こんばんは。
気づくと今年も半月を切ったというところまで来ましたね。
歳と共に年々歳々、時間の経つのが早く感じられると言いますけれど、確かにそう思います。
なんというか、紙の端っこと端っこを合わせてみたら、今年の一月と来年の一月が隣り合わせに思えるような、そんな気分です(どんなんだ;)
振り返れば、あんなこともあった、こんなこともあったと思うのですけれど、どうにも中間が抜けているような、そんな思いに囚われます。
とはいえ、そんな思いなどとは関係なく季節は移ろって行きますね。
今日、朝のうちは割りと暖かいと感じていたのに夕方にはまた時雨れてきて風もあり、寒くなって来ました。
今冬は寒いと聞いておりましたけれど実際そんな感じですね、冬物衣料が良く売れているそうです。
そんな風感じていた朝は、このようにどんよりと曇っておりました。
先だってこのブログでもご紹介させて頂きました陶芸作家の多賀井氏より頂戴致しましたお湯のみですけれど、こんな風にして使わせて頂いて
おります。
丸っこいフォルムでころんとしており、掌へすっぽり収まるサイズです。
器そのものが少し厚みがありますので、その分口当たりがなんともいえず柔らかくて優しい感じが致します。
以前にも申しておったかもしれませんけれど、これでお茶を頂くと、それだけで心がほっこりする思いです。
ご自身のブログ内で、このような湯のみはありませんけれど、お皿やお茶碗等をネット販売も始められたようですので一度ご覧になってみられ
ては如何かと思いますよ。
年内はお忙しいかもしれませんけれど年明けてでも新しい器で食事をするというのも、気分が改まって良いかもしれません。
因みに後ろのポットはごく普通に陶器屋さんで求めましたものです、悪しからず;。
尚、その後ろへ見えておりますのはうちの御霊舎(みたまや)です。
本来はもう少し高さのある場所へ据えねばなりませんけれど、狭い今の我が家にてこの場所で居てもらっております;。
突っ込みどころは色々あるかと思いますけれど、それについてはまたいずれ(いつものパターンだな、これも;)
さとう式リンパケアで肩こり解消の動き、それに猫背を解消させる動きをすると驚くほど姿勢が良くなります。
とはいえずっとその姿勢のままでは保てませんので、気づくとしております。
今朝も昨日の疲れもあり、余計に肩を回しております的に動かした後、いつもの祝詞奏上をさせて頂きました。
祝詞奏上の後、これは大神か
〝 己が(おのが)声が出ておるようじゃな それで良い
自分の大元へと 繋がる事じゃ (この部分、あまり覚えていない) 〟
アヴァンダンシア(豊穣の女神)か 最初は木花咲耶姫かと思ったけれど少し違うよう
“ いつもどうしようと 貴方の気になるところばかりを 覗いているから
それが(意識の底から)昇ってきて そのことが きっかけとなるのです
そうではなく 自分がこうありたい こうなりたいという姿こそ
目を向けて下さい 必ずそうなるのですから
そうなってくれば 自ずと 下の部分(お金のこと等)も 解消されてきます
楽しいこと なりたいこと やりたいことに 目を向けて下さい ”
頭の中でそのようになった自分を想像する、そうすると一人ひとりの波動が繋がって大きな渦となっているのが見える
続いてバシャール? あの黒い三角形の後ろに青い光がイメージされる
‘ 貴方がこうありたいと思う瞬間に 隣の次元へシフトしているのです
ですから望む次元のことを考えて下さい
そうすることが その世界へ至る 一番の近道となるのです ’
最初の大神の言葉は、自分でも祝詞を上げておりましても姿勢が良いと自然とお腹の底、いわば丹田といわれるところに力が入り声が出てくる
感じになります。
声をむやみに張り上げよう、出そうとせずとも自ずとそうなるので自分でも気持ちよく祝詞奏上が致せます。
そこのところを言われたように感じました。
他にも何かを言われたのですけれど、今日はどうにも思い出せませんでした。
また気づいた時にでも記したいと思います。
続いてアヴァンダンシア、書いておりますように最初はいつもの(という言い方もどうかな、ですけれどね)木花咲耶姫かと思いましたけれど
今回は此方の女神であったようです。
そんなに違いがわかるものなのかと言われるかもしれませんけれど、受ける感じがやはり違います。
この女神の方がきっぱりと物を言われるように感じられます。
木花咲耶姫は、どちらかというとたおやかな柔らかさがあるように思います。
東西の洋の違いというところでしょうか。
ともあれそのような感じを受けました。
この話自体、幾度か他の存在にも同じようなことを言われておりますね。
自分自身がいかに考えることが同じであるのかということがよくお分かりになるかと思います;。
余程、目を向ける部分が下向きなのでしょうか、そうでもないとは思っておるのですけれど。
ただ楽しむこと、これに着目した方が良いというのは、やはり共通していわれておることのようですね。
心の中では常に楽しいことに目を向けておりたいと思います。
最後は果たしてそうであるのかどうか、話し方は確かにバシャールのようでもありますが、自分で勝手にそのように聞こえたと感じていたのかも
しれません。
けれどこの存在自身も、前述のアヴァンダンシア以上にきっぱりとした物の言い方をしていたように思います。
そうしてこれらの存在が同様に言うことは楽しむ方へのシフトをしなさいということのようですね。
そんなことばかりしていたって、と言われそうですけれど、実際に自分が楽しいと感じている時間というのはあっという間に過ぎるように思える
ものです。
それだけその時間が充実しているとも言えるのだと思います。
これもよく言われることですけれど、時間の長さは皆に一様に与えられているようではあるけれど、実のところ、その人がどのように感じている
かで時間の進み具合も違うのだということのようです。
つまりは自分が集中したり楽しんだりして過ごす時間が短く感じるという時、それは同じ5分間だとしても、しんどいと感じながら過ごしている
人の五分間とはその長さが実際にそのように違うのだということらしいですね。
説明が下手なので上手く表現出来ないのですけれど;。
要するに楽しんで過ごしている人は時間の感じ方が短いと思える分だけ、実際に若くいられるのだということのようです。
此処の部分、もう一回、きちんとご説明出来るよう勉強し直して参ります;。
こうして書いておりますとあまりその存在を感じませんけれど、神殿に居て祝詞を上げたり、或いは外を歩いていて、ふと空を見上げるとそこに
龍がいるかのように感じられたりします。
つかず離れず、常に龍は身近におるのだと感じております。
いつも話しかけてくるわけではありませんけれど、自分にとっては頼もしい存在、そのように感じておる次第です。
外の風が強くなって参りました、今夜もまた冷え込みそうです。
どなた様も温かくしてお休み下さいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
気づくと今年も半月を切ったというところまで来ましたね。
歳と共に年々歳々、時間の経つのが早く感じられると言いますけれど、確かにそう思います。
なんというか、紙の端っこと端っこを合わせてみたら、今年の一月と来年の一月が隣り合わせに思えるような、そんな気分です(どんなんだ;)
振り返れば、あんなこともあった、こんなこともあったと思うのですけれど、どうにも中間が抜けているような、そんな思いに囚われます。
とはいえ、そんな思いなどとは関係なく季節は移ろって行きますね。
今日、朝のうちは割りと暖かいと感じていたのに夕方にはまた時雨れてきて風もあり、寒くなって来ました。
今冬は寒いと聞いておりましたけれど実際そんな感じですね、冬物衣料が良く売れているそうです。
そんな風感じていた朝は、このようにどんよりと曇っておりました。
先だってこのブログでもご紹介させて頂きました陶芸作家の多賀井氏より頂戴致しましたお湯のみですけれど、こんな風にして使わせて頂いて
おります。
丸っこいフォルムでころんとしており、掌へすっぽり収まるサイズです。
器そのものが少し厚みがありますので、その分口当たりがなんともいえず柔らかくて優しい感じが致します。
以前にも申しておったかもしれませんけれど、これでお茶を頂くと、それだけで心がほっこりする思いです。
ご自身のブログ内で、このような湯のみはありませんけれど、お皿やお茶碗等をネット販売も始められたようですので一度ご覧になってみられ
ては如何かと思いますよ。
年内はお忙しいかもしれませんけれど年明けてでも新しい器で食事をするというのも、気分が改まって良いかもしれません。
因みに後ろのポットはごく普通に陶器屋さんで求めましたものです、悪しからず;。
尚、その後ろへ見えておりますのはうちの御霊舎(みたまや)です。
本来はもう少し高さのある場所へ据えねばなりませんけれど、狭い今の我が家にてこの場所で居てもらっております;。
突っ込みどころは色々あるかと思いますけれど、それについてはまたいずれ(いつものパターンだな、これも;)
さとう式リンパケアで肩こり解消の動き、それに猫背を解消させる動きをすると驚くほど姿勢が良くなります。
とはいえずっとその姿勢のままでは保てませんので、気づくとしております。
今朝も昨日の疲れもあり、余計に肩を回しております的に動かした後、いつもの祝詞奏上をさせて頂きました。
祝詞奏上の後、これは大神か
〝 己が(おのが)声が出ておるようじゃな それで良い
自分の大元へと 繋がる事じゃ (この部分、あまり覚えていない) 〟
アヴァンダンシア(豊穣の女神)か 最初は木花咲耶姫かと思ったけれど少し違うよう
“ いつもどうしようと 貴方の気になるところばかりを 覗いているから
それが(意識の底から)昇ってきて そのことが きっかけとなるのです
そうではなく 自分がこうありたい こうなりたいという姿こそ
目を向けて下さい 必ずそうなるのですから
そうなってくれば 自ずと 下の部分(お金のこと等)も 解消されてきます
楽しいこと なりたいこと やりたいことに 目を向けて下さい ”
頭の中でそのようになった自分を想像する、そうすると一人ひとりの波動が繋がって大きな渦となっているのが見える
続いてバシャール? あの黒い三角形の後ろに青い光がイメージされる
‘ 貴方がこうありたいと思う瞬間に 隣の次元へシフトしているのです
ですから望む次元のことを考えて下さい
そうすることが その世界へ至る 一番の近道となるのです ’
最初の大神の言葉は、自分でも祝詞を上げておりましても姿勢が良いと自然とお腹の底、いわば丹田といわれるところに力が入り声が出てくる
感じになります。
声をむやみに張り上げよう、出そうとせずとも自ずとそうなるので自分でも気持ちよく祝詞奏上が致せます。
そこのところを言われたように感じました。
他にも何かを言われたのですけれど、今日はどうにも思い出せませんでした。
また気づいた時にでも記したいと思います。
続いてアヴァンダンシア、書いておりますように最初はいつもの(という言い方もどうかな、ですけれどね)木花咲耶姫かと思いましたけれど
今回は此方の女神であったようです。
そんなに違いがわかるものなのかと言われるかもしれませんけれど、受ける感じがやはり違います。
この女神の方がきっぱりと物を言われるように感じられます。
木花咲耶姫は、どちらかというとたおやかな柔らかさがあるように思います。
東西の洋の違いというところでしょうか。
ともあれそのような感じを受けました。
この話自体、幾度か他の存在にも同じようなことを言われておりますね。
自分自身がいかに考えることが同じであるのかということがよくお分かりになるかと思います;。
余程、目を向ける部分が下向きなのでしょうか、そうでもないとは思っておるのですけれど。
ただ楽しむこと、これに着目した方が良いというのは、やはり共通していわれておることのようですね。
心の中では常に楽しいことに目を向けておりたいと思います。
最後は果たしてそうであるのかどうか、話し方は確かにバシャールのようでもありますが、自分で勝手にそのように聞こえたと感じていたのかも
しれません。
けれどこの存在自身も、前述のアヴァンダンシア以上にきっぱりとした物の言い方をしていたように思います。
そうしてこれらの存在が同様に言うことは楽しむ方へのシフトをしなさいということのようですね。
そんなことばかりしていたって、と言われそうですけれど、実際に自分が楽しいと感じている時間というのはあっという間に過ぎるように思える
ものです。
それだけその時間が充実しているとも言えるのだと思います。
これもよく言われることですけれど、時間の長さは皆に一様に与えられているようではあるけれど、実のところ、その人がどのように感じている
かで時間の進み具合も違うのだということのようです。
つまりは自分が集中したり楽しんだりして過ごす時間が短く感じるという時、それは同じ5分間だとしても、しんどいと感じながら過ごしている
人の五分間とはその長さが実際にそのように違うのだということらしいですね。
説明が下手なので上手く表現出来ないのですけれど;。
要するに楽しんで過ごしている人は時間の感じ方が短いと思える分だけ、実際に若くいられるのだということのようです。
此処の部分、もう一回、きちんとご説明出来るよう勉強し直して参ります;。
こうして書いておりますとあまりその存在を感じませんけれど、神殿に居て祝詞を上げたり、或いは外を歩いていて、ふと空を見上げるとそこに
龍がいるかのように感じられたりします。
つかず離れず、常に龍は身近におるのだと感じております。
いつも話しかけてくるわけではありませんけれど、自分にとっては頼もしい存在、そのように感じておる次第です。
外の風が強くなって参りました、今夜もまた冷え込みそうです。
どなた様も温かくしてお休み下さいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。