなく、ともかくじっとそのような事が終わりを告げるまで耐え
忍んでいたようなこともままありました。
どうして自分がそんなことになるのか、皆目検討もつかず、なんでだろう?と疑問に思ってもそれを知る術も持たず、一人でしんどい時を過ごす
ばかりでした。
これは後にわかったことですけれど、どうやら俗にいう霊障というものだったようです。
無防備で街中やあるいは病院などに見舞いに行くと、自分で呼んでもいないのに(当たり前ですけれど;)不意に向こうから自分に対して寄りか
かって来ることがあったようです。
なんというか早い話が、波長が合うという感じだったのでしょうね。
自分でそうしたくてしているわけでは決してありませんけれど、似たようなタイプのその類、いわば低い波動のエネルギー体とでもいうので
しょうか、目に見えぬけれど存在はしているそれらの類に乗っかられていたんでしょうね。
もっとわかりやすくいえば、要するに幽霊とかいわれる類のものですね。
乗っかる方はいいですけれど、乗られるこちら側はたまったものではありません;。
ですのでそのような時は、殊に若い頃はさっきまで元気にしていたのに、急に暗い顔をしてどうしたんだ?と周りに訝しがられていたようです。
そんなしんどい思いをしなくなったのは、いうまでもなく主人と結婚し、曲がりなりにもこの仕事に就いてからです。
自分で神主の衣装を身につけ、その気になって周りを感じると、其処此処へそのようなものの気配が感じ取れるようになってきました。
自分の場合は、あくまでも感じる方で、見えるというよりも頭の中にイメージ、映像として認識できるという方が合っているように思います。
ですので仕事でそのモードというのか、そのようなバリアを張ったような状態ですと自分で意識してガードをしているわけですから、それほど
がっくりきたりということはなくなりました。
仕事の際には、そのように構えている分、殆ど身体に堪えることはありませんけれど、ごくまれになんにもない様なところで、がっくりくるような
こともあります。
いつだったか、あるお店で買い物をしていると急に気分が悪くなり、たまたま近くにいた店員さんが大丈夫ですか?と声を掛けて下さったのです
けれど、しばらくその場を動けなかったこともあります。
家に帰りそのことを夕飯時に話していると、主人が
「あそこは、その昔殺人事件があった場所だ」
と言い出しました。
話を聞くと、確かにそのようなことがあったらしくどうやら未解決のまま迷宮入りしたようでした。
これも失礼な話かもしれませんけれど、たまたまその場へ居た自分と波長の合ったその人が何か話しかけてきたのかもしれませんね。
身構えていなかった分、以前のようにがっくりきたのかもしれません。
今でこそ、さほどそのような目に合うことも少なくなりましたが、以前はそれこそしょっちゅうでしたし、結婚後最初の子供が生まれるまでは、
そのような時には『大祓い』という祝詞をあげる様にしておりました。
そらで覚えるには多少長い祝詞ではありますが、もし自分のような事によく遭遇するという人などは覚えておかれるとよいかもしれません。
自分自身はこれで防げたと思っておりますけれど、穿った見方、今にして思えば自己暗示的な面もあったのかなとも感じます。(こういうこと
をいってると、神主はもぐりか?と疑われそうですけれどね;)
この祝詞、神様がどのようにして国を造ったかということをそのまま述べたような、ちょっとした物語のようなものでもあり、どのようにして祓い
を致すのかということを説明されているようなものともいえます。
最初は少し難しいかもしれませんけれど、そこは日本語、わからぬままに唱えておられても、そのうち意味はお分かりになるかと思います。
自分の場合はひと夏毎晩、主人と共に一巻ずつ奏上致すことにより、覚えさせて頂いておりました。
ただし、自分の時には主人という手本がおりましたので案外早く覚えられたのかもしれません。
けれど、主人自身は神主になる際、一週間で覚えろと教師にいわれ、そんなの無理だと反論すると
「神さんがしたことをおまえらにしろと言っとるんじゃない。人間がしたことをしろと言うとるんだ。わしらが出来たことをおまえらが出来んわけ
がなかろう」
と神様を引き合いに出して;!?説得されたそうです。
それから比べると、おまえが覚えるのはものすごく簡単なことだ、とこれは自分が主人から言われたことでした;。
今はネットで検索しれれば手本となる音声も幾つかあるかと思います。
試しになさってみられては、と思います。
このだるさ、みんながおいていった、あれやこれやもあるのかな~、なんぞと思いながら過ごしております。
まぁ、そうは言いつつも一度きちんと身体のメンテナンスをして来ねばね、と考えるところです。
今日もこのブロブにお付き合い頂きまして有難うございました。
感謝申し上げます。