H1!みんな元気?梅雨らしくなってきたね。でも、今年の紫陽花はあまりきれいに咲いてないような気がする。お天気がはっきりしないせいかな?ところで、裏の観光大使kinoppyのところに久しぶりに故郷の便りが届いた。しばらくさぼっていたけど、こうやってお知らせくださる方がある限り、東京からも全国へ発信しなければね。Yさんどうも有難う。
以前伊達秀宗公物語を紹介したけれど、これは同じ宇和島信用金庫さんが、子供たちのために作った伊達シリーズ第3弾だよ。始まり始まり kinoppyの独断で要約、解説しました。ここに載せるって許可ももらってないけど、ま、良いか。裏観光大使だしね!いつも思うことだけど、絵がとても可愛いね!はらぐち あきこさんてどんな方かな?
伊達宗利(むねとし)の娘 豊姫物語 宗利は宇和島藩伊達家2代藩主、あんずの縁とはさてなんのことでしょう?
江戸屋敷で暮らす宗利、夫人の稲姫(いねひめ)稲姫は越後高田藩主松平光長の娘、そして豊姫
12歳になった豊姫に真田家との縁談が持ち上がりました。当時宇和島藩は大洪水に見舞われ豊かではありませんでした。高価な嫁入り道具を整えることはできません。しかし豊姫は「あんずの種1つ持って行きたい。真田家の庭に植えて、父上母上を思い出せるように」と言ったのです。伊達藩江戸屋敷には宇和島から運んで育てたあんずの木が何本もありました。
宗利は「宇和島には海があり、山がある。お城下のどこからでも白くて美しい天守が見える。」といつも豊姫に話して聞かせていました。
豊姫が嫁入りする松代藩真田家は、宇和島伊達藩と同じ十万石の大名家です。真田家と言えば、真田幸村が有名です。昨年NHKの大河ドラマ「真田丸」で人気を博した幸村。関ヶ原の戦い、大阪の陣、と2度に亘って兄信之と敵味方に分かれて戦いました。大阪の陣では伊達政宗と秀宗親子が徳川軍に参加し、秀宗は宇和島十万石の領地を拝領しました。宇和島藩伊達家の始まりです。豊臣の敗戦が確実になった時、幸村は幼い子供達をひそかに政宗の家臣のもとに預けました。伊達家と真田家の関係、昨年知ってたら、もっとドラマを楽しく見られただろうね~、残念。
豊姫の結婚相手は松代藩真田家三代藩主の真田幸道です。(幸道は二代藩主真田信之の五男)徳川家のもとで戦いの世が終わり、世の中は平和になっていました。豊姫12歳、幸道15歳。真田家の江戸屋敷は江戸城に近い桜田、伊達家は麻布にありました。
りりしく、険しい表情の幸道は外見とは違い、心根の優しい人物でした。伊達家から持って来たあんずの種を植えると、水をやったり、葉っぱについた害虫を取ってくれたりしました。豊姫は真田家で幸せに暮らしました。
あんずの木はどんどん大きくなり沢山の実がなりました。幸道は参勤交代で領地に帰る時、あんずの種を持ち帰り、家臣達にも分け与え、あんずを増やしました。やがて、あんずが松代藩の暮らしを支える大事な産業になりました。春になると、あんずの花が満開で、お城下は薄桃色に霞んで見えるほどです。「松代は、豊姫のおかげで、すっかりあんずの里になった」幸道は嬉しそうに豊姫に言いました。大名家の夫人は江戸からでることはできません。幸道が70歳でなくなった後、あんずの里を見たいと思った豊姫は残りの人生を松代で送ることにしました。「なんと美しいところ、、、」豊姫は美しい自然豊かな里山の風景、あんずの花が一面に広がっている様を見て感嘆の声をあげました。
現住所は長野市松代東条のようです。あんずのほかにも、松代窯、温泉など観光資源に恵まれた美しい里山。北アルプスを背景に5~6千本のあんずの花が咲き誇った風景はまさにこの絵そっくりです。行ってみたいな~。
そして今、この里山のあんずが宇和島に里帰りしているそうです。厳しい戦国時代を生きた大名やその家族の歴史が、あんずの種に引き継がれて、私達現代人に語り伝えられるってステキですね~。なんか歴史に残ることしてみたいと思いませんか?種を植えるだけで良いんだよ!!
じゃ、みんなまたネ
以前伊達秀宗公物語を紹介したけれど、これは同じ宇和島信用金庫さんが、子供たちのために作った伊達シリーズ第3弾だよ。始まり始まり kinoppyの独断で要約、解説しました。ここに載せるって許可ももらってないけど、ま、良いか。裏観光大使だしね!いつも思うことだけど、絵がとても可愛いね!はらぐち あきこさんてどんな方かな?
伊達宗利(むねとし)の娘 豊姫物語 宗利は宇和島藩伊達家2代藩主、あんずの縁とはさてなんのことでしょう?
江戸屋敷で暮らす宗利、夫人の稲姫(いねひめ)稲姫は越後高田藩主松平光長の娘、そして豊姫
12歳になった豊姫に真田家との縁談が持ち上がりました。当時宇和島藩は大洪水に見舞われ豊かではありませんでした。高価な嫁入り道具を整えることはできません。しかし豊姫は「あんずの種1つ持って行きたい。真田家の庭に植えて、父上母上を思い出せるように」と言ったのです。伊達藩江戸屋敷には宇和島から運んで育てたあんずの木が何本もありました。
宗利は「宇和島には海があり、山がある。お城下のどこからでも白くて美しい天守が見える。」といつも豊姫に話して聞かせていました。
豊姫が嫁入りする松代藩真田家は、宇和島伊達藩と同じ十万石の大名家です。真田家と言えば、真田幸村が有名です。昨年NHKの大河ドラマ「真田丸」で人気を博した幸村。関ヶ原の戦い、大阪の陣、と2度に亘って兄信之と敵味方に分かれて戦いました。大阪の陣では伊達政宗と秀宗親子が徳川軍に参加し、秀宗は宇和島十万石の領地を拝領しました。宇和島藩伊達家の始まりです。豊臣の敗戦が確実になった時、幸村は幼い子供達をひそかに政宗の家臣のもとに預けました。伊達家と真田家の関係、昨年知ってたら、もっとドラマを楽しく見られただろうね~、残念。
豊姫の結婚相手は松代藩真田家三代藩主の真田幸道です。(幸道は二代藩主真田信之の五男)徳川家のもとで戦いの世が終わり、世の中は平和になっていました。豊姫12歳、幸道15歳。真田家の江戸屋敷は江戸城に近い桜田、伊達家は麻布にありました。
りりしく、険しい表情の幸道は外見とは違い、心根の優しい人物でした。伊達家から持って来たあんずの種を植えると、水をやったり、葉っぱについた害虫を取ってくれたりしました。豊姫は真田家で幸せに暮らしました。
あんずの木はどんどん大きくなり沢山の実がなりました。幸道は参勤交代で領地に帰る時、あんずの種を持ち帰り、家臣達にも分け与え、あんずを増やしました。やがて、あんずが松代藩の暮らしを支える大事な産業になりました。春になると、あんずの花が満開で、お城下は薄桃色に霞んで見えるほどです。「松代は、豊姫のおかげで、すっかりあんずの里になった」幸道は嬉しそうに豊姫に言いました。大名家の夫人は江戸からでることはできません。幸道が70歳でなくなった後、あんずの里を見たいと思った豊姫は残りの人生を松代で送ることにしました。「なんと美しいところ、、、」豊姫は美しい自然豊かな里山の風景、あんずの花が一面に広がっている様を見て感嘆の声をあげました。
現住所は長野市松代東条のようです。あんずのほかにも、松代窯、温泉など観光資源に恵まれた美しい里山。北アルプスを背景に5~6千本のあんずの花が咲き誇った風景はまさにこの絵そっくりです。行ってみたいな~。
そして今、この里山のあんずが宇和島に里帰りしているそうです。厳しい戦国時代を生きた大名やその家族の歴史が、あんずの種に引き継がれて、私達現代人に語り伝えられるってステキですね~。なんか歴史に残ることしてみたいと思いませんか?種を植えるだけで良いんだよ!!
じゃ、みんなまたネ