とんだり はねたり

kinoppyの一日

歴史散歩 御茶ノ水 vol 2

2015-08-16 | 歴史
Hi!みんな元気?ちょっぴり涼しくなってきたね。この暑さももう少しだ。がんばろう!お待たせしました。歴史散歩 御茶ノ水の続きだよ。

御茶ノ水といえば、前回ご案内した湯島聖堂、下を走っているのは、地下鉄丸の内線

   

                         それから聖橋の反対側にあるニコライ堂
                            

     そしてこれから紹介するのは、ビルのはざまに立つ、そう、神田明神だよ。

     

           湯島聖堂を後にして、本郷通りへと向かいます。 

            

本郷通りに出たら東へ(小川軒と反対方向だね。)ほどなく神田明神の鳥居が見えてきます、が、鳥居より先に目に入ったのは、、、、。なんだか、カワユイお店だ。後で、必ず寄ろう、と心に決めて。

   
お店の右側に立派な鳥居、神田明神は730年、今から1300年前に大手町の将門塚付近に創建されました。
 
                    

参道には色々お店があるけど、4時過ぎにはみんなおしまいになるようです。早!早すぎませんか? 

                     

                    

「へ~りっぱだなあ。」と眺めているおじさん。

神田明神は1616年江戸城拡張のため、城の表鬼門(うしとら)の方角にあるここ外神田に遷座して、400年になるそうで、5月7日~14日まで行われた今年のお祭りは大変盛大なものだったようです。神輿の巡行も神田一帯から、皇居前はもちろん、人形町、浜町あたりまで続きました。なぜ、その時行かんのだ!とお叱りを受けそうですが、そんな時私めなどが、すばらしい写真など撮れるはずもありません。人垣に押されて終わりですので、お祭りは、後ほどご紹介する神田神社発行の「神田祭」からの写真でご勘弁を。 
       

         
         さあ、入りますよ。

         
         さすが、立派ですね!美しい、外国人好みですな。

         
左が吽(うん) 右が阿(あ)、みんな知ってると思うけど、仏教(サンスクリット語)では、口を開いて最初に出す音が「あ」、口を閉じて出す最後の音が「うん」宇宙の始まりを表す言葉と言われていて、1対で存在する像のモチーフとなっているよ。狛犬や、仁王やシーザー等ダネ。「あうんの呼吸」もここからきているんだね。
 

                  

                              

これからご祈祷が始まるらしいよ。

                   

そうそう忘れてはならないのは、神田明神は企業の守り神、商売繁盛・社運隆盛の神様であること。大黒様とえびす様をご祭神としてお祀りしており、毎年1月三が日を過ぎると、企業の初詣ともいえる「仕事始め参拝」が始まる。例年1日で約3000社の企業が参拝に訪れ、お賽銭箱の前までの参拝者は、神社より秋葉原駅まで、神社より御茶ノ水駅まで、それぞれ長い行列ができる。(神田祭より)つまり、だまっていても大儲けってことかな?(ばちが当たるよ。)

                   
            やっぱり外国人が多いね。

           

           ちなみに、お祭りの日はこうなります。あの静かな鳥居の所だね。(神田祭りより)

           

           拝殿の前、厳かに儀式が行われました。(神田祭りより) 
           

 神社境内には、本殿を囲むように江戸神社、大伝馬町八雲神社、小舟町八雲神社、魚河岸水神社等8社の他、銭形平次の碑、国学発祥の地碑、小唄塚・小唄作詞塚等見所が沢山あります。全部見終わるころにはどっと疲れが出てきます。さあ、そろそろ楽しみにしていたお店「天野屋」さんに行きましょうか。

 
 
 思った通りとてもカワユイお店です。色とりどりの風鈴や、ランプ、アンティークの収集品が所狭しと陳列されています。

 

                      神田祭りののれんのかかっている所がお手洗いです。  
                       

 お店の中から写真を撮ってみます。
   


                     
          

                    kinoppyの好きなランプが沢山飾ってありました。 
                    


ここ天野屋さんは、本来麹屋さんなんだそうです。だから本当は甘酒をいただくべきだったんですね。勧められるままに葛饅頭なんかいただいちゃって。kinoppyが飲めない人ってわかったのかな?ごめんなさい。現在では、本物の甘酒なんてなかなか飲めないから、甘酒ファンにはたまらないお店なんでしょうね。この暑さなら、かき氷、それも甘酒の。きっとね。

                     

今まで休みの日に都心に行くのは嫌だと思っていたけれど、新宿、渋谷等の繁華街と違って、山手線の真中あたりは、人が少なくてとても静か。祝日に皇居周辺を車で案内した時もそう思ったな。「どうして、お休みなのに人が少ないのか?」と聞かれて「東京の人はお家が郊外にあるから、お休みの日は、家の近くでのんびり過ごすんです。」と答えたのを思い出しました。今回も日本人より外国人観光客を多く見かけましたよ。kinoppyはこれからは、都心でまったりしようかな?

御茶ノ水駅はただ今バリアフリーを中心とした、改良工事が行われています。今中央線から、総武線に乗換える時、段差がかなりあって大変。それにホームの幅もとても狭くて危険です。もっと早くして欲しかったよね。オリンピックに間に合わせようとしているのかな?駅構内も1部改築されるようです。現在の聖橋口も別の所になるようですよ。旧い記憶を忘れないように写真を載せておきます。向こうに見えるのは御茶ノ水橋。

 

                     ここのスタバは新しくて、ゆっくりできそうね。線路沿いに水道橋方面へ少し歩くとあります。
              
                     


お疲れ様。みんなもここらあたりで、珈琲ブレイクしてね。最後まで見てくださってどうも有難う。じゃ、みんな、またね。

歴史散歩 ここはどこ? vol.1

2015-08-06 | 歴史
Hi!みんな元気?毎日うだるような暑さダネ。夏休みに入って超多忙で、kinoppyもバテ気味です。この暑さに身体もまいっているのかも。この夏日に入る前台風雨が結構降った。暑い中にも涼しかった。そんな涼しさを思い出して書いてみようと思う。みんなも一息入れて、元気出してネ!

ある雨上がり、kinoppyは散歩に出かけたよ。さて、ここはどこでしょう?わかる人にはすぐわかる。わからない人はもう少し見てね。憧れのアテネフランセ、懐かしいレモン画廊、カフェがなくなってからどのくらいになるのだろう?中央線と丸ノ内線が地下にもぐるトンネル、総武線の走る緑の陸橋も見えます。
             

そしてこの橋を渡ります。左上に東京医科歯科大学が見えます。もうお分かりですね。今日はお茶の水にやってきました。橋の反対側にはニコライ堂があります。湯島聖堂とニコライ堂を結ぶから聖橋(ひじりばし)って言うんだよね。

            

まずは湯島聖堂に行きますよ。中国語だと孔子廟ダネ。

江戸時代1632年に尾張中納言 徳川直義は儒学を重用し、徳川幕府の儒臣 林羅山のために、羅山の上野不忍池の邸内に孔子廟を建てた。その後1691年に将軍 綱吉の命により現在の湯島に聖堂が完成した。この時林家塾も同時に移転し、聴堂、学舎が幕府により建設され、林家が管理した。約100年後の1797年11代家斉が儒学振興を図るため、聖堂学舎の敷地を拡張、昌平坂学問所を開設、林家管理の学寮を幕府直轄地とし、名実ともに漢学の学問所となった。2年後の1799年老中 松平定信の寛政の改革により、朱子学が官学となり、聖堂も重視され、明の朱舜水が制作した孔子廟模型によって、新廟が建造され、これまで朱、緑、青、朱漆などで彩色されていた建物全体を黒漆塗りとした。(公益財団法人 斯分会 湯島聖堂より)

6000坪(約2万㎡、東京ドームの半分位か?)もの広い敷地に、聖堂や、学舎、学生寮、文庫、教官住宅等があり、直参旗本の子弟48名が学んだらしい。現在でいうとICU(面積では比較にならないけど)とか、そんなキャンパスライフ?贅沢!!たった48名で6000坪だよ~。その後書生寮を設けて、陪臣(藩士、郷士)浪人などの入学が許されたらしい。超エリート集団がここで育成されたということね。

先を進もう。外から見るとこんな感じ。中に入ったことはなくても、外観は見たことあるでしょう?上は塀の中をのぞいたところ。

       
    聖堂入口はこの塀に沿って右へ下がった所。

江戸時代には道路の向こうに船着き場があったらしい。明治に入ると、現在の、順天堂大学、東京医科歯科大学辺りに高等師範学校(現在の筑波大学)、東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)が開設され、そうそうたる文京地区を形成していたようです。写真にはっきり残されています。(斯分会資料)

     
           
さあ、いよいよ聖堂に入りますよ。仰行門です。一般見学者の入口になる門です。

 

仰行門右隣にある斯分会の建物の上にある動物、1935年の復興聖堂の設計者である伊東忠太博士(築地本願寺、平安神宮、明治神宮等の設計者)の考案した屋根飾り。名前もなく意味も今はあきらかでないそう。でもとても可愛い。
                  

ご存知孔子銅像。1975年(s50年)台北市ライオンズクラブからの寄贈。
       

このすぐそばに、楷樹(ウルシ科)がある。楷は中国曲阜にある孔子の墓所にある名木で、枝や葉が整然としているので、書道の楷書の語源になったといわれています。ここにあるのは曲阜の樹の種子を持ち帰った聖木だそうです。残念ながら画像は間違って消失。ゴメン。



ウルシ科だからこんな木かな?だんだん大成殿に近づいてきますよ。
               

入徳門です。聖堂内唯一の木造建築。杏壇門の奥に大成殿が見えますね。
 

       杏壇門に向かいます。杏壇とは孔子の教授堂の遺趾のことだそうです。教壇と関係あるのかな?             
            



             外国人の方が多いですね。
               

            やっと杏壇門に辿り着きました。前の広場は結構広いです。
            

緑の多い堂内。こんな都心にこんな自然が・・・。自然は守らねば残らないのだと実感。
            
杏壇門から入徳門を眺めて見ます。駅前の高層ビルに江戸時代から引き戻されてしまいました
            

そして最後に大成殿。間口120m、奥行き14m、高さ14m。入母屋造り。大成とは孔子廟の正殿の名称。殿内には孔子像、左右に四配として孟子、顔子、曽子、子思の4賢人を祀っている。孔子を祀る祭典は毎年4月第4日曜日に行われる。以前中国語を学習していた時、麗澤大学のN教授とそのお仲間に誘われたが、機会を逸してしまった。一人では多分行かないだろうな。興味のある人は是非行ってみて。
       

大成殿屋根に鎮座する鬼頭(きぎんとう)鋳銅制637㎏。水の神、火災よけ。鯱型、龍頭魚尾、2脚双角、頭より潮を噴き上げている。屋根4隅角に鎮座するのが鬼龍子(きりゅうし)。猫型蛇腹で牙がある。鋳銅制、93kg。様態は狛犬に似ており、顔は猫科の動物似、だそう。こんな重い物、地震で落ちてきたらどうするんだろうね?



西出口に向かいます。階段を登って本郷通り方面に出ますよ。御茶の水は樹木が多くてきれいな街だね。湯島聖堂を参観してつくづくそう思いました。

こちらからも入れるので、地図があります。今日は地図右手正門からご案内しました。
                   

まだまだ続くよ。お茶の水散歩。みんな最後まで見てくれてどうも有難う。