日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

休みの一日に

2017-08-12 22:52:37 | 日記
こんばんは。
午前中、案外涼しいねと思っていたら大間違い;
午後からは、しっかりと暑さを感じる日となりました。
それでも蒸す感じがなくなっただけでも有難いと思えます。
そんな日の朝は此方。
と共に昨夜の月も。
多少は秋の感じになってきたのでしょうか。
    

                                  



                                  


といつもの朝の風景やらを掲げたのですけれど、今日は息子の大学時代の友人くんが遊びに来てくれており、自分を含めて話に花が咲いてしまい
なかなか書くことが出来にくくなっております;。
これを世の中、言い訳、と称しております;。
すみません;。

そんなことで、今日は昨日の続きを書く予定がまたずれ込むことになりました。
三人で話していて、息子が仕事であった、ちょっと怖い話とかになってしまい、ついつい長引いてしまいました。
とはいえ、自分や息子などにしてみると日常茶飯事とは申しませんが、それが普通な感じでもあり、さしてそのこと自体に怖いとも感じていないのが
かえっておかしいのかもしれませんけれど。
むしろ、ああそうかもね、な感じでしかないのですけれど、友人くんにしてみれば、それどうなんですか;な思いにかられるようです。
怖がらせるつもりもないのですけれど、すみません、な話というところではありますね。



                                  


そんな話、いくらでもあるのですけれど、今日はこんな日でした、ということでお茶を濁させて下さいませ;。
いやいや聞いてみたいです、ということがありましたら、また書かせて頂きたいと思います。

                                  
                                   

夜は虫の音も聞こえるようになりました。
やはり秋は確実に近づいているのかもしれませんね。
気温差で体調を崩されませんように。


本当に申し訳ない(といい続けている最近です;)本日のブログ、お越しいただきました皆さん、有難うございました。
感謝申し上げます。     
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呉でお昼ご飯

2017-08-11 22:13:26 | 日記
こんばんは。
今日は、日中案外と曇り勝ちで、その分いつもより少しは凌ぎやすく感じられました。
ですけれど、夕方のこの時間、ヒグラシとツクツクボウシと、なんだか混声合唱団となって?鳴いております。
気温が下がったんだか、まだ暑いんだかわからないですね;。

そんな日の朝は、此方。
割に水蒸気は多めな感じでしたけれど、元気なお日様が昇ってきておりました。


                                    

昨日の続き、お墓参りの後を書かせていただこうかと思います。
もう、予告通り?まるっきりオバサンの夏の絵日記ならぬ写真日記と化しております、ご容赦のほどを;;。

お墓は、呉にあります。
そのお墓参りを終えて息子と二人、どこか美味しいものでも食べようか、と街中まで出向きました。
とはいえ、どんなお店があるのか今は全く分からず、ともかくも車をコインパーキングに停めて中通といわれる商店街を歩き出しました。
その昔は海軍さんの街として知られた処でもあり、案外と美味しいお店は今でもあるようなのですけれど、如何せん、今は全く存じません。
それでも以前の記憶を頼りにさして長くもないその商店街を歩いて、ある一軒のお店に入りました。
既にお昼の一時半を回る頃で、どうやら自分たち親子が最後の客のようでした。
かなり小さなお店でしたけれど、お母さんと思われる方とその娘さんでしょうか、お二人でなさっているオムライスが主体のお店のようでした。
自分の方は、半オムというおそらくボリュームが半分にしてあるんだろうなと思うものを注文し、息子は普通のものを頼んでおりました。
「大盛りにして貰えますか?」
と息子が伺うと
「うちはしていなんですよ」
とのお応え。
それでもしばし待っていると、息子の方にはおおよそドンブリ(そう、そんな感じの器でした)一杯分のサラダ、自分の方にはこれでも小さいの?
というほどの割としっかりめのサラダが出てきました。
二人ともお腹が空いていたのもあり、ペロリとそれを平らげるとメインのオムライスが運ばれて来ました。
半オムというより、これまたしっかり一人前の自分のそれと、息子のオムライスは大盛りでなくてよかったねというくらいのボリュームがあります。
道理で男性お二人が満足そうに召し上がっておられたはずです。
最後は小さめの器に入ったクリームブリュレ?と、自分は温かい紅茶、息子はアイスコーヒーというメニューでした。
思う以上のボリュームに、息子の方はちょっと食べ過ぎたかもというくらいの量だったようです。

                                  


食べ物やさんという意味では、此処のお店のように洋食屋さん、お寿司屋さん、中華料理、とお店そのものはそれほど大きくはありませんが、
様々にバラエティに富んだお店があり、そのどれもが美味しく頂けるのではないかと思います。
そうそう、中華そば、いわゆるラーメン屋さんも結構いけますよ。

その他にも皆さん、お馴染みの海軍さんの珈琲もありますね。
甘いものなら、普通は二重焼き或いは今川焼きの名称で親しまれている「びっくり饅頭」というものもあります。
これが子供の頃、殊に好きでして祖母がお土産に買って帰ってくれるのを楽しみにしていたものです。
こちらのは、小豆の赤い餡のものと、白いあんこのもの、それにクリームというカスタードクリームの入った3種類があります。
その中で、このクリームの饅頭に特に目がなく、幼い自分は皮になっている部分をこっそりめくっては中味を確かめては、たしなめられていたもの
でした。
フライケーキという、中にこれもあんこの入った文字通り揚げたお饅頭もあります。
こちらもやはり好きでしたよ。
揚げたては殊更美味しく、中のあんこも熱々で気をつけないと火傷をしてしまうくらいです。
今でも高校生など、学校帰りの生徒さんらに人気なのではと思います。 


                                  


その後、今度は幼い時分に住んでいたご近所の幼馴染のお母さん、というよりも今でも「おばちゃん」と呼んで慕っておる方のところへ立ち寄
らせて頂く事にしました。
幼馴染の方は、実は何十年も会っておりません;。
お互い結婚し、それぞれに家庭を持つとなかなか会うこともなく、むしろこの「おばちゃん」の方が自分にとっては若い頃から親以上に頼れる存在
でもあり、何かにつけお邪魔していたのでした。
息子の方も、これまでにも何回か連れていったこもあり、この度は本人も新しい仕事に就けた報告も兼ねて参らせて頂こうということになりました。


                                   


明日は此処から続きとしたいと思います。
どうにももう一人家族(それこそ、上記の息子ですけれど;)がおりますと、なんやかやと親をあごで使ってくれております;。
普段離れて暮らしておれば労いの言葉も互いにかけるのですけれど、二言目には喧嘩ごしで物をいってくるのにいささか疲れておるところ。
まぁ、愚痴やら喧嘩が出来るのも相手が居るからこそですけれどね;。
すみませんです;。

                                   

オバサンの写真日記、本日のお付き合い、誠に有難うございました。
感謝申し上げます。
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お盆に寄せて

2017-08-10 22:29:49 | 日記
こんばんは。
暑い一日でした。
とはいえ、今日はその殆どをエアコンの中で過ごしておりましたので、あまり実感がありません、すみません;。
というのも昨日申した如く、少し早いお墓参りに行って参りましたので、道中はそのエアコンの効いた車中ではありますし、涼しく過ごしておった
次第です。
ですけれど、一つ申すならば(これを嫌な奴;というのですけれどね)今日のはお借りした車、レンタカーでありましてどうにもシートのせいか
背中が汗だく;になりました。
まぁ、殆どの車、どのように乗っておりましても背中は暑くなるものですけれど、今日の車は殊にそれを感じました。
とはいえ、目的地までを文句一つ言わずに走ってくれるのですから有難いものです。
歳を取ると余計に文句が増えた、ほんまに年寄り臭くなっとるね、あんたは;、と帰ってきた息子に諭される始末;。
ううむ、そうか、やっぱりよく考えてものを言おう、そう思い直した日でありました;。

と、そんな日の朝はこのように曇り空で始まりました。

                                 

多くの企業等は、今年のカレンダーで行けば、おそらく明日位からお盆の休みとなられるのではと思います。
しかしながら、今日車を走らせておりますとそれでも結構な県外ナンバーの車を見かけました。
やはり既にあちこちから帰省されておられる方もおられるのでしょう。
いつも混む場所が、それ以上に混み合っており、なかなか渋滞を抜け出せない場所もいくつかありました。
皆さん、故郷へ向けて、或いは遊びにいずこかへお出かけになっておられるのかもしれません。

                                 

そんな道路を走りながら墓所へ着くと、やはり三々五々お参りの方々がおられました。
この辺り、といってもどのくらいの範囲となるのか自分でもわからないのですけれど、お盆には盆灯籠と称しまして、見た目が結構派手な竹と紙で
出来た高さ1メートル20センチ以上はある、そんな灯籠をお墓にお供えします。
ずいぶん以前に、あるテレビ番組で紹介されたことがあり、その時に自分を含め、いわば広島人、安芸の國の者はそれが当然と考えておりました
ので、全国で自分たちがいる地域、地方だけだと知りとても驚いたものです。
否、驚いたのは他の地域、自分たちを除く全国の方々だったのでしょうけれど。
それでも、そうした盆灯篭があちこちのお墓にお供えしてあるのを拝見すると、ああお盆だなぁ、と感じます。
また初盆、新盆と申します、その年に亡くなられた方のおられるお墓には白い灯籠がお供えされる慣習があり、それを見てこれもまた、そのお宅には
今年お亡くなりになられた方がおられたのだな、ということを知ることが出来ます。
この後、お盆にかけて、そのような灯籠の数も増えていくのでしょう。

                                 

この灯籠を、自分の幼い頃、母や祖母が内職として作っていたのをおぼろげに覚えております。
まず直径2センチ程の竹の先を鉈で五つか六つに割きます。
ある決まった長さにそうして割いて、その上部へ多分丸いわっかにした竹でぐるりと取り囲むように留めたと思います。
そうして割いた何面かある三角になったところへ、鮮やかな色の紙を張っていきます。
一番上側におそらく擬宝珠(ぎぼし)を象った紙を貼り付けます。
このようにして完成となったかと思います。
昔はこの中に実際に蝋燭を立て、火を灯しておりましたが、材質上案外と火事となることが多かったようで、いつの頃からかこの盆灯篭を立てる
という慣習だけが残ってきたようです。
地方によっては迎え火をするというところもあるようですけれど、自分たちの住まう地域は、これがその迎え火であるのかもしれません。
お盆が終われば、当然お墓からは撤去され焼却処分となるものですけれど、これがなければお盆は始まらない、そんな物でもあります。

そんな色鮮やかな盆灯籠を作る祖母や母のやっているのを見るのが子供心に楽しかったのでしょうね、おそらく自分にしてみれば遊び半分、面白そう
に見えるその灯籠作りを、糊をつけさせて、張らさせてだとか言いながら、手伝いには程遠く邪魔しておったのやもしれません。

                                

そんなことを思い出しながらお参りして来ました。
まだこの後もありますけれど、今日のところはこれくらいとさせて頂きます。


昨日からこれまた申した如く、しばらくはまさにオバサンの夏の日記帳となりそうです;。
退屈しのぎにお読み頂ければ幸いです。


本日も、このブログへのお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。

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帰省しました

2017-08-09 20:55:40 | 日記
こんばんは。
昨日までと比べて、この辺りは曇っていたこともありかなり気温が下がりました。
とはいえ、蒸し暑いことには変わりなく少し動くと汗が出ます、当然ですけれど;。
降らないというのはどうにも釈然としなくていけませんね。
そんな日の朝はこのようなお天気。
やはり曇っていました。
とはいえ、夜になるとシトシトと降ってきました、どうやらこれから降るのかもしれません。 

                                  


私事ですけれど、息子が今日帰省しました。
一週間ほど休みを頂けるらしく、お盆といわれる期間よりも少し早めの始まりで戻って参りました。
多少は見た目など変わって帰るだろうかと思っておりましたが、それほどでもなく、家族でもありつい先ほどまで居たかのようにごく普通に話して
おります。
当然なことですけれどね;。
二人だけの家族ですので、それほど大層なことをすることもなく過ごしておりますが、どうしてか一人増えただけで家事はいつも以上に増えたように
感じられます。
逆にとれば、その分最近が手抜きである、ともいえるのでしょう;。
まぁ、そんな感じでしばらくはまた二人の暮らしですね。

それで、というわけでもありませんけれど(いや、そうだな;)少しこのブログも簡単に、早い話が手抜きとなるやもしれません、すみません;。

                                   

掲げております写真は、そのほとんどがその日に撮ったものです。
ですので、せめて写真だけでも此処へ揚げさせて頂こうと思います。
いずれも身近な場所で、しかも申すが如くガラケーで撮ったものばかりですので、大したものなど全くないのですけれど。

暇つぶしにご覧になっていただければ、と思います。

                                   


                                   


此方は昨夜の満月の写真。
その前の晩のわずかな月食とさして変わりはありませんけれど;。

                                    


と、そんな感じの日を過ごしておりました。
明日は少し早い墓参りに行って参ります。
時間が取れる限り、更新させて頂きたいと思います。

      
本日の、この手抜きブログ(本当にすみませんです;)訪れて頂きました皆さん、有難うございました。
感謝申し上げます。
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原爆の日に寄せて その二

2017-08-08 22:03:25 | 原爆の日に寄せて
こんばんは。
台風一過、昨日は爽やかに空気も澄んでいましたが、今日は少しくぐもった感じでした。
それでも昨夜はこの辺り、綺麗に晴れ渡り夜中には部分月食が見えておりました。
夜中も夜中、午前二時を回ってから始まりだしたようでしたが、偶然にもその時間に目が覚めて(いや、ほんと;)ついパシャッと一枚だけ撮り
すぐまた寝ておりました。
最近、ふと、という感じで夜中にパッと目が覚めることがあるのですが、これってもしかして単なる歳のせいでしょうかね;。
そんな翌朝、今朝はこちら。
お日さま、カンカンでしたよ。

                                   

と、その部分月食が此方。
とはいえ、やはりこの携帯ではこれが精一杯、どこが欠けてるかさっぱりですけれど、左下部分が少し欠ける月食でした。


                                   

先日、まだ書き足りないことがあると申しておりました事、「あの日」に繋がる自分の記憶の一片をお伝え出来ればと思います。
そのことについての写真を以前、自分で撮った記憶があるのですけれど、この携帯、ガラケーの中を探しましたが見当たりません。
見直しても今は出て来そうになく、後日わかった時点で改めて載させて頂きたく存じます。
申し訳ございません。

原爆が落ちて焼け野原となった市内でもかろうじて残った建物があったとされております。
日本銀行の旧広島支店と百貨店の福屋という建物です。
石造りの堅牢なそれらの建物は、あの爆風にもかろうじて耐え抜いたのでした。

日本銀行の方のそれは、今は様々なアート作品等を展示するスペースとして広く市民に開放されております。
作家さんたちの展示が行われたり、大学の芸術学部の卒業制作展の発表があったり、と様々に活用されております。
そのような展示がない時でも、自由に内部は見学出来るようになっております。
自分が、そんな場所へ足を運んだのはそんな大学の卒業制作の展示を見に行ったのが最初でした。
建物の中の色々なスペースを使い、思い思いの展示がしてあり、結構な見ごたえがあるものでした。
展示の場所は、元銀行だけあり以前はおそらく一般には入れなかったであろう地下の部屋であるとか、金庫の横の何を収納していたのか、日の当た
らない部屋などもあり、それらを見るだけでも知らない世界を覗くようで、楽しい気分を味わっておりました。
そのような展示をしているスペースとは別に、全く何も展示されていない部屋も幾つかありました。
展示がないというよりも、以前銀行として使われていた当時のままを殆どそのまま残しているような場所です。
その中の一つに支店長室がありました。
さすがに当時使われていたであろう調度品等は置いてなかったように思いますが、部屋の設えは当時のままで、窓枠や天井の高さなど、庶民の自分
からすると、それだけで圧倒されてしまいそうな重厚感のある部屋でした。
その部屋の装飾にはふんだんに木も使われているのですが、その木の何箇所かに小さな傷がありました。
よく見ると、ガラスの刺さった後のようでした。
それは、あの日爆心地から何百メートルも離れていないその銀行にも爆風がおよび、窓のガラスが瞬時に割れ、その破片が突き刺さったもののよう
でした。
磨き上げられたその木のそこかしこに、そのような小さな傷がいくつかあるのを目にした時、不意にこみ上げて来るものがありました。
たとえ何十年経とうとも、この場所は物言わぬけれど、こうして今でもあの時の記憶を此処に静かに留めているのだな、そう思うと何ともいえぬ
気持ちになり、誰もいないのを幸いに一人涙ぐんでしまっておりました。
言葉は決して発しない、けれどあの時の証は此処にこうして今でもあるんだよ、そんな風にその部屋自体が伝えて来ているような気がして、何とも
言い表せない思いが心の中でわいてきておりました。
今しがた、すぐ下の階では若者たちが自由に創造し且つ想像力を膨らませ、自分たちのイメージした形を表現したアート作品を見てきたばかりです。
今の時間を生きて、自由な発想で物を作り人々を楽しませてくれている若者達、しかしその何十年前のこの場所は、あの日あの時は想像すら及びも
しない地獄絵図ともいえる空間に変わり果てていた。
そう思うと、平和のこの時をごく当たり前に享受して今を生きている自分達が、なんと平穏なのだろう、安心安全がごく普通にあるのが当然と
考えている自分達が、どれほど平和で居られる現在なのだろう、そう感じ、余計に胸が熱くなる気がしたのでした。
そしてまた、そのように居られる自分達を有難うございます、このように穏やかで平安で居られていることを有難うございます、と誰にいうとも
なく心の中でつぶやいておりました。

                                 

その日銀の建物であったか、入り口の階段に人影がそのまま残っている石段があったと記憶しております。
今現在、その石段は原爆資料館に収められているかと思います。
黒い人影がそのまま焼きついたその石は、あの朝一瞬にして、そこにいた人がそのような形でしか残らなかった証拠でもあります。 
小学校の頃のことであったか、その石段については、当時を語る物になるとして資料館に収蔵されるとニュースで聞いた覚えがあります。 
その昔のこととてあまり定かではありませんけれど、そのようなことであったかと思います。
小学生よりもっと幼い頃、呉に住んでいた自分は、母に連れられてか、よく広島の叔母の家に遊びに行っていた記憶があります。 
紙屋町といわれる広島では繁華街のその辺りは、今でもそうですけれど、路面電車が行き交い賑やかな場所です。
交差点の四隅には重厚な石造りの銀行を中心とした建物が立ち並んでいたように思います。
そのような場所で、わずか二十年にも満たない以前に、あの日の事があったのでした。  


福屋という百貨店は、その当時は郵便局だったと聞いた気もします。
此処の部分は、定かではありませんので、間違っておりましたら申し訳ございません。
その建物の中で働いていて被爆したという方がおられました。
あの日、一瞬、眩い光がしたかと思うとあまりの爆音にしばらくは耳が聞こえなかったと言われました。
気がつくと床に倒れており、ものすごい土煙で当分何も見えなかったともいいます。
まだ建物の中に居たから助かったと話しておられましたが、どのようにしてそこから抜け出せたのか、気づくと外へ出ており、辺りは火の海に
なっていたといいます。
わけもわからず逃げ惑う人々、というよりも何か正体のわからぬ者が大勢周りにおり、皆どこかへ歩いていっていたといいます。
その方自身、自分の家のあった郊外まで、どのようにして戻ったか、これもまた覚えていないといわれます。
なんとか辿り着いたけれど、自分自身もかなりの傷をおっておられたようで家族の者が驚いていたと言われました。


                                     


自分が感じたあの日のこと、人から聞いたあの日の記憶、まだ頭のどこかに「あの日」に繋がる記憶はあるかと思います。
またいつか思い出したなら、書かせて頂ければと存じます。

明日は長崎に原子爆弾が投下された日です。
刻には手を合わせたいと思います。


本日もこのブログへお越しくださいまして、有難うございました。
感謝申し上げます。
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