





カメラマンのアレックス(ニコライ・リー・カース)は、自分の父親と、恋人シモーネ(マリア・ボネヴィー)の3人で食事を共にした。しかし、店を出る際に、父親が苦手なアレックスは用があるから先に帰ったことにしてくれと言って、シモーネとは駅で会う約束をし、父親が店から出てくる前に立ち去った。
駅でシモーネに会う前に、アレックスは美しい女性に一目惚れする。その女性は、小説家の夫アウグスト(クリスター・ヘンリクソン)とコペンハーゲンに来たアイメ(マリア・ボネヴィー、2役)だった。シモーネと落ち合ったアレックスは、アイメも乗る電車に乗るのだが、アイメが下車した駅で、シモーネを置き去りにして自分も降りてしまう。そして、アイメと一夜を共にする。
そこから、アレックスの回りの世界が変わり始める。借りているアパートの部屋はなぜかなくなっているし、アパートの大家、友人ばかりか、自分の父親、シモーネまでもがアレックスのことを「会ったことがない、知らない人」と言うのである。しかし、アイメとの時間は確かなものであり、2人は逢瀬を重ね、遂にはローマへ逃避行しようということになるのだが、、、。
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ややマイナーなデンマーク映画。7月にコペンハーゲンに行く予定をしており、それまでに、ちょっと関連映画でも見るか、ってな感じで見てみたところ、これが案外良かったのでした。
◆これは映画、ただの作り話。それでも心は痛む。
見出しは、冒頭、マジシャンの映像に流れるナレーション。そして、このナレーションの主は、アイメの夫アウグスト。なので、この映画は、つまりアウグストが書く小説なのかな、、、と思う。ちなみに、このナレーションは、ラストシーンでも流れる。だから、やっぱりアウグストの小説、もしくは妄想、そんなところか。
……とか頭を巡るけれども、見終わって思うに、そういう解析はあまり意味がないかな。
アレックスは、アイメに出会ってから、自分の世界が根底から覆されてしまうのですが、これって、恋に落ちればフツーにあることです。まあ、もちろん、親しい人に「アンタなんか知らない」と言われたり、住んでいた部屋がなくなったり、というのは現実的にはあり得ないことですが、それくらい、いろんなことがひっくり返っちゃうような出会い、ということであれば、不思議でも何でもない。
アイメとの時間だけは、終盤までしっかりとアレックスにとって現実として描かれており、つまり、アレックスにとってアイメが彼の人生における地軸になっちまった、ってことなのかもね。アレックスはきっと、何かこう、、、生まれて初めて経験する感覚だったんじゃないかしらん、アイメとの時間が。アイメの存在そのものが。きっと彼は、「今、生きてるぞ、オレ!!」という、生の実感を全身に受けたんじゃないかなぁ、と、見ていて思いました。
そういうときって、家族とか、仕事とか、友人とか、それまでの人間関係とか、一瞬吹っ飛んでしまうではないですか。なんかもう、とにかく、自分と相手の1対1だけの世界にいる感覚。
そして、そういう感覚は、本当に一瞬であって、持続しないものなのです。さらに、決まって破綻する。
でも、これは映画だから、90分間は持続した、、、。でも、映画だけどやっぱり破綻した。映画といえども、世界がひっくり返った感覚のまま、人生を続けさせるほど、世間は甘くないのだね。
そう、アイメとのローマへの逃避行は、実現しないんです。それも、アレックス自身のミステイクによって。そして、アイメもまた、アレックスのことを知らない人のように振る舞うのです。
◆考えない。“感じる”映画。
ただ、本作中では、アレックスとアイメの出会いのような(?)シーンが、繰り返されます。それが初めて出会ったシーンなのか、何度目かなのか、その辺りがよくは分からない。
作り話、と最初に宣言されているわけで、アレックスの運命の恋は、作者によって何度も書き直されているかのよう。そうしてみると、本作の原題“Reconstruction”は、なるほど、という気もする。直訳すると、復興、再建、、、。再構築としているレビューもいくつか拝読したけれど、まあ、そういうニュアンスでしょう。
しかも、シモーネとアイメが非常によく似ている女性で、これは1人二役か? と途中で疑ったけれど、やっぱり同一人物か否か、ハッキリしない。途中、シモーネとアイメが夜の街角のショーウィンドウ前で向き合っているシーンがあって、2人が交互に「わからない?」「愛してたのに」「ずっと」等と言い合う。この幻想的なシーンで、恐らくシモーネとアイメは同一人物だろうとほぼ確信したけれど、、、、。メイクが全然違うだけで同じ人かどうかの区別もつかなくなるという、、、この辺りの曖昧さ、境界の微妙さ、みたいなものも本作の味わいの一つです。
明らかに惑わされているのにもかかわらず、なにかこう、、、アレックスやアイメにリアルな感情移入をしてしまう。この不思議な感覚、不思議なシナリオ。
あんまり、ロジカルに理解しようとか、無理矢理ストーリーのつじつま合わせをしようとか思わない方が良い映画です。考えるのではなく、“感じる”映画、とでもいいましょうか。
◆その他モロモロ
シモーネとアイメを演じたマリア・ボネヴィーが良いです。シモーネも、アイメも、あまり好きじゃないけど、かと言って不快でもない。アイメを演じているときの唇の色が印象的。濃くて深いブラウン系のワインカラー。一歩間違えると、もの凄く不健康な顔になると思うんだけど、アイメの美しさを象徴するメイクになっているのが素敵。
一方の、アレックスを演じたニコライ・リー・カースは、、、ちょっと猿系と申しますか、、、うーん、個人的にあまり好きなお顔じゃなくて、、、ごめんなさい。ものすごく良い雰囲気の作品だったけど、肝心のアレックス君がアップになるたびに違和感ありまくりでした。というか、斜め横からの顔は良いんですけど、どうも正面からのアングルがイマイチで。……ただの好みなのでお許しください。この方、あの『しあわせな孤独』に出ていたのですね。
あと印象的だったのは、コペンハーゲンの地下鉄。駅がもの凄くシンプルかつモダンなデザインで、なんかSF映画見ているみたいでした。この駅のホームを、終盤、アレックスが歩き、その後をアイメが歩き、、、、ふと、アレックスが振り返るとアイメはいない、というシーンがあります。なんか、あのギリシャ神話のオルフェウスの話を思い出してしまいました。振り返ったばかりにアイメを失った、、、というのは、まあ考えすぎですかね。
コペンハーゲンの地下鉄に乗りたい。
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