日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

楽しんで

2017-12-16 21:29:09 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
気づくと今年も半月を切ったというところまで来ましたね。
歳と共に年々歳々、時間の経つのが早く感じられると言いますけれど、確かにそう思います。
なんというか、紙の端っこと端っこを合わせてみたら、今年の一月と来年の一月が隣り合わせに思えるような、そんな気分です(どんなんだ;)
振り返れば、あんなこともあった、こんなこともあったと思うのですけれど、どうにも中間が抜けているような、そんな思いに囚われます。
とはいえ、そんな思いなどとは関係なく季節は移ろって行きますね。
今日、朝のうちは割りと暖かいと感じていたのに夕方にはまた時雨れてきて風もあり、寒くなって来ました。
今冬は寒いと聞いておりましたけれど実際そんな感じですね、冬物衣料が良く売れているそうです。
そんな風感じていた朝は、このようにどんよりと曇っておりました。



      
                                   




                                   



先だってこのブログでもご紹介させて頂きました陶芸作家の多賀井氏より頂戴致しましたお湯のみですけれど、こんな風にして使わせて頂いて
おります。
丸っこいフォルムでころんとしており、掌へすっぽり収まるサイズです。
器そのものが少し厚みがありますので、その分口当たりがなんともいえず柔らかくて優しい感じが致します。
以前にも申しておったかもしれませんけれど、これでお茶を頂くと、それだけで心がほっこりする思いです。
ご自身のブログ内で、このような湯のみはありませんけれど、お皿やお茶碗等をネット販売も始められたようですので一度ご覧になってみられ
ては如何かと思いますよ。
年内はお忙しいかもしれませんけれど年明けてでも新しい器で食事をするというのも、気分が改まって良いかもしれません。
因みに後ろのポットはごく普通に陶器屋さんで求めましたものです、悪しからず;。

尚、その後ろへ見えておりますのはうちの御霊舎(みたまや)です。
本来はもう少し高さのある場所へ据えねばなりませんけれど、狭い今の我が家にてこの場所で居てもらっております;。
突っ込みどころは色々あるかと思いますけれど、それについてはまたいずれ(いつものパターンだな、これも;)




                                    



さとう式リンパケアで肩こり解消の動き、それに猫背を解消させる動きをすると驚くほど姿勢が良くなります。
とはいえずっとその姿勢のままでは保てませんので、気づくとしております。
今朝も昨日の疲れもあり、余計に肩を回しております的に動かした後、いつもの祝詞奏上をさせて頂きました。


 祝詞奏上の後、これは大神か


   〝   己が(おのが)声が出ておるようじゃな それで良い

       自分の大元へと 繋がる事じゃ  (この部分、あまり覚えていない)  〟


                          
 アヴァンダンシア(豊穣の女神)か  最初は木花咲耶姫かと思ったけれど少し違うよう


   “   いつもどうしようと 貴方の気になるところばかりを 覗いているから

       それが(意識の底から)昇ってきて そのことが きっかけとなるのです

       そうではなく 自分がこうありたい こうなりたいという姿こそ

       目を向けて下さい 必ずそうなるのですから

       そうなってくれば 自ずと 下の部分(お金のこと等)も 解消されてきます

       楽しいこと なりたいこと やりたいことに 目を向けて下さい   ”


 頭の中でそのようになった自分を想像する、そうすると一人ひとりの波動が繋がって大きな渦となっているのが見える
 続いてバシャール? あの黒い三角形の後ろに青い光がイメージされる


   ‘   貴方がこうありたいと思う瞬間に 隣の次元へシフトしているのです
       
       ですから望む次元のことを考えて下さい 

       そうすることが その世界へ至る 一番の近道となるのです   ’
                                           
       

       
                                        
                                   


最初の大神の言葉は、自分でも祝詞を上げておりましても姿勢が良いと自然とお腹の底、いわば丹田といわれるところに力が入り声が出てくる
感じになります。
声をむやみに張り上げよう、出そうとせずとも自ずとそうなるので自分でも気持ちよく祝詞奏上が致せます。
そこのところを言われたように感じました。
他にも何かを言われたのですけれど、今日はどうにも思い出せませんでした。
また気づいた時にでも記したいと思います。

続いてアヴァンダンシア、書いておりますように最初はいつもの(という言い方もどうかな、ですけれどね)木花咲耶姫かと思いましたけれど
今回は此方の女神であったようです。
そんなに違いがわかるものなのかと言われるかもしれませんけれど、受ける感じがやはり違います。
この女神の方がきっぱりと物を言われるように感じられます。
木花咲耶姫は、どちらかというとたおやかな柔らかさがあるように思います。
東西の洋の違いというところでしょうか。
ともあれそのような感じを受けました。
この話自体、幾度か他の存在にも同じようなことを言われておりますね。
自分自身がいかに考えることが同じであるのかということがよくお分かりになるかと思います;。
余程、目を向ける部分が下向きなのでしょうか、そうでもないとは思っておるのですけれど。
ただ楽しむこと、これに着目した方が良いというのは、やはり共通していわれておることのようですね。
心の中では常に楽しいことに目を向けておりたいと思います。

最後は果たしてそうであるのかどうか、話し方は確かにバシャールのようでもありますが、自分で勝手にそのように聞こえたと感じていたのかも
しれません。
けれどこの存在自身も、前述のアヴァンダンシア以上にきっぱりとした物の言い方をしていたように思います。
そうしてこれらの存在が同様に言うことは楽しむ方へのシフトをしなさいということのようですね。
そんなことばかりしていたって、と言われそうですけれど、実際に自分が楽しいと感じている時間というのはあっという間に過ぎるように思える
ものです。
それだけその時間が充実しているとも言えるのだと思います。
これもよく言われることですけれど、時間の長さは皆に一様に与えられているようではあるけれど、実のところ、その人がどのように感じている
かで時間の進み具合も違うのだということのようです。
つまりは自分が集中したり楽しんだりして過ごす時間が短く感じるという時、それは同じ5分間だとしても、しんどいと感じながら過ごしている
人の五分間とはその長さが実際にそのように違うのだということらしいですね。
説明が下手なので上手く表現出来ないのですけれど;。
要するに楽しんで過ごしている人は時間の感じ方が短いと思える分だけ、実際に若くいられるのだということのようです。
此処の部分、もう一回、きちんとご説明出来るよう勉強し直して参ります;。



                                   



こうして書いておりますとあまりその存在を感じませんけれど、神殿に居て祝詞を上げたり、或いは外を歩いていて、ふと空を見上げるとそこに
龍がいるかのように感じられたりします。
つかず離れず、常に龍は身近におるのだと感じております。
いつも話しかけてくるわけではありませんけれど、自分にとっては頼もしい存在、そのように感じておる次第です。




                                   



外の風が強くなって参りました、今夜もまた冷え込みそうです。
どなた様も温かくしてお休み下さいね。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。 
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龍の思惑

2017-12-15 22:07:10 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝、いつものことですけれど滅茶苦茶、寒かった、というより冷え込んでおりました。
皆様の辺りは如何でしたでしょうか。
ともかく冷えてるねぇ;、と感じつつおりましたけれど、そんな日でも当たり前に世の中動いております。
8時を過ぎると既に上の砂防ダムへ向かうダンプを通すのに警備員さんの無線の大きな声が響いておられました。
いやぁ、こんな朝は一段と大変だなぁと感じておりましたけれど、日中は大分暖かくなってきたようで何よりと思えた日でもありましたね。
とは言え、お天気の移り変わりは早いようで明日はまた崩れるとか。
このところ乾燥してきておるようですし、湿り気という意味では降らないといけませんね。
そんな日の朝は、こんな感じで放射冷却のせいか霧が出ているところもあったようでした。




                                  



                                  



                                
                                  



今日また所用にて出掛けて来たのですけれど(ええ、出ベソで御座いますですよ;)いつもは街中で用を済ませるのですけれど、少し別の所へ
行って来ようと広島の駅前まで行って参りました。
出掛けた先でもう一度駅行きのバスに乗ろうとした所、ちょうどあるご高齢の女性が乗られるところでした。
どうやらお足が悪いようで、ちょっと高めのバスのステップに乗りにくそうにしておられました。
大丈夫ですかと声をかけさせて頂き、お手を取りながらご一緒にバスへ乗り込みました。
このバスはこの後どこへも立ち寄らず駅へと向かいます。
降りるのも当然一緒となるわけですので他の乗客の方が降りられてから、もう一度その方のお手を取りながらバスを降りました。
この後どうされるのか伺うと、JRで帰宅されるとのこと。
自分は降りた所の建物に用があるくらいで、さして急ぐわけでもありません。
そこで足元のおぼつかないその方の腕に手を回して、二人してゆっくりと駅へと向かうことにしました。
この方ご自身恐縮しておられましたけれど、お話を聞けば遠方からお越しでもあり電車に乗るのは不慣れだとおっしゃいますので、尚のこと
駅の改札までお連れさせて頂こうと考えたのでした。
実際、駅の改札口も以前と変わり二階からが乗降口となるようですので、あまり利用されない方ですとお分かりにならないかと思えたのもあります。
今日、広島へお越しになる際はどうやらバスで来られたとかで、余計わからないご様子でした。
ご不自由な足元をかばいながら歩かれますので二人してゆっくりゆっくり、まるで親子みたいにしてお連れさせて頂きました。
改札口を通られ、ホームへのエスカレータで下りられるところまでをお見送り致しました。
はっきり申して全くの自己満足にしか過ぎません。
ですけれど、あの時のあのバスに間に合うように自分自身が、おまえ、ちょっと行って参れと神様だかいつも一緒についているであろう?龍だかが
そのように仕向けたように感じたのでもありました。
申すように別にそこまで行かずとも済むような野暮用ですし;、あの時にどうしても行かねば、みたいな気になったのは案外そのようなことを
して来い、という上からの指示だったのかな、とも感じた次第です。
こいつ、これ位しか今のところ使い道無いしなぁ、と、お、そうだ、ちょうどこの時間にあの人間があの場所へ行くようだから使わせるか、と
そのようなことだったのでは、とつい思ってしまった出来事でした。
立ってる者は親でも使え、そんな言葉がありますけれど、そのように使わせて頂けた?のかもしれません。
ま、どうでもいい話、なんですけれどね;。




                                   



続いてはいつもお馴染みの;上からの言葉と感じた光景を書かせて頂きますね。


  祝詞奏上後、見えてきた光景
  かなり下へ 雲に覆われた大地
  その上の真っ青い空を 風を切りながら悠々と翔る龍 (付いている白龍か?)
  見晴るかすような大地
  

     〝   我と 参れ  〟


  飛びながら見えてくる景色 緑なす大地 先ほどより高度は低いけれど まだかなり上空かららしい


     〝   これが 我が(吾が?) 国土 

         この大地を 守れ

         美しい処もあれば  (より上空から見た中国沿岸部辺りか?)

         汚れた 穢れた 場所もある

         だが まだ 間に合う

         美しき地球を 取り戻せ (このままではいけないという意味か)    〟
  

  木花咲耶姫

    
     “   大国主(大神)は父性の心 大らかでありながらも

         厳しい 険しい(とは違うがそのような意味合いのこと)気概を持ちし心

         吾が 心は 母の心 

         その二つ持て (持ちて) そなた 参るべし   ”



     ‘   我 使うべし (龍か?)  ’


  頭の上 いつも以上に ぐわんぐわんとする感じ
  下から突き抜けつつも 頭頂は尚も感じている


     ‘   エネルギー 力を廻すべし

         そなたなら 出来る   ’

   
         

                                 



                                 
                                    

これまたいつもの如く、空翔る龍が冒頭に出て参りました。
いつかも申しましたけれど、この時に見えてくるおそらく龍の視点からの光景、本当に気持ちよいのですよ。
胸すくような、抜けるような青い空の下を、風を切るその音までもが聞こえてきそうな勢いで翔けて行きます。
しかしながらその様は、やはりどこか悠々とまた堂々として空を翔けていくようでもあります。
3DだとかCGだとかで再現出来るのならば皆様にも是非とも見て頂きたい、そのような光景です。
眼下には緑に覆われた大地が見えております。
これはどうやら自分達の住まう日本の国土らしいですね。
しかし少し目を転じると、そこは荒れ果てた土地も見て取れ、流れるその川の色も汚く濁り空気までもが薄汚れております。
日本でも東京近辺はうっすらとスモッグがかかりお世辞にも綺麗とは言い難い光景が見られる時もありましたけれど、他の国のそれは比較に
ならないほど汚染されておるようです。
ただしこれはあくまでも自分の想念の中のことですので、事実であるかどうかは存じません。
ですけれど概ねこのようなのでは、とも思います。
その光景を見ながら龍は、美しい地球を取り戻せと言っておりますけれど、これは龍自身の願望?でもあるのではとも感じます。
かつて彼らが空行く時は、その空はあくまでも青く澄み切っており大地は緑に覆われ、流れる川の煌きは喩えようもなく美しかったのでしょう。
それが今や地球のあちこちは人間の手により切り崩され、あるいは焼き払われ、無残なその姿を晒され始めておるのでは、とも思います。
龍は人間達のするそのような行いに悲しみを感じておるのかもしれません。
今ならまだ間に合う、これはもうこれ以上、この美しい大地を汚すことなく貶めることなく、そのままの美しい姿を保っておられるよう努めて
ほしい、そのように言っているかのようにも感じられました。
本当にそのように申したのかどうか、これは判りかねますけれど今回はそのように思えたのでした。

続いて木花咲耶姫の言葉のようでした。
言われるように大国主大神は大らかでありながら、厳しく険しい面もお持ちの神ではと感じております。
これもまた自分が感じたことですけれど、以前ある方のことでお伺いを致したことがありました。
その際、お顔の表情は見えぬまでもその形相は憤怒の様であったのを覚えております。
憤怒の表情といえばよく不動明王が挙げられますけれど、その折に感じたのは我々が良くそれと認識しておるようなみずらを結った男性の顔が
想念の中に出てきたのでした。
普段、大神の言葉は伺って降りますけれど、その顔やましてや表情までは感じたことはありません。
憤怒の表情を感じられたということは、それだけ神として怒りの念があられたということだったのかもしれません。
神様が怒るのかと聞かれそうですけれど、時と場合によってはそのようになさることもあります。

少し話が脱線しましたけれども、咲耶姫がいわれるように大国主大神はそのような両面をお持ちの神様であるというのは確かにそうであるな、
と感じております。
また姫自身については、それこそこのつい最近のお付き合い;?ですので、そうであられるのかなぁと思う次第です。
大らかでありながらも時に厳しく、且つ母性の心を持ってこれからも歩んで行きなさいということなのでしょうか。
そのように思えました。

龍は我使うべし、とのことですけれど、どっちかというと自分の方が使われているでもない気がしますけれど;。
しかしながら祝詞を奏上致す際なども、ふと自分の背後に、その身体を同じような大きさにして浮かんでおる龍を感じたりも致します。
付かず離れず、いつも傍に居てくれているような、そんな感じですね。
有難いことだと思っております。
そんな龍に恥じぬよう、まだまだこれから自分自身を使わせて頂きたい、本当にそう考えておる次第です。
エネルギー、廻さねばなりませんね;。



                                



ところで帰りのバスでは、ベビーカーごと乗ってこられた若いお母さん、どのようにして乗られたのかはわかりませんでしたけれど、下りる際
には別の女性と共にそのベビーカーを車外へ下ろすのを手伝い、その後自分が下車の後には歩いて帰る道すがらルームランプを消し忘れた車を見
かけ、知らないお宅でしたけれどチャイムを鳴らして消し忘れをお知らせ致しました。
全くの取るに足らぬ出来事ではありましたけれど、何にもしてない自分をして神様だか龍だかが使わせて下さったのであろうよ、とこれもまた
感じたのでした。
視点を変えれば、小さなところから自分を使わせて頂けということなのかもしれませんね。
こんな自分でもほんのわずかでもお役に立てさせて頂けましたこと、有難いことでした。



                                




                                



相も変わらぬオバサンの徒然日記で御座いました;。
多少なりとも感じ取って頂けますものがありましたら、幸いに存じます。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。  

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祈るということ

2017-12-14 20:54:32 | 神様等について
こんばんは。
雪こそ降りませんが、寒い毎日です。
今朝、神殿で一体何度くらいなんだろうと室温測ると3.9度;。
そりゃあ寒いわな、と感じた次第。
暖房位入れなさいよと言われそうですけれどね。
いや、ストーブはあるのですけれど、いつも殆ど自分一人ですので拝礼する間だけ付けてもなぁと思い、そのまま拝んでおります。
もちろん人がお越しになればちゃんと部屋は暖かくしておりますのでご安心の程を。
そんな日の朝はこんな感じ、曇っていた空が綺麗な朝焼けに変わりました。



                                



                                




                                




                                



ふたご座流星群というのが見られるとニュース等でも言われておりましたね。
それでかどうか、昨夜わずか1個だけですけれど、スーッと流れて行くのをたまたま見上げた空に見つけました。
3,4日前にも、これは相当に大きな光と感じられた流れ星が垂直に落ちるように流れるのを見ました。
ああいうのを見ると思わず、おおっと感じますね。
昨夜のそれは、本当にたまたま心の中であることが良くなればいいと思っていたところへ流れたので、余計うわっすごい、と思ってしまいました。
よく流れ星が流れる最中に願い事をすれば叶うと言いますけれど、見たときには遅いですよね;。
タイミング良く流れるというのは、そうしてみるとかなりの確率なのかもしれませんね。




                                



そんな昨夜の星に願いを、な事は実は身内のことでして;。
身内ネタって、どうよ;な思いではあるのですけれど。
先だってから話しておりますけれど、息子がどうにもお腹の調子が直らず、未だに下痢が続くようです(尾篭な話題ですみません;;)
大丈夫よ、と仰って下さる方もおられるのですけれど、あの辛さはどうにもねぇ;と感じております。
自分自身、主人が倒れた後、夏場にそのような酷い下痢の症状がふた月程も続いたことがあり、忙しいのに力が入らず暑いのにお腹だけ冷えると
いう何とも情けない状態だったことがあります。
いつも行くホームドクターに診てもらってもあまり変わらず、セカンドオピニオンではありませんが他の病院へ行き薬を飲みつつ仕事していた
時期がありました。
息子も今回話しておりましたが、朝お腹が痛くて目が覚める状況で、常に痛さを感じておりました。
お腹は空くんだけれど、食べると下すので思いっきり食べられないし、かと言って食べねば体力持たないし、とで相当しんどかったのを覚えて
おります。
自分の場合は、病名付けるとすれば過敏性腸症候群だろうね、ということでしたけれど。
息子が昨夜も、まだ直らん;;とかなり辛そうに連絡して来ましたので、今朝は息子に病気平癒の御祈願を致しました。
普通は御祈願と言いますとご本人なりがお越しにならなければ致さないのですが、こと病気に関しましては代理の方なりがお越しになられ代わりに
ご祈祷させて頂くという場合も結構ございます。
今回は実の息子でもありますので、僭越ながら自分がさせて頂きました。 
大げさと思われるかもしれませんけれど、離れておる分だけどのようなのかわかりませんし、申すようにあの痛みや辛さが分かるだけに自分が
出来ることだけでもしてやろうと考えたからでした。
いつもは簡易に烏帽子(えぼし)と杓(しゃく)、それに上に格衣(かくい)という衣装を羽織る格好で祝詞をあげておりますけれど、今回は
きちんと正式な衣装を身に着け拝ませて頂きました。
実際、この病気平癒のようなご祈祷などですと、自分にも結構身体に堪えることが無きにしも非ずで、心して拝ませて頂いた次第です。
とはいえ今回は息子のことですので、自分に来ても息子が楽になるならそれでも構わないがな、とも考えておりました。
拝み終えて奉幣(ほうへい)を振りながら、治りますように、と一心に唱えておりました。
御祈願後、頭の中で大神との対話を致しました。


 病気でしょうかと問うと

    〝   病には 非ず  心配致すな  そちが子であろう

        足元からの冷えに 気をつけさせよ    〟 

 このような言葉が響いてきた

 続いて 木花咲耶姫

    “   お待ちしておりますよ  お越しになるのを
 
        今(すぐに)とは 申しません   ”


    “   子には 青龍がついておりますよ 大丈夫です   ”




 次には大神の声か

    〝   一人で行くも良し  人と共に参るも良し

        人々といけば それだけ 多くのことも 出てこよう    〟



                                    



このような感じで今日は頭の中に入って来ました。
病気平癒のご祈祷というのは、祝詞奏上の中でもとりわけきつい部類に属するかと思います。
先にも述べたように生半可な思いで奏上致せば、自分に跳ね返るほどのものだと考えております。
それ故、出雲大社の御本社におきましても、信者さんなどがすがるような思いでこの御祈願を申し出てこられた際には、受ける側の神主もそれ
相応の覚悟で祝詞奏上致しておると伺っております。
自分は今回、身内、息子でもありつい余計になんとかしてやらねばという思いが強かったのかもしれません。
ですがそれ故に、これもまたお伺いさせて頂いた言葉が本当にそうであるのか、自分よりになっておらないか、自分で自分に懸念致すところもある
次第です。
身内が身内にこのようなことをしてはいけないと言われる所以でもあるでしょうね。
確かにそうであったとしても今回、このように酷い病ではないと言葉を頂戴出来たのは嬉しく、また非常に安心する思いでした。
後は本人が少しでも早く回復してくれることを願うばかりです。




                                     




病気平癒のご祈祷、これは自分自身も主人が倒れた折にやはり相当な覚悟を持って出雲大社へ参り、御本社にてご祈祷して頂いたことがあります。
自分でも日々自宅の神殿で拝みながら、やはり参らねばという焦るような思いに駆られて、参拝致したのを覚えております。
ご祈祷の前には当然どのような病気であるのか伝えねばなりませんが、その際大社側もよく存じておるうちの主人のことですので、余計に向こうと
しても考えられたのでしょう。
神楽殿にて待つのはゆうに一時間を越えていたかと思います。
夏の暑い盛りだったかとも思いますけれど、かなり記憶の彼方であり、拝まれる側もさぞかし大変であられただろうな、とその時に感じたのを今
思い出しました。
一時期はその生命すら危ぶまれた状態の頃でもありましたけれど、なんとかそのような状況も脱せられたのは、その折のお蔭様と言えるかもしれ
ません。
ここいら辺を話すと、これまた多くが出てきますけれど、その話はまたに譲ると致します。


大神の言葉の後にほんの少し、常連(と申しますとバチあたりそうですけどね;)とでもいうような木花咲耶姫が登場されました。
ずっと待っておられるようですね。
有難いことです。
参らせて頂けるよう精進せねば、ですね。 
またこの神様からも、息子の事を案じて下さったのかこのようなお言葉を頂戴したようです。
真であるのかどうか、これもまたわかりませんけれど、心配することはないと念押しされたようでもありますね。
有難いことと感じます。
さぁて、どうやって参らせて頂くか考えないと、ということろですね;。



                                     



書いてみますと、どうやら病気平癒の御祈願についての話題が専らとなったようです。
苦しい時の神頼みと申しますけれど、祝詞の中にはその全てを神様に委ねなさいとは書かれておりません。
確かにどうしようもなく参り越したのであろうとも記されておりますけれど、やはり信頼出来る医師(くすし)の手技(てわざ)持ちて、この
病を治さしめよとも書かれております。
神に祈念致しつつも、人間の叡智を結集したその手法にも信頼を置きなさいということなのかもしれません。
とは言えこうして御祈願したからといって、それが必ず、あるいは全てが治るとは言い切れないのも事実ではあります。
しなしながら古より人々は祈ることの大事さに重きを置き、その力を信じてやまなかったのではとも考えます。


こうして書かせて頂きながら、祈ることの大切さを改めて感じさせて頂くことが出来たように思えます。
不甲斐無い自分ではありますけれど、一層努めて参りたいとこれもまた改めて感じておる次第です。




                                     




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
                                       

                                      
                                   
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もしかして あの方か?

2017-12-13 21:56:10 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
冷え込んでますねぇ。
この辺り、日中はそれでもまだ陽射しがありましたので幾分暖かさは感じたものの今朝は相当気温が下がっていたように思います。
小学校へ行く子らの声が「冷たいー、寒い~」と聞こえてきておりました。
上着を着ずに薄着で登校する子もなかにはおりますが、大抵はマフラー手袋して歩いて行っております。
どうにも今回の冬将軍、かなりきついようではありますね。
そんな日の朝は、このようなお天気でした。



                                 




                                 




                                 




                                



朝のうちに下界まで買出しに行って来ました。
お天気もまぁまぁですし、歩くには着込んでいけば大丈夫そうでしたしね。
途中、花やらを眺めつつ行けるのは歩くからこそでもありますね。
今は椿の手前の季節というのか、あちこちで山茶花の花を見かけます。
樹によってはもう随分と花が散っているものもありますが、これから咲こうと蕾を沢山付けたものもあります。
菊も大分終盤に差し掛かっているようですけれど、まだ綺麗に咲いております。
そんな花などを見ながら往復して来ました。



                               




                               




                               




午前中一杯掛かってしまいましたので、座って瞑想するのはこれを書く少し前、つい今しがたしておりました。
ダンプの音はしませんけれど、この時間になると今度は夕方帰宅する方々の車の音がして来るようですね。
最近に建てられた住宅ですとそんなに外の音は聞こえないのでしょうけれど、この家は申したように断熱材も入っていない頃の建築らしいので
音はもちろん、夏冬の暑さ寒さはそのまま感じ取れる家となっております;。
ま、自然に近い家と言えるのかも、ということにしておきましょうかね;。
ともあれ、そんな感じの中で頭に入ってきた事柄です。


  瞑想していると
  誰だろう 結構強い感じのものの言い方をされる


    〝   一粒の米に 感謝の念を持った事はあるか

        その一粒の米を作るために どれだけの 手が掛かっておるかを 考えたことがあるか

        籾(もみ)を蒔き 田植え 日照りの頃に水をやり そうしてやっと実りの頃を迎える

        今の時代では このようなものは要らぬと 目もくれぬ者もおる

        確かにこれから先 食べるものも変わってくるであろう

        しかしこれまで永い間 人間達は己の生命を繋ぐために 食してきたものを捨て

        感謝を忘れ 辿り着く先に 何がある?


        米一粒 或いは食す肉一切れにも 元の生命の記憶が含まれている

        育ってきた環境 飼育されてきた環境の記憶が 全て詰まっている

        それら全てを (自分達)人間は 生命を食物として 頂いておるのだ

        それを 忘れるな

        自分の食べる物が 自分の身体になるというのは 本当だ

        自分の身体を作ってくれる それらの生命に どこまで 感謝して取り込むことが出来るか

        それが 大事だ  〟
                   

  
  続いてイルカのエーヴィン

 
     “  やぁ こんばんは 今日はどうだった?

        素敵な一日だった?

        何にも無く過ごしたと思っている?

        でも君は 今日も 生かされてるよね
   
        (何にも)無いということに 目を向けると 不足ばかりを感じるけど

        君の持っているもの 出来たことに着目すると とても沢山のことがあるよ

        無いことより 有ること 在ることに 目を向けてごらんよ

        素晴らしい世界に 気づくことが出来るはずだよ

        僕達 いつもそんな世界へいられて 幸せだよ

        君たちも そんな世界だということに 気づいて欲しいな

        じゃあ またね バイバイ  ”


                                                                     
                                  



最初に出てきた声の主?というのか存在、これは誰かはしかとは分かりませんでした。
ただし、この声が頭に入ってくる前、たまたま見ていたものがありました。



                                
                                


このチラシというのか、先日街中で出た際、若い僧侶の方々が寒風吹きすさぶといってもおかしくないような寒い日にビルの陰で声を枯らし
ながら、年末に向けての募金、いわば御浄財を募っておられました。
大勢の方が行き交うけれど、全くというほどその方々に目もくれず足早に通り過ぎて行きます。
声を出しながら立っておられるその姿はどう見ても薄い袈裟懸けの衣に身を包んでおられお世辞にも温かそうとは感じられません。
今の時代ですからそれなりに下へ何かを着込んでおられるかもしれませんけれど、それにしても寒そうです。
それが彼らの修行の一環だからと言われれば、確かにそうであるのでしょう。
けれどそのような姿をみて、多少なりとも、と本当にごく些少をその募金箱(御浄財の箱?)に入れさせて頂きました。
その代わりに、このチラシを頂戴したのでした。
「高野山真言宗青年教師会」と書かれております。
この他にも別の場所で、やはり宗派は違えども同じようにかなりの数の僧侶の方々が街角に立ち、同様に寄付を募っておられました。
どちらの方々も足元は確か素足であられたかと思います。
自分達はぬくぬくとしたコートやジャケットに身を包みながら、それだけでなんとも申し訳ない気持ちになってしまったのでした。
そんなの、その時だけだよとこれも言われるかもしれませんけれど、例えそうであろうとこの次期の寒さの中でじっと立っておられる事だけでも
すごい事だなと、つい感じてしまう自分です。
そんな出来損ないの自分に代わり、して頂いておるようで余計頭が下がる思いがしております。
自分の思いはともかくとして、このようなチラシの文言を今一度それとはなしに読み返しており、その後に瞑想をすると上記のような言葉が
頭に響いてきたというわけなのでした。

そのように考えると、声の主はもしかすると弘法大師、空海、その方なのでしょうか。
かなり強い口調のように感じられました。
以前にも一度、高野山の奥の院にてその方のお言葉が頭の中に入ってきたことがありましたけれど、その折にはもっと柔和な穏やかな感じを受け
取りました。
今回のこの声はその時とは違い、もっと逞しい感じに思えました。
どなたであるのか、これはわかりませんけれど、今のこの日本の食糧事情を憂えておられるように感じられました。
何を食そうともその時に感謝の思いを持って己が身体の一部にせよ、とそのような事を言われたように思います。
現代は街中であれば、コンビニへ入ればいくらでも食料となるものは手に入れられます。
けれどその食料、食品を口にする時、どれくらいその物自体に対して感謝しながら頂戴しておるかといえば、これは言われるようにお腹をくちく
するがためだけに口へ運んでいるということが多いのではないのか、そうも感じました。
自分自身、食事の前には手を合わせ、いただきますと口に出してから食べはじめますけれど、本当に感謝しているのかといわれれば、己自身に今
一度問いかけねばならぬように思います。
食べる物が身体を作るとは、これは常に言われておるようなことですけれど、そうであるならば尚更その食物について、自分のために食べさせて
くれて有難う、とその思いを新たにせねばならないのでは、とこれもまた重ねて感じたことでした。


続いてお馴染みとなってきましたイルカのエーヴィンです。
この名前なのですけれど、アーヴィンなのかエーヴィンなのか、最初の発音がアとエのちょうど中間どころのような感じでして(自分が思うには;)
それでその時々によりこの名前自体がアーヴィンになったりエーヴィンと表記してしまったりするようです。
いずれにしても同一の存在であることには違いありませんのでご承知おき頂ければと存じます。
さてそのエーヴィン、申すごとくいつも元気です。
彼の言う言葉は、これもまた至ってシンプルに思えます。
シンプルだからこそ、案外というのか一番重要な部分を言い当てているようにも感じます。
無いという不足、これはまず一番にはどうしてもお金を始めとして物としての不足を言うのではと思います。
あれがない、これがない、これもでもお金があったらなぁ、気づくと常に心の中でそう考えていたりもします。
かく言う自分自身、物を見ればついついそう感じてしまいます。
ですけれど、自分が頭に思う、その物は今此処にはないけれど、見渡せばまだ他にこんなに沢山持ててるぞ、とも思い返しも出来ます。
こうしれて日々この場をお借りしながらも、自分の言いたいことを存分に発信させて頂けておること、これは何にも増して有難いことと感じられ
ます。
結構そういうこと、ご自分の中にもあるかと思いますよ。
そのようにして、自分の持てておる事、出来ている部分を見返してみることが大事なのではと思います。




                                
                                



こうして書いておりますと息子から連絡がありました。
未だにお腹下すのが収まらないようです;。
次の休みには検査を受けてみるといっておりました。
今日の公休日にも良い鍼灸の先生を見つけたとかで症状を話しお灸をしてもらったとのことですけれど、やはり下痢が止まらないようです。
今の職場に入りどうしても同僚の方々との親睦を兼ねた飲食の機会も増えておるようで(お酒弱いのに、飲んでるらしいですしね;)余計
負担が掛かっておるのかもしれませんけれど。
外回りの営業、腹巻とかカイロとかして冷やさんようにねとは申しておるのですけれど、果たしてどこまで出来ますものやら;。
甘い母ちゃん重々承知の発言で御座います;。

皆様もこれから年末年始、忘年会新年会等あるかと思いますけれど、くれぐれも胃腸にはお気をつけ下さいね。





                                   





本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。


                                    
                                     
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行けるかなぁ

2017-12-12 20:52:41 | お出かけ
こんばんは。
寒いです、毎日同じ言葉で申し訳ないですけれど、寒いです;。
昨夜このブログを書いている最中からごぉっっというような風が吹き、何事かと感じた位でしたが、どうやら雪起こしの風であったようです。
その後かなり静かになったなと思って外を覗くと雪が降り始めておりました。
雪が降っている最中って不思議と音がしないんですよね。
静かに降る積もる感じです。
とはいえ今朝は屋根や車がうっすらと白くなるくらいでそれほど積もるまでにはいきませんでした。
朝はそんな景色でした。




                                



                       
                                



そんな昨夜でしたけれど、どうしてかなかなか寝付けず、寝ようとしても頭が冴えているようで自分でもウトウトしたなと思うと、不意にパッと
目が覚めたりでどうにも寝た気がしませんでしたね。
皆様はそんなことありませんか。
自分は年に何回かそういうことがあります。
特に何があるわけでもないのに、寝付けない、寝ようとすると余計に眠れない、そんな感じです。
仕方なく頭元にある本を読み返したりして眠気が来るのを待ち、これなら寝られそうとスタンドの灯りを消すもどうも寝付けない・・・。
目覚まし時計の代わりの携帯やらスマホで時間を見るとそれほど時間が経ったわけでもなくまだまだ真夜中。
そのうちにどうやら新聞配達のバイクの音がし出したりして、あら~いかんわ;と思ってるといつのまにかウツラウツラしており、次には先ほどの
目覚ましのアラーム音でなんとはなしに気がつくように目が覚めるという。
眠れない時の状況というと、大体こんなものでしょうか。
昨夜はそこまでではありませんでしたけれども。
と、まぁ、どうでもいいようなお話ですけれどね;。




                                
                            
                           

 
                                 
                                 



今朝は祝詞奏上の後、それほど多くの言葉や事柄はうかがっておりません。
意図してそうなったわけではないのですけれど、というよりも先だってお伝え致しておりますように神殿で目を閉じて瞑想をしておりましても
外のダンプを通す無線の声が間近に聞こえるほどの我が家ですので、どうにも集中出来ないところがあります;。
修行が足りんのじゃと言われそうですけれど、確かに;。
何事にも動じない精神力でないといけませんねぇ;。
そのようなことでとりわけ今日は短くなっております。

 祝詞奏上後、目を閉じていると
 
 大神の言葉らしい
     

   〝    (木花咲耶姫に)見初められたようじゃな   〟

 神迎祭で?

   〝    参れというのは 悪しきものでは なかろう

        他の 社(神社)へ 参って 我とは違う力を授かるのも 

        ひとつ(の手)である

        (我は)行けとも 往くなとも 言わぬ
    
        己が 決めよ    〟

 此処で外のダンプの音などが響くので神殿から退出する
 続いて御霊舎(みたまや)の前で


    “   行きなはれ   ”



                                 



とまぁ、このような言葉が頭に入ってきたようでした。
大神と書いておりますけれど、果たしてそうであるかどうかはわかりません。
いずれにしても多くは語られないのが、この神様のようでもあります。
けれどここまで言われたからには、どうででも行けと言われているようなものでもありますね;。
また御霊舎の前で拝礼しようとすると、これは主人の母、我が家ではおばあちゃんと呼んでおりましたけれど、その方が出て来たようです。
このおばあちゃん、ご先祖様を代表?してこのようにしょっちゅうお出まし;になられますけれど、この「行きなはれ」ではなく、これに近い
言葉で言われたのですけれど、どうしてもそれが思い出せません。
意味合いとしてはこの言葉とさほど変わったものではりませんでしたので、このように書かせて頂いたものです。
これも先だって申したように、この方々;?既に肉体、身体はありませんのでどこへ行くにも身軽でその気になりさえすればひょいと行けるの
だと思います(多分;)
しかしながらこれもまた申したようにこの世界におります者としては、そうもいきません。
今一度新幹線の時刻やら、どこから車を借りて神社を巡ろうかとシミュレーションしてみました。
広島からですと、一番電車に乗って名古屋で乗り換え新富士駅に到着するのはどうしても朝の10時6分。
そこから車を借りて神社を廻るのを計算すると、一日で富士山本宮浅間神社から始まって九頭龍神社へ行き、また新富士まで戻るのは出来なくは
ないでしょうけれど、かなり難しいのではと感じました。
どこかで一泊だねぇ;と思います。 
またお借りした車を乗り捨てプランというのも、なくはないですけれど地域的に無理のようです。
とすれば、おそらく九頭龍神社のある箱根辺りで宿を取り、そこで一泊し次の日にはまた車を返しがてら新富士まで戻るということになります。
こう考えて金銭面も計算してみると、なんとなく二桁万円に近いお値段かと思えました;。
この金額の中にはもちろん、往復新幹線代とレンタカー料金とガソリン代と箱根で泊まるとして一番安く上がりそうなお宿(探せばありますね)
やらとか諸々含めて、です。
結構かかるんだねぇ、と感じた次第;。
だいたいあまり旅行なぞは行くことがなく、行ったとしても殆どが車移動。
最初の新幹線代でかなりが賄える形でした;。
それと大変失礼ですけれど、旅行というよりもご依頼があれば参らせて頂いておりましたので交通費等は当然のように経費として頂戴致して
おりましたので、掛かったとしても精算させて頂いておったというわけです。
う~む;。
どこぞのみつろうさん(アハハ;)とかだと、楽勝だぜ、そんなもんと言われるのでしょうけれどね;。




                                 



申すように、広島を中心として西日本は殆ど車でどこでも参らせて頂いておりました。
九州ですと一番遠くて熊本県は人吉(ひとよし)。
もっともこの時は結婚間無しでその全てを主人が運転しておりましたけれど。
自分でし出したのは、もっと後からですね。
それでも福岡、八代辺りまでは参っておったかと思います。
四国は高知県の、あともう少し走れば中村市という手前の今の黒潮町とか或いは徳島、宇和島。
近畿ですと奈良県の吉野、高野山辺りまで、その殆どを一泊二日で往復しておりました。
まぁ、要するにこのオバサン、ステアリング握らせると体力とガソリンと地図さえあれば、どこでも行きます的な、かなり危険な人物だった
のかもしれません;。(いや、そうだな;)
けれど今行って来いと言われても、さぁ果たしてどこまで行けるでしょうかね。
亀の甲羅と同じく、その齢だけは重ねておりますもので;。
どんだけおバカさんかというのがお分かり頂けたかと思います、はい;。




                                



今日は一体何書いたんだ?な文面になっておりますけれど。
たまには変わったところで良いかもしれません。(毎回もっと変わり過ぎてること、書いてますしね;)


本日もそんな毛色の変わったこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
                 
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