とんだり はねたり

kinoppyの一日

国分寺NOW2

2014-12-30 | 日記
HI!みんな元気?師走だね。ちょっとUPするのが遅れちゃったけど、NOWじゃない?ゴメン。kinoppyも忙しいのさ。

この絵皿2枚可愛くない?猫グッズに弱いkinoppyは即決買ってしまったのさ。子猫と親猫かな?どんな人が作ったのかな?会いたくなってしまう。ちなみに下に敷いてある緑のタオルは直島に行った時入った「I LOVE 湯」のタオルだよ。LOVEがハートになってるね。(余談だけど。)
                     

どこで買ったかって?こんなのやってたのよ。国分寺市社会福祉協議会が、国分寺step'sの前で、障がい者の皆さんが制作した作品を展示即売していたの。kinoppyはいつも公民館で買ってているシフォンケーキと、この絵皿二枚を即購入したというわけ。お仕事ネットワークは結成10周年だって。頑張ってるね。

                     

                作品展と同時に国分寺駅構内で、10周年の記念紹介展示もやってました。             
             
                


本多公民館で、いつもお昼御飯のお世話になってるKさんです。野菜が多くて、栄養バランス抜群。心こめて作ってくださっている定食ですが、たったの570円。感謝ですね。
   



作品をいくつかご紹介するね。(写真左)のケーキは組立で、1番人気商品だって。(写真右)の右下は、kinoppyがシフォンケーキの次に好きなポロン。

   

      みんなも見かけたら買ってあげてネ!じゃ、またネ。

国分寺NOW?

2014-12-21 | 日記
Hiみんな元気?久しぶりだね。kinoppyはこのところちょっと忙しかった。ひと休み、ひと休み。
今日はずっと撮りたいと思っていた国分寺駅北口再開発地域を撮って来たよ。本当は駅前の建物がなくなる前に撮っておきたかったんだけど、撮りそこなった。「パチンコモナコ」とかさ。高層の建物が建ってしまうと現在の町の様子も撮れなくなるでしょ。今のうちにと、大急ぎで撮ってきたんだよ~。フ~(汗)。

どこで撮ったかって?もうそりゃ、丸井の上に決まってるでしょ。なんだかしばらく行かない内に柵ができちゃってて、(もしかして前からあった?)柵の棒と棒の間から撮るから結構難しかった。

           赤と白の塔がNTT      後方に見える緑は小金井公園
         
           後方赤い看板は三菱銀行     本町商店街
           黄色いぶんバスが見える?  タクシーの列は歩道に沿って曲ってる。
           手前には黒いタクシーの列 

工事現場はもっと手前にもあるが、画面に撮りきれない。ここは西街区と交通広場が建つ所だね。たぶん。上からみた所をもう少しUPするね。

左右の写真少しずれがあるんだけど、(左)車が通ていて、茶色い所がバス停。小平方面、ぶんバスね。道路左手が質屋さん、焼肉山水の通り。黒いタクシーが曲って入ってる所が、タクシー乗り場。ちょうど写真右の歩道に沿って黒い車が沢山並んでいる部分にあたります。見える?しかしこの距離だと、雨降ったらタクシーに乗るのに大分ぬれちゃうね。ビルが建ったら解決するんだろうけど。

          

ご覧のように大分様子が違ってきています。現在一番変わってしまったのは、国分寺駅入口です。以前は階段だったのが、仮のスロープが設置されています。上がり易くなって、自転車もとても楽です。でも、以前より西に動いてしまったため、人の動線が変わってしまったように思います。本町商店街入口から更に西にズレてしまいました。(今までも商店街入口より少し西寄りでした。)

では、その入口はどうなってるか、下へ降りてご案内しましょう。
         
          バス停             左手がタクシー乗り場。突当り本町商店街 
         
         丸井の裏=国分寺駅北口      入口の仮設スロープ
         西街区?
中へ入ってみましょう。入口スロープを中側から。 以前横の階段があった所。
         
         北口の表示 あたりに横へ降りる階段があった。バス停はコチラでしたネ。

この駅前に平成29年、(3年後、ホント?)に東街区31階116m、250戸、西街区33階135m、270戸のツインタワ-が完成するのだそうです。度々変更があるようなので、詳細は国分寺市HPで確認してね。
以下写真、資料は国分寺市HP及び国分寺市まちづくりセンターから。←説明がわかり易い。


                    
                        
                          2014年10月
              
            
          
       こんな時代の駅前をまだ覚えてる?周りをフェンスに囲まれて、通勤してたよね。2011年            

みんな疲れた?じゃちょっと目の保養する?ちょうどLホールで日立中央研究所の遊画展開催中でした。    
       

素晴らしい作品ばかりで、kinoppyはとってもエネルギーをもらちゃいましたhappy!!
            

            今日も最後まで見てくれて有難う。また すぐ会おうね!

旧友

2014-12-06 | 日記
Hi!みんな元気?kinoppyは、すこぶる好調だよ。なぜって、今から旧友と呼べる数少ない友達に会えるから。たっのしみ~。昔勤めていた会社の友達に会うんだよ。体調を崩して、kinoppyより先に辞めていった友達だけど、今就活中らしい。ガンバレ!どこで会うって?みんな付いて来て!

新宿駅南口。勤めていた頃はここから会社まで、歩くと10分以上かかるところを5分で走ってたよ。なぜって大抵は遅刻しそうだったから。現在も変わってないね、反省が足りない。でも、今はそんなに早く走れない・・・・・。

     

 新宿駅南口前甲州街道の交差点、  国際通り、後方に見えてるのが会社。 →コレ。
          

夏は神宮の花火を遠くに見ながら、冬は目の前の大きな赤富士を見ながら、仕事してました。なつかしいな~。

新宿西口高層ビル街は、元淀橋浄水場が東村山に移転、都庁が有楽町(今の国際フォーラム、ビッグカメラの所だね。)から引越ししてできた新しい副都心です。淀橋浄水場跡は56万㎡(新宿御苑位)、周囲を含んだ96万㎡に、道路、公園、官庁街、オフィス街、デパート、ホテル等を建設して新しい都心ができました。

1971年(S46)に京王プラザホテルが建設され、地上47階建、169mのホテルは、霞が関ビルを抜いて、当時日本一の超高層ビルでした。1974年には住友、KDD、三井など200m近いビルが立ち並びました。新都庁は1990年(H2)に建設され、展望台は202mと、これまた、当時最高の建物でした。街は緑化と景観を大切にし、電柱なし、看板なし等の条例が定められています。お蔭でビルを探す人は超高層ビルの中でどれが自分の探しているビルがわからず、困っているのを良く見かけましたヨ。

都庁の移転は美濃部都知事時代にすでに決定されていましたが、新宿移転を強く推進したのは鈴木都知事だそうです。鈴木都知事は多摩出身で、(どこ?)多摩地区人口の増加により、人口の重心が西に移ったからとか、官庁の霞が関集中を回避するために推進したとか言われていますね。当時鈴木都知事は、いわゆる箱物を沢山作りました。都庁、(設計は新、旧とも丹下健三)、国際フォーラム、kinoppyも昔ボランティアガイドをしていた「江戸東京博物館」等、維持費のかかる巨大な建物ばかりでした。修理も今問題になってるよね。

京王デパートは開業50周年だそうです。そういえば国分寺も50周年、1964年東京オリンピックの年だね。なるほど。(↓写真は京王デパートHP、ワシントンホテルHP、及び東建新聞よりお借りしました。)

       ↓この富士山は誇張ではない、本当にこんな風に見えます。 ↓前の緑は新宿中央公園。
       
 (写真左)ワシントンホテルから見た高層ビル群。右奥三角形に見えるのが住友で、真中、橋がかかっているように見えるのが、都庁の議事堂ビルで、左隣も都庁。右手前方はNSビルでしょう。(写真右)右手に見えるのが京王プラザ、左手は都庁。

     時間だ、雨も降ってきたよ。先を急ぎましょう。都庁の展望台が見えてきた。

                   

         

京プラ(と呼んでいた)の中にある、偶然お互いに好きで、別々に使っていたカフェで、会うことにした。

話しているうちになんと、年齢が20歳も離れていることが発覚。(ま、周囲は若人ばかりだったんだけどさ。)kinoppyは年の違いも感じさせないほど聡明で、しっかりした彼女の生き方に敬意をはらう。リンとして、困難と恐怖に果敢に立ち向かう、花でいえばラッパ水仙かな?そんな彼女にすがすがしさと憧れさえ感じる。頑張ってるね、といつも思う。一緒に泣いてあげたいと思う数少ない友人だ。

ランチの間の短い時間だったけど、とっても楽しかった。旧友?と呼べる人がいることは、本当に幸せなことだ。ランチからいつの間にかディナーのバイキングに変わってしまっても、気づかず話こんでいた。たわいのない話だけど、あ~やっぱり、友達、と確認できる。全然変わってないよ。前より元気になったみたい。良くなってくれて本当にうれしい。また元気に東京で働こうね!口には出さないけれど、心から応援してるよ。

ホールにクリスマスツリーが飾ってあった。きれい!!
                       
                  
   

外に出るとクリスマスの電飾が色々。キャキャ言って遊びました。(遊んだのは、もしかしたらkinoppyだけも・・・・)
            電飾のトナカイさん、カワユイネ!
            
  
そして、新宿駅。南口改札前の花屋さん、副都心通勤ギャル達の定番の待ち合わせ場所でした。ここもクリスマス一色。つかの間の幸せ?別れを惜しんで、沢山写真を撮りました。みんなにもおすそ分けするよ。

           

           
                     
            本物のリンゴだよ。

さよなら友達、また すぐ会おうネ。もっと、もっと元気になって、東京移住を実現させようネ。じゃ、みんなも一緒に今日は さよなら、またネ。           

紅葉三昧

2014-12-05 | 季節
Hi! みんな元気?kinoppyも元気だよ。でもこのところ冷え込んできたね、風邪をひかないように気を付けてね。
ちょっと前の画像で申し訳ないんだけど、11月30日に紅葉真っ盛りの「殿ヶ谷戸庭園」に行って来た。この画像の1週間前にも訪問したんだけど、少し早かった。でも殿ヶ谷戸(谷になってる一番の見所)は1週間前の方がきれいだったと思う。ピンク色で「ほぉ~」って溜息つくくらい可愛い風景だった。ので、それもUPするね。見比べてみて。

         
地図右下の赤い点の所が入り口で、右手に進むと芝生の広場、ここがたぶん一番高い所で、広場左手に旧岩崎邸の別荘の1部がサービスセンターとして残されている。旧別荘の前を道なりに下って行くと、紅葉亭という東屋に辿り着く。ここでは時々演奏会などがある。毎年正月2日には雅楽の演奏があるよ。紅葉亭の前が殿ヶ谷戸で(昔、谷のことを谷戸と言った)湧水の次郎弁天の池があります。紅葉亭からの景色はいつ見ても抜群ですが、紅葉の時期がやはり最高!

      では、みんなで入園してみましょう。芝生広場です。木の後方が旧岩崎家別荘。
           
      
      
     

     

     

     
      
    さすが!1週間待っただけあるよ。皆さん感嘆のまなざしで、パチパチ撮ってました。今はほとんどの人が一眼レフね。kinoppyのは相変わらずのぼろカメラです。

そろそろ谷の方へ降りて行きましょうか。

ここ殿ヶ谷戸庭園は、大正初期に南満州鉄道副総裁であった江口定條(えぐち・さだえ)がこの地に別邸「随宜園」を建て、その後1929年(S4)に三菱財閥の岩崎彦彌太が買い取り、国分寺別邸を建設し、武蔵野の自然と調和した和洋折衷の庭園を完成させました。1970年代の初め国分寺市都市開発構想が持ち上がり、庭園は商業施設への変更を求められましたが、地元住民の「再開発反対」と「別邸の緑を守る」運動が実を結び、東京都による買収が決定、1979年(S54)に都立公園として一般公開されました。良かったね。お蔭でこの素晴らしい紅葉が見られたよ、lucky!

岩崎彦彌太が買い取った頃の敷地面積は3万3千㎡、西隣に旧国分寺第一小学校、南は野川の田園地帯、東は丸山の麓までと、駅南口から見渡せば、ほぼ見える範囲がすべて岩崎別邸だったといわれています。現在は2万1千㎡だそうです。(冊子殿ヶ谷戸庭園より)正門は現在よりもっと東にあったようで、庭園東側に今は使われていない馬車道が残されています。

    1週間前のピンク色の頃の画像です。これは、これで美しくありませんか?
    

    

    
  
    
  
    

    11/30の画像に戻りましょう。比べてみてネ!

    
    
    

    

    

    
    
        
    
    紅葉ばかりではなく私も忘れないでね、と ひっそり咲いていました。けなげな感じ?

    

緑豊かな殿ヶ谷戸庭園には沢山の樹木、野草が残されています。奥多摩までいかなくても、レンゲショウマが見られますよ。万葉集にも歌われたムラサキの栽培も行われています。約300本のモッコク、銀杏やヒマラヤ杉、約190本のイロハモミジが見られます。

岩崎別邸は、昭和初期のカントリーハウスと呼ばれた、和洋折衷のハイカラな建物だったそうです。本館は延べ548㎡(166坪)、部屋数10、中庭やベランダを備えており、現在の庭ばかりでなく、農地や栗林、鴨池やプール、猟犬の繁殖場まで造られ、西洋のカントリーハウスの趣があったようです。当時は国分寺崖線近辺に30あまりの別荘がありました。

そういえば、kinoppyが以前住んでいた新玉川線沿線の「二子玉川」も当時は別荘地だったらしい。東京駅から20~30㎞圏内に同様の別荘地が沢山開発されたんだね。お蔭で今日でも都心で日本特有の植生が守られている。本当に先人に感謝、当時の欧米化に感謝です。公園、海水浴、カントリーハウス等みんな欧米化の賜物。

国分寺を調べている内に、国分寺村→国分寺町→国分寺市になったのが、わずか50年前の1964年(東京オリンピックの年)だということがわかった。え~っ!!kinoppyの故郷よりずっと田舎だよ。1921年(T10)に市になってるし、kinoppyが住んでた頃でも人口は10万人以上あったよ。今は8万弱だけどさ。紅葉狩りに来ただけで、色々収穫が多かった。面白いね。みんなはどう?楽しかった?最後まで見てくれてアリガト!

また、すぐ 会おうネ!!