Hi!みんな元気?久しぶりダネ。台風が来てるらしい。外は雨が降っている。無事に通り過ぎてくれますように。「浮世絵Tokyo名所案内」という本を読んでいたら、こんな絵を見つけた。
お~、これは正に神楽坂方面から牛込御門を描いたものに違いない。下の古地図右下辺り、お城と武家屋敷が牛込橋で繋がれている。③番が牛込橋でこの道を真っ直ぐ西へ上がると神楽坂だ。この本の作者&イラストレーター瀬谷昌男氏によると、神楽坂の上の矢来町には②番大老酒井忠勝が屋敷を構え、江戸城に登城する際はこの坂を下り、坂下の牛込橋を渡っていたそうだ。「坂の上に住む武士たちの通勤ルートだった神楽坂」ってタイムスリップして、ワクワクして来ない?(赤字はすべて寺社地)
もう1枚、国会図書館所蔵の広重の揚場の絵を見つけた。神楽河岸と呼ばれる船着き場があったそうだ。ここはちょうど上図③番の牛込橋北の外堀に沿った辺りだ。美しい上に浮世絵には浪漫がある。当時の様子が活き活きと伝わってくるようだ。絵は生き証人だね~。
広重の浮世絵に刺激されて、ついでがあったので、久しぶりに神楽坂へ寄ってみることにした。JR総武線の飯田橋駅を降りる。ここは東京ドーム、後楽園などに近くて、東京のど真中だ。中国語で有名な日中学院もある。
牛込橋↓上に乗っかっているのは見附の意味か?牛込見附は江戸城36見附の一つ。こちらが外堀を挟んで江戸城側。
傍にこんな説明があった。
石垣の前の説明書きを大きくしてみたよ。右に行くと神楽坂、左に行くと早稲田通り。(城内)
神楽坂を上ってみよう。長い商店街だ、と思ったら、南北およそ700mに2つの商店街からできている。1つの商店会が160軒と公表しているから、両方で300軒位のお店があるのかな?ここの商店街はシャッター商店街とは全く無縁な感じがする。周囲には大学も沢山あり、地元の人ばかりでなく、学生や観光客で常ににぎわっている。ちょっと横丁にはいると、黒塀の高級料亭などが立ち並ぶ。
通りの右にお馴染みのペコちゃん焼きのお店
清潔で、華やかで、活気のある商店街
メインストリートをただ歩くだけでは面白くないので、今日は観光地図に載っている路地に入ってみることにした。地図には「かくれんぼ横丁」「本多横丁」「兵庫横丁」と3つの路地名が書いてあるが、それぞれ繋がっていて、初めてこの辺りをウロウロするkinoppyには良くわからないので適当に気に入った画像を紹介しよう。
兵庫横丁
この先をまっすぐメインストリートに出ると、桃山時代の創建になる善国寺がある。神楽坂の毘沙門様として信仰を集めるお寺だ。
初代住職は佛乗院日惺上人、池上本門寺12代貫主。上人は二条関白昭実の実子で、徳川家康と以前から親交があった。上人が遊学先の京都から本門寺貫主として迎えられてから9年後の天正18(1590)年、家康は江戸城に居を移し、二人は再会することになった。へぇ~、ご縁って大切だね~。みんなも友人を大切にね!
文禄4年(1595)馬喰町に創建するが、度々火災に遭い、麴町を経て、寛政5年(1793)現在地へ移転した。本堂左右に狛犬ならぬ石寅が鎮座している。毘沙門天は寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻にこの世に現れたという故事にちなみ「寅毘沙」と呼ばれる。
(石寅の画像がなくてゴメン)
毘沙門天像はご開帳の日のみ拝観できる、毎年1、5、9月の寅の日である。
本多横丁でkinoppyの目に留まったお店。バイクがかっこよくて・・・。写真はお店の上下。
メインストリートに戻ったら、坂を上り赤城神社をめざそう。この神社、隈研吾さんの設計とある。俄然興味がわいてきた。
創建は1300年頃、江戸時代には「赤城大明神」と呼ばれ「日枝神社」「神田明神」と共に江戸の三社と呼ばれた。祭り時には、江戸城内に入ることが許されていた。
神社の老朽化と併設されていた幼稚園の人数が減少したため、神社の建つ底地に70年の定期借地権を設定し、その上に神社とマンションを建てることになり、2010年9月に新しい神社が竣工した。神社、マンションの建築にあたっては、近くに住み氏子でもある隈研吾さんが設計を担当した。2011年の住宅部門とビジネスソリューション部門の両方で2011年度グッドデザイン賞を受賞したそうだ。素晴らしいね。
本殿前に立つ狛犬は江戸時代流行した「加賀白山犬」で、現在はとても珍しいもの。スフィンクスに似ていると言われている。
右に建つのがマンション
右は旺文社の寄付により再建された蛍雪神社、以前は北野神社だったが、旺文社の蛍雪時代から改名されたそうだ。そのくらいしてもらっても良いよね。全国の社長さん見習って欲しい。
上から撮ってみた。もう紅葉が始まってるね。
下へ降りてみる。赤い鳥居は「出世稲荷神社」
来た道を戻ると、神楽坂の街並みに配慮して建てられたものだと言うことが良くわかる。
しかし、kinoppyはやはり、昔ながの神社建築の方が落ち着くなと感じた。 みんなはどう思う?
さ~て神楽坂を下りて 牛込橋へ戻ろう。神楽坂はしゃれたものもあるけれど、ほぼ一般的な商店街だった。昔とあまり変わっていない。住んでる人もセレブというより一般庶民。地元の人、学生、観光客、雑多な人々が集う街。だからいつも活気があって変わらない。そう言う点では江戸時代ともあまり変わっていないのかもしれないね。
飯田橋サクラテラスとテントウムシ。(本物じゃないよ)こっち側はずいぶん変わったかもね。
みんな、最後まで見てくれてどうも有難う。またね。
参考文献:浮世絵TOKYO名所案内 メイツ出版
神楽坂 新宿観光振興協会
善国寺HP
赤城神社HP
パークコート神楽坂 all about住宅・不動産
お~、これは正に神楽坂方面から牛込御門を描いたものに違いない。下の古地図右下辺り、お城と武家屋敷が牛込橋で繋がれている。③番が牛込橋でこの道を真っ直ぐ西へ上がると神楽坂だ。この本の作者&イラストレーター瀬谷昌男氏によると、神楽坂の上の矢来町には②番大老酒井忠勝が屋敷を構え、江戸城に登城する際はこの坂を下り、坂下の牛込橋を渡っていたそうだ。「坂の上に住む武士たちの通勤ルートだった神楽坂」ってタイムスリップして、ワクワクして来ない?(赤字はすべて寺社地)
もう1枚、国会図書館所蔵の広重の揚場の絵を見つけた。神楽河岸と呼ばれる船着き場があったそうだ。ここはちょうど上図③番の牛込橋北の外堀に沿った辺りだ。美しい上に浮世絵には浪漫がある。当時の様子が活き活きと伝わってくるようだ。絵は生き証人だね~。
広重の浮世絵に刺激されて、ついでがあったので、久しぶりに神楽坂へ寄ってみることにした。JR総武線の飯田橋駅を降りる。ここは東京ドーム、後楽園などに近くて、東京のど真中だ。中国語で有名な日中学院もある。
牛込橋↓上に乗っかっているのは見附の意味か?牛込見附は江戸城36見附の一つ。こちらが外堀を挟んで江戸城側。
傍にこんな説明があった。
石垣の前の説明書きを大きくしてみたよ。右に行くと神楽坂、左に行くと早稲田通り。(城内)
神楽坂を上ってみよう。長い商店街だ、と思ったら、南北およそ700mに2つの商店街からできている。1つの商店会が160軒と公表しているから、両方で300軒位のお店があるのかな?ここの商店街はシャッター商店街とは全く無縁な感じがする。周囲には大学も沢山あり、地元の人ばかりでなく、学生や観光客で常ににぎわっている。ちょっと横丁にはいると、黒塀の高級料亭などが立ち並ぶ。
通りの右にお馴染みのペコちゃん焼きのお店
清潔で、華やかで、活気のある商店街
メインストリートをただ歩くだけでは面白くないので、今日は観光地図に載っている路地に入ってみることにした。地図には「かくれんぼ横丁」「本多横丁」「兵庫横丁」と3つの路地名が書いてあるが、それぞれ繋がっていて、初めてこの辺りをウロウロするkinoppyには良くわからないので適当に気に入った画像を紹介しよう。
兵庫横丁
この先をまっすぐメインストリートに出ると、桃山時代の創建になる善国寺がある。神楽坂の毘沙門様として信仰を集めるお寺だ。
初代住職は佛乗院日惺上人、池上本門寺12代貫主。上人は二条関白昭実の実子で、徳川家康と以前から親交があった。上人が遊学先の京都から本門寺貫主として迎えられてから9年後の天正18(1590)年、家康は江戸城に居を移し、二人は再会することになった。へぇ~、ご縁って大切だね~。みんなも友人を大切にね!
文禄4年(1595)馬喰町に創建するが、度々火災に遭い、麴町を経て、寛政5年(1793)現在地へ移転した。本堂左右に狛犬ならぬ石寅が鎮座している。毘沙門天は寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻にこの世に現れたという故事にちなみ「寅毘沙」と呼ばれる。
(石寅の画像がなくてゴメン)
毘沙門天像はご開帳の日のみ拝観できる、毎年1、5、9月の寅の日である。
本多横丁でkinoppyの目に留まったお店。バイクがかっこよくて・・・。写真はお店の上下。
メインストリートに戻ったら、坂を上り赤城神社をめざそう。この神社、隈研吾さんの設計とある。俄然興味がわいてきた。
創建は1300年頃、江戸時代には「赤城大明神」と呼ばれ「日枝神社」「神田明神」と共に江戸の三社と呼ばれた。祭り時には、江戸城内に入ることが許されていた。
神社の老朽化と併設されていた幼稚園の人数が減少したため、神社の建つ底地に70年の定期借地権を設定し、その上に神社とマンションを建てることになり、2010年9月に新しい神社が竣工した。神社、マンションの建築にあたっては、近くに住み氏子でもある隈研吾さんが設計を担当した。2011年の住宅部門とビジネスソリューション部門の両方で2011年度グッドデザイン賞を受賞したそうだ。素晴らしいね。
本殿前に立つ狛犬は江戸時代流行した「加賀白山犬」で、現在はとても珍しいもの。スフィンクスに似ていると言われている。
右に建つのがマンション
右は旺文社の寄付により再建された蛍雪神社、以前は北野神社だったが、旺文社の蛍雪時代から改名されたそうだ。そのくらいしてもらっても良いよね。全国の社長さん見習って欲しい。
上から撮ってみた。もう紅葉が始まってるね。
下へ降りてみる。赤い鳥居は「出世稲荷神社」
来た道を戻ると、神楽坂の街並みに配慮して建てられたものだと言うことが良くわかる。
しかし、kinoppyはやはり、昔ながの神社建築の方が落ち着くなと感じた。 みんなはどう思う?
さ~て神楽坂を下りて 牛込橋へ戻ろう。神楽坂はしゃれたものもあるけれど、ほぼ一般的な商店街だった。昔とあまり変わっていない。住んでる人もセレブというより一般庶民。地元の人、学生、観光客、雑多な人々が集う街。だからいつも活気があって変わらない。そう言う点では江戸時代ともあまり変わっていないのかもしれないね。
飯田橋サクラテラスとテントウムシ。(本物じゃないよ)こっち側はずいぶん変わったかもね。
みんな、最後まで見てくれてどうも有難う。またね。
参考文献:浮世絵TOKYO名所案内 メイツ出版
神楽坂 新宿観光振興協会
善国寺HP
赤城神社HP
パークコート神楽坂 all about住宅・不動産