Hi!みんな元気?久しぶりだね。所用があって、松本に行ったよ。松本と言えば、りんご、松本城、安曇野など次々思いつくほど自然に恵まれた土地柄、kinoppyはホイホイと出かけて行った。お天気に恵まれて、ラッキー!!まずは松本のシンボル松本城を紹介しよう。
スーパーあずさからの車窓、う~ん、イイネ、ワクワク!紅葉はもう終わりかな?
松本に着いたよ。松本の風景はなぜかkinoppyを落ち着かせてくれる。なぜ?それは
山があるから。四方に高い山がある風景は懐かしく、心落ち着けるんだよね。kinoppyだけではないと思うけど。みんなはどう?
人口24万の松本市、ゆったりしてとても穏やかそうな街並み。落ち着く~。ただ、地方都市はどこもそうだけど、車だけは多くてちょっとうんざりね。
駅前の通りに大きな球体、なんだろう?と思ったら、からくり時計なんだって。午前10時から午後7時まで、1時間おきにパカット開いて、お人形とともに時刻を知らせてくれるそうな。へぇ~。
松本には他にも、こんなものがあって、感心した。昔の町名を残そうと建てられているらしい。良いことだよね。たとえ建物がなくなっても、歴史は残る。現在、未来の子供たちに伝え続けていくことができる。
大通りを真っ直ぐ行くと、両側には大きな建物がずらっと並ぶ。
毎日新聞のビル
角を曲がって北へ向かうと、ゆるやかに流れる1級河川女鳥羽川にであう。左岸に時計台が見える。ここに四柱神社の入口がある。川に沿って参道、ナワテ通り商店街がある。とても面白そうな所なので、ここは後に取っておこう。
向こう側にせいじ・おざわのフェスティバルポスター、す・て・き いつなんだろう?
木の陰からそっと覗くと?何やら怪しい建物が・・・。(笑)
大きなビルとビルに挟まれ、縮こまっているように見える。お城を模した看板?骨董品の店?それとも?想像すると楽しいね。
この建物も昔の立派な風情を想像させる。信号には大名町通りとある。もうすぐだ、お城!
ハイ、お待たせ、やっと松本城に着いたよ。素晴らしい書体!誰の?
松本城の雄姿、立派なお城だ。さすが国宝。
内濠の橋を渡って、入場券を購入。博物館込みで600円。登るや否や、しばし悩んだけれど、折角だからと登城することにした。
お城のてっぺんから写真を撮りたかった・・・のだった。
黒門を抜けて太鼓門を通り抜ける。横をチラッと見ると石積みと歴代城主の名前が。
松本城は戦国時代の初め、深志城と言って、信濃の守護小笠原氏の林城の前面を固めるために造られた。その後武田信玄がこの地を占領したが、小笠原氏が本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めた。
豊臣秀吉が天下を統一すると、小笠原氏は江戸に移封された徳川家康に従い、下総へ移ったため、秀吉は石川数正を松本城に封じた。
数正、康長父子は天守三棟、御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀などを作り、城下町の整備を進め、松本城の基礎を固めた。天守の築造年代は、康長による文禄2年~3年(1593~4)年と考えられている。(松本城管理事務所作成のパンフレットより)
その後も数々の大名が城主となったようだ。
本丸御殿跡前に来ると、松本市のマスコットャラクター、アルプちゃんがお出迎え。
こんなこともしてくれます。もちろん一緒にカメラに収まることも。
登ってみた所がさあ大変。kinoppyは数年前、金毘羅さん登って、すぐその足で電車に飛び乗って、高知城に上ったりしてたので全然平気と思っていたら、ここ、松本城の何階だったか相当高さのある階段には参った。下りる時はもっと怖いよ。それに、最上階6階まで登ってもきちんとした写真は撮れない。誰かが開けた金網の破れ目から遠慮がちにシャッターを押すだけ。こんなに頑張って登ったのに~。下調べをしなかったkinoppyが悪い。仕方なか~。
その景色がこれ。でも、金網の破れ目から撮った写真には見えないでしょ?
松本は高い建物がないから、空が広いね~。すてき!
東側かな?先程登ってきた玄関口、本丸跡。
中に展示してあるのはほとんど火縄銃とその資料だけ。松本市出身の方から寄贈されたもののようだ。博物館がすぐ隣にあるので詳しい資料はそちらに行けば良いね、きっと。
火縄作りは女の仕事だったらしい。
長篠の合戦
銃刀の装飾品?
胸にかけているのは爆弾で、鎧兜は10kgもあったと、ガイドのおじさんが説明していた。怖っ!
2階から眺める景色。2階は月見櫓。月見をするために造られた櫓で周りに朱塗りの回廊がある。もう、金網はない。
北側かな?外堀が見える?
南側、内濠、城公園が見える。
外へ出て、内濠側からもう一度お城を見てみよう。
内濠は池のように曲線を描いている。どこからでも、お城が見渡せる。
水藻に映る松本城
紅葉と松本城
鴨さんと松本城
帰り道、近代的なホワイトのビルに映えるナナカマド
みんな最後まで読んでくれて、どうも有難う。久しぶりに長編だったね。信州編はまだまだ続くよ、お楽しみに。じゃ、また、すぐ会おうね
スーパーあずさからの車窓、う~ん、イイネ、ワクワク!紅葉はもう終わりかな?
松本に着いたよ。松本の風景はなぜかkinoppyを落ち着かせてくれる。なぜ?それは
山があるから。四方に高い山がある風景は懐かしく、心落ち着けるんだよね。kinoppyだけではないと思うけど。みんなはどう?
人口24万の松本市、ゆったりしてとても穏やかそうな街並み。落ち着く~。ただ、地方都市はどこもそうだけど、車だけは多くてちょっとうんざりね。
駅前の通りに大きな球体、なんだろう?と思ったら、からくり時計なんだって。午前10時から午後7時まで、1時間おきにパカット開いて、お人形とともに時刻を知らせてくれるそうな。へぇ~。
松本には他にも、こんなものがあって、感心した。昔の町名を残そうと建てられているらしい。良いことだよね。たとえ建物がなくなっても、歴史は残る。現在、未来の子供たちに伝え続けていくことができる。
大通りを真っ直ぐ行くと、両側には大きな建物がずらっと並ぶ。
毎日新聞のビル
角を曲がって北へ向かうと、ゆるやかに流れる1級河川女鳥羽川にであう。左岸に時計台が見える。ここに四柱神社の入口がある。川に沿って参道、ナワテ通り商店街がある。とても面白そうな所なので、ここは後に取っておこう。
向こう側にせいじ・おざわのフェスティバルポスター、す・て・き いつなんだろう?
木の陰からそっと覗くと?何やら怪しい建物が・・・。(笑)
大きなビルとビルに挟まれ、縮こまっているように見える。お城を模した看板?骨董品の店?それとも?想像すると楽しいね。
この建物も昔の立派な風情を想像させる。信号には大名町通りとある。もうすぐだ、お城!
ハイ、お待たせ、やっと松本城に着いたよ。素晴らしい書体!誰の?
松本城の雄姿、立派なお城だ。さすが国宝。
内濠の橋を渡って、入場券を購入。博物館込みで600円。登るや否や、しばし悩んだけれど、折角だからと登城することにした。
お城のてっぺんから写真を撮りたかった・・・のだった。
黒門を抜けて太鼓門を通り抜ける。横をチラッと見ると石積みと歴代城主の名前が。
松本城は戦国時代の初め、深志城と言って、信濃の守護小笠原氏の林城の前面を固めるために造られた。その後武田信玄がこの地を占領したが、小笠原氏が本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めた。
豊臣秀吉が天下を統一すると、小笠原氏は江戸に移封された徳川家康に従い、下総へ移ったため、秀吉は石川数正を松本城に封じた。
数正、康長父子は天守三棟、御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀などを作り、城下町の整備を進め、松本城の基礎を固めた。天守の築造年代は、康長による文禄2年~3年(1593~4)年と考えられている。(松本城管理事務所作成のパンフレットより)
その後も数々の大名が城主となったようだ。
本丸御殿跡前に来ると、松本市のマスコットャラクター、アルプちゃんがお出迎え。
こんなこともしてくれます。もちろん一緒にカメラに収まることも。
登ってみた所がさあ大変。kinoppyは数年前、金毘羅さん登って、すぐその足で電車に飛び乗って、高知城に上ったりしてたので全然平気と思っていたら、ここ、松本城の何階だったか相当高さのある階段には参った。下りる時はもっと怖いよ。それに、最上階6階まで登ってもきちんとした写真は撮れない。誰かが開けた金網の破れ目から遠慮がちにシャッターを押すだけ。こんなに頑張って登ったのに~。下調べをしなかったkinoppyが悪い。仕方なか~。
その景色がこれ。でも、金網の破れ目から撮った写真には見えないでしょ?
松本は高い建物がないから、空が広いね~。すてき!
東側かな?先程登ってきた玄関口、本丸跡。
中に展示してあるのはほとんど火縄銃とその資料だけ。松本市出身の方から寄贈されたもののようだ。博物館がすぐ隣にあるので詳しい資料はそちらに行けば良いね、きっと。
火縄作りは女の仕事だったらしい。
長篠の合戦
銃刀の装飾品?
胸にかけているのは爆弾で、鎧兜は10kgもあったと、ガイドのおじさんが説明していた。怖っ!
2階から眺める景色。2階は月見櫓。月見をするために造られた櫓で周りに朱塗りの回廊がある。もう、金網はない。
北側かな?外堀が見える?
南側、内濠、城公園が見える。
外へ出て、内濠側からもう一度お城を見てみよう。
内濠は池のように曲線を描いている。どこからでも、お城が見渡せる。
水藻に映る松本城
紅葉と松本城
鴨さんと松本城
帰り道、近代的なホワイトのビルに映えるナナカマド
みんな最後まで読んでくれて、どうも有難う。久しぶりに長編だったね。信州編はまだまだ続くよ、お楽しみに。じゃ、また、すぐ会おうね